第7話 点滅と、「大丈夫」の禁止
夜中に起こされるときって、だいたい音だと思ってた。
でもこの寮は、音じゃなかった。
枕元の端末が、ぶるぶるぶる、って震える。
同時に、部屋の天井のライトが点滅する。白い光が、何回も目を刺す。
私は反射で身体を起こして、杖を探した。
寝ぼけた手が空を掻いて、枕元の床を叩く。見つからない。
焦る。焦ると余計に見えなくなる。
点滅が、余計に視界を割る。
ぶるぶるぶる。
“危険”の合図だけが、確実に来る。
私は息を吸って、吐いて、頭を冷やそうとした。
火事?
地震?
誰かが倒れた?
夜の寮って、こういうときに一番怖い。
その瞬間、カーテンの向こうで布が擦れる音がした。
舞が起きた。
私は反射でそっちを見て、すぐ思い出す。
背中向けて話さない。
でも今、背中とか正面とか、言ってる場合じゃない。
私はカーテンを開けた。
舞はベッドから半身を起こしていて、顔色が白い。寝起きの白じゃない。薄い不安の白。
舞は口を動かさない。声は出ない。
スマホを掴んで、画面を私に向けた。
『訓練ですか』
『本当ですか』
文字が揺れて見える。
舞の手が、少し震えている。
私も怖い。
でも舞の怖さは、私の怖さとは種類が違う。
舞は「見逃す」ことが怖い。
私は枕元の端末を掴んで、止め方を探した。
昨日ラウンジで聞いたはずなのに、説明が頭から抜けてる。
ぶるぶるぶる。
点滅。
私は手探りで端末の横のボタンを押した。
震えが止まる。点滅も止まる。
静かになると、今度は耳が自分の心臓の音を拾い始める。
ドクドク。
舞の目が、私の口元じゃなく、私の手元を見ていた。
端末が止まったのを確認したい目。
私は口をはっきり動かして言った。
「たぶん、訓練。落ち着いて」
舞は頷いた。
でも頷きが浅い。安心しきれてない。
そのとき、廊下のスピーカーから声がした。
夜でも、透明マスクをしてる支援スタッフの声。
「訓練です。避難訓練です。落ち着いて、一階ラウンジへ移動してください。これは訓練です」
音で聞ける人は聞ける。
舞は、たぶん聞けない。
私は舞の目を見て、口を動かした。ゆっくり。
「訓練って言ってる。ラウンジ行く」
舞は私の口の形を追って、ようやく肩を少し下げた。
舞はスマホを見せた。
『一緒に行きます』
『遅くてもいいです』
遅くてもいい。
私はその一行で、少しだけ泣きそうになった。
遅くてもいいって、普通は言われない。遅い側は、普通、置いていかれる。
私は頷いて、杖を掴んだ。
義足のベルトを締め直す時間が惜しい。
でも締めないと転ぶ。転べばもっと遅くなる。
私は深呼吸して、最低限だけ整えた。
舞も支度をしている。
舞は速くない。でも無駄がない。必要なものだけ掴む。スマホ。透明マスク。部屋の鍵。
それが、生活の戦い方だ。
廊下に出ると、同じ階の人たちがぞろぞろ出てきていた。
車椅子が静かに動く音。杖の先が床を叩く音。扉が閉まる音。
誰も騒いでないのに、空気だけが慌ただしい。
舞は私の少し後ろ、口元が見える位置に来た。
私が歩き出すと、舞も歩く。
私は階段を見て、一瞬ひやっとした。
エレベーターは使うなって書いてあった気がする。火災時は危険。
でも車椅子の人はどうするんだ。
その答えはすぐ出た。
支援スタッフが廊下の端で誘導していた。透明マスクで、ピクトグラムの板を持っている。
「車椅子の方はこちら、避難用エレベーターを使います。スタッフが付き添います。訓練です。落ち着いて」
私はその声を聞いて、少しだけ安心した。
舞は声じゃなく、板の絵と口元で理解した。
舞が小さく頷いて、スマホを見せる。
『良かった』
一言だけ。敬語じゃない。
舞の安心は短い。
階段の前で、私は一度立ち止まった。
足の接続部が、まだ完全じゃない。
階段は、いつもより怖い。
舞は私の横に回って、正面からスマホを見せた。
『ゆっくり』
『待つ』
その下に、小さく『待って』の手の形の写真みたいな絵文字を付ける。
舞のそういうところが、ずるい。
私は笑ってしまって、少しだけ緊張が抜けた。
「うん。ゆっくり」
私は一段ずつ降りた。
杖を先に置く。義足を下ろす。健足を揃える。
繰り返し。反復。
後ろから足音が迫ると焦るから、私は端に寄った。
人が追い越していく。
追い越されるのは、慣れてる。慣れたくなかったけど、慣れた。
舞は追い越さない。
舞は、私の速度を選ぶ。
そのことが、階段よりずっと効いた。
一階に着くと、ラウンジは明るかった。
みんな集まっていて、支援スタッフが人数を数えている。
点滅と振動は止まっているのに、まだ空気がざわざわしている。
栞もいた。車椅子のまま、マグを持ってないのにやけに元気そう。
「お、来た。大丈夫だった?」
私は「うん」と言いかけて、止めた。
昨日貼り紙に書いたばっかりだ。
分かったふり、しない。
大丈夫の乱用、やめたい。
舞がスマホを見せた。
『大丈夫です』
『でも、びっくりしました』
舞の“でも”は、ちゃんと本音の続きだ。
栞は笑って、「それそれ」と頷いた。
「びっくりするよねー。私も最初、枕が暴走したのかと思った」
私は少し笑った。
舞も肩を揺らした。音のない笑い。
スタッフが前に出て、説明を始めた。
「訓練に参加してくださってありがとうございます。夜間は特に、混乱しやすいです。振動端末は止めても大丈夫ですが、必ず安全を確認してから行動してください」
スタッフは透明マスク越しに、ゆっくり口を動かしてくれる。
舞のためでもあるし、みんなのためでもある。
この寮では、それが特別じゃない。
説明の途中で、スタッフが言った。
「もし、混乱して手が動かないときは、無理に動こうとせず、内線で呼んでください。あなたが遅いのは、あなたのせいじゃありません」
私はその言葉を、胸の奥で一回だけ握った。
遅いのは、せいじゃない。
分かってるはずなのに、誰かに言われると違う。
舞が私を見た。
口元じゃなく、目を見た。
舞はスマホを見せた。
『遅いの』
『嫌ですか』
質問が、まっすぐすぎる。
私は少しだけ息を吸って、吐いた。
嘘を言う癖を、ここで出したくなかった。
「嫌じゃない」
私はそう言って、でもそれだけだと嘘になる気がして、付け足した。
「嫌じゃないけど、置いていかれるのは怖い」
舞は一瞬だけ止まって、それから頷いた。
スマホ。
『置いていかない』
『一緒』
短い。
でも、ちゃんと重い。
栞がそれを見て、にやにやした。
「はいはい、良いね。尊いね。夜間訓練が恋のイベントになるとは思わなかったわ」
私は「うるさい」と言いかけて、言わなかった。
舞がまた『申し訳ありません』を出すから。
私はただ、顔を少しだけしかめた。
栞が笑って、引いてくれる。距離の取り方が上手い。
訓練が終わって、みんなが各階に戻り始める。
廊下に出ると、さっきより空気が軽い。
怖いものを一回見た後の軽さ。
エレベーターに乗るか迷った。
訓練だから、使っていい。
でも私は、階段で降りた。戻りも階段だと、また擦れそう。
私は舞を見た。
「エレベーターでいい?」
舞はすぐ頷いて、スマホを見せる。
『もちろん』
『今日は、訓練』
今日は訓練。
それだけで、許される気がする。
部屋に戻ると、白い壁が迎えてくれた。
貼り紙が見える。
ルール。
透明マスク。
文字起こし。
痛いときは休む。
写真は聞く。
もう一回。
言い直す。
私は貼り紙の前で立ち止まった。
今日、追加したい。
舞も貼り紙の前に来た。
ペンを持っている。舞の方から、追加したい顔。
舞がスマホを見せる。
『今日』
『「大丈夫」って言わないでください』
私は一瞬、固まった。
舞の言葉は丁寧なのに、内容が鋭い。
そして、当たってる。
私は笑って誤魔化そうとして、やめた。
「……私、大丈夫って言いすぎる?」
舞は頷く。
その頷きが、迷いのない頷き。
スマホ。
『大丈夫って言うと』
『助けられません』
『分からないです』
分からない。
舞が一番嫌いな状態。
私は息を吐いて、頷いた。
「じゃあ、禁止にする」
舞の目が、少しだけ大きくなる。
それから、肩が揺れる。無音の笑い。
嬉しい笑い。
私はペンを取って、貼り紙に書いた。
「『大丈夫』禁止」
「代わりに『痛い』『怖い』『分からない』って言う」
舞がその文字を見て、ゆっくり頷いた。
舞はペンを取って、小さな絵を足した。
『大丈夫』の文字に、×印。
その横に、口の吹き出しが三つ。
痛い。
怖い。
分からない。
それから最後に、手の絵。
『もう一回』の手。
『待って』の手。
私はその絵を見て、喉の奥が少しだけ熱くなった。
ルールって、逃げ道を減らすものだと思ってた。
でもこの寮のルールは、逃げ道じゃなくて、戻り道を増やす。
迷子になっても、戻れる道。
舞がスマホを見せた。
『今日』
『一緒で良かったです』
「私も」
私はそう言って、言い直した。
「怖かった。でも、一緒でよかった」
舞は少し笑って、スマホに短く打つ。
『うん』
敬語じゃない一文字が、今日も効いた。
窓の外は真っ暗だ。
でも部屋の中は、白い壁と、貼り紙と、少しだけ増えた安心で明るい。
点滅は、もう怖くないとは言えない。
でも、次に点滅したとき、私は「大丈夫」って言わない。
ちゃんと、言う。
痛い。
怖い。
分からない。
それを言っても、置いていかれないって、少しだけ信じられるから。
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