第4話
絶望6日目・夕刻 路地裏の覇道(グラインド)
大通りの平和な光景を背に、俺は再び「クソゲー」の深淵へと足を踏み入れていた。
路地裏。
そこは文明の光が届かない、カビと腐敗と暴力の匂いが充満する狩り場だ。
かつては、この薄暗さが怖かった。
角を曲がれば何がいるか分からない恐怖。背後から忍び寄る足音への怯え。
だが今の俺は違う。
カサリと、右手のゴミ集積所が揺れる。
俺の視線が反射的にそこを捉える。
【気配察知】スキルが、赤い警告シグナルを脳内に点滅させる。
「……右か」
俺は立ち止まらず、歩く速度も変えない。
ただ右手のサバイバルナイフを、逆手に持ち替えただけだ。
ギャッ!
ゴミ袋の山を突き破り、腐りかけた野犬のようなゾンビ――『ドッグ・イーター』が飛び出してくる。
低い位置からの、足首を狙った噛みつき攻撃。
初日の俺なら、これで足を食いちぎられてゲームオーバーだっただろう。
だが今の俺には「軌道」が見えている。
「遅い」
俺は冷静に半歩下がる。
空を切った獣の顎が、虚しく牙を鳴らす。
その硬直時間(フレーム)を見逃すはずがない。
俺は振り下ろすような軌道で、ナイフを獣の延髄に突き立てた。
グシャリ。
骨を断つ感触。
【討伐完了】
【経験値獲得:45 EXP】
獣は悲鳴を上げる間もなく、光の粒子となって消滅した。
俺はナイフを振るい、付着した黒い血を飛ばす。
「……楽勝だな」
独り言が漏れる。
正面からの戦闘なら、もはや負ける気がしない。
レベルアップに伴うステータスの上昇は、俺の肉体を「一般人」の枠から引き剥がしつつあった。
筋力(STR)は成人男性の平均を遥かに超え、敏捷(AGI)はアスリート並みだ。
ゾンビの動きが、まるでスローモーションのように見える。
俺は路地裏を奥へと進む。
次々と現れるゾンビたち。
サラリーマン、学生、老婆。かつて人間だったモノたちが、食欲という一点のみで駆動する肉人形となって襲いかかってくる。
俺はそれを、作業(タスク)のように処理していく。
背後から忍び寄り、頸動脈を切断する(ステルス・キル)。
正面から突っ込んでくる個体の腕を切り落とし、バランスを崩したところを心臓一突き。
数体の群れに対しては、狭い通路に誘導して各個撃破。
流れるような戦闘。
俺の中に「恐怖」という感情が入る余地は、もうなかった。
あるのは、効率よく経験値を稼ぐための冷徹な計算式だけだ。
(今のペースなら、日没までにレベル10に届くか……?)
ふと前方の十字路で、気配を感じた。
ゾンビではない。
規則的な足音。呼吸の音。
人間だ。
俺は壁に張り付き、様子を伺う。
現れたのは二人組の男女だった。
ホームセンターで買ったらしい作業用ヘルメットと、手製の槍で武装している。
彼らもまた、この過酷な世界で生き残るために足掻いている「プレイヤー」だ。
俺と彼らの視線が交差する。
距離は5メートル。
一瞬の緊張が走る。
互いに武器を持っている。敵か? 味方か? それとも獲物か?
男の方が俺の装備――血に濡れた黒塗りのナイフと、返り血を浴びたパーカー――を見て、ごくりと喉を鳴らしたのが分かった。
俺の頭上のカーソルを見て、レベル差を理解したのかもしれない。
俺は無言のまま、小さく顎を引いて会釈をした。
敵対の意思はない。だが、馴れ合うつもりもない。
相手もそれを察したのだろう。
ぎこちなく会釈を返し、俺とは逆の方向――安全そうな大通りの方へ――そそくさと歩き去っていった。
「……賢明な判断だ」
俺は彼らの背中を見送ると、再び闇の深い方へと足を向けた。
今はまだ、他人と関わっている時間はない。
世界が安定し、強力なギルドが支配権を確立する前に、少しでも「個」の力を高めておく必要がある。
さらに奥へ進むと、少し様相の違うゾンビが現れた。
体がふた回りほど大きく、皮膚が灰色に変色している。
『Lv.6 タフネス・ゾンビ(元・ラグビー部員)』
物理耐性持ちか。
こいつは少し骨が折れそうだ。
「グルルァァァッ!」
咆哮と共にタックルを仕掛けてくる。
速い。
だが直線的だ。
俺は直前でステップを踏み、身体を捻って回避する。
すれ違いざまに横腹へ、ナイフを走らせる。
ガキンッ!
硬い。
筋肉が硬質化しており、刃が深く入らない。
一撃必殺(ワンパン)とは、いかないか。
「チッ、硬えな……!」
俺は距離を取り直す。
今の俺の攻撃力では、こいつの防御を貫通して一撃で沈めるのは難しい。
だが倒せないわけじゃない。
一撃で無理なら二撃三撃と叩き込めばいい。
あるいは関節などの「構造的な弱点」を狙えばいい。
俺はナイフを持ち直し、再び突っ込んでくるタフネス・ゾンビの膝関節を狙った。
ローキックを合わせるように靴底で膝の皿を蹴り砕く。
ボキリ。
鈍い音がして、巨体が崩れ落ちる。
機動力を奪えば、あとはただの的だ。
俺は背後に回り込み、比較的柔らかい首の付け根にナイフをねじ込んだ。
【討伐完了】
「ふぅ……」
流石に少し息が上がった。
だが確かな手応えがある。
少し強い個体(エリート・モブ)相手でも、立ち回り次第で完封できる。
今はまだ時間がかかるが、レベルを上げて『貫通攻撃』や『弱点特効』のスキルを取れば、こいつらも雑魚(モブ)に変わるだろう。
それも時間の問題だ。
俺の成長速度は、世界の進化速度を上回っている。
タワーマンションの門番
日が傾き、街が茜色に染まり始めた頃。
俺は狩りを切り上げ、帰路についていた。
インベントリ(アイテムボックス)は戦利品でパンパンだ。
今日の稼ぎは悪くない。
その帰り道。
街の一角にそびえ立つ高級タワーマンションの前を通りかかった時のことだ。
周囲の建物とは一線を画す、威圧的な鉄の門扉。
その前に一人の男が立っていた。
警備員の制服の上に防刃ベストとタクティカルヘルメットを装着し、手には警棒ではなく、またしてもショップ製の「スタン・バトン」を握っている。
しっかりとした装備だ。
彼もまた俺に気づくと、気さくな調子で声をかけてきた。
「よう、調子はどうだい? 兄ちゃん」
敵意は感じない。
むしろスカウトのような、品定めする視線だ。
俺は足を止め、適当に合わせることにした。
「あー、そこそこですね。脇道でゾンビ狩りしてた所です」
「脇道で? ほう、いい度胸だ」
男は感心したように眉を上げた。
この時間の脇道がどれほど危険か、彼は知っているのだ。
そこから五体満足で帰ってきた俺の実力を評価している。
「そうかい、お疲れ様。……ところでだ」
男は少し声を潜め、本題に入った。
「うちのマンションで今、生存者を確保して集団を作ろうという動きがあるんだが、どうだい? 兄ちゃんみたいな動ける若者は、大歓迎なんだが」
勧誘だ。
やはり来たか。
このタワーマンションは要塞として優秀だ。
高い塀、オートロック(今は死んでいるかもしれないが)、そして高層階という地の利。
ここに拠点を構え、コミュニティを作ろうとするのは自然な流れだ。
だが俺の答えは決まっている。
「あー、すみません。俺、ソロで行こうと思うので……」
組織に入れば義務が生じる。
見張り当番、食料の供出、そして人間関係のしがらみ。
俺は「しがらみ」から解放されたくて、このゲームを楽しんでいるのだ。
誰かの指示で動くのは、会社員時代だけで十分だ。
「そうかい? 安全エリアだからいいと思うが? 高層階なら夜行性の奴らも上がってこれないし、発電機もある」
男は食い下がる。
魅力的な条件だ。電気があるというのはデカい。
「いえ、自力で稼げるのでいいっすよ」
俺はきっぱりと断った。
自分の力で稼いだポイントで、自分の城を強化する。
その方が性に合っている。
「……そうか。残念だ」
男は肩をすくめたが、それ以上無理強いはしてこなかった。
物分りが良い。
あるいは無理に引き入れても内乱の元になると分かっている、賢いリーダーなのかもしれない。
「でも今後お世話になるかも知れないから、フレンド登録だけいいっすか? 情報収集もしたいし」
俺はスマホを取り出した。
加入はしないが、コネクションは持っておきたい。
特にこういう「拠点持ち」のグループは、独自のネットワークを持っていることが多い。
「おう、構わんよ。外の情報を持ってるソロは貴重だからな。じゃあ交換しとくか」
男もまた俺を利用価値のある存在と認めたようだ。
QRコードを読み込む。
『プレイヤー:G-K(ゲートキーパー)』。分かりやすい名前だ。
登録が完了すると、彼は「お近づきの印」として、いくつかの情報を教えてくれた。
「兄ちゃん、大型量販店……駅の向こうのイオンとかには近づかないほうがいいぜ」
「何かあるんですか?」
「あそこにはデカい集団が固まってるらしい。……質が悪い方な。来る者は拒まずだが、一度入ったら出られない。『徴兵』みたいな強引な勧誘があるとかでな」
「うわ、ブラック企業っすね」
「全くだ。数を頼みに周辺の物資を根こそぎ漁ってるらしいから、遭遇したら逃げるが吉だ」
貴重な情報だ。
数は力だ。特に初期段階では。
そんな集団に目をつけられたら、ソロなんてひとたまりもない。
「それともう一つ。……警察署が動き出したらしい」
「警察?」
昼間のおっちゃんたちは「機能していない」と言っていたが。
「ああ。治安維持もし始めたらしい。と言っても、上の指示ではないだろうがな。生き残った署員たちが独自に、見回りも始めてるそうだ」
「正義の味方ごっこですか」
「そう、馬鹿にしたもんでもないぞ。彼らは銃を持ってる。それに『職務質問』という名目で、マンションの在宅確認もしてるらしい」
在宅確認。
その言葉に俺は嫌な予感を覚えた。
「空き巣狙いですか?」
「いいや逆だ。『生存者がいない部屋』を確定させて、そこにある物資を『公的に』接収するためだそうだ。あるいは避難民を住まわせるために開放するとかな」
なるほど。
生存確認が取れない部屋は「放棄された」とみなされる。
そうなれば勝手にドアを破られ、中の物を持ち出され、見知らぬ他人が住み着くことになる。
「だから兄ちゃん、自分の寝床があるなら、ドアにメッセージでも張り紙でもしときな。『生存者あり。立入禁止』ってな」
男は親指で、自分の背後のマンションを指差した。
見ればエントランスのガラス戸には、『自警団管理物件』と書かれたガムテープが貼られている。
「無けりゃ、物資丸ごと取られても仕方がない世の中だ。警察だろうが野盗だろうが、主のいない城は略奪の対象だからな」
「……情報ありがとうございます。マジで助かりました」
俺は心底から礼を言った。
これは命に関わる情報だ。
俺が外で狩りをしている間に、拠点を「合法的に」制圧される可能性があったのだから。
「自分のマンションに張り紙でもしときます」
「おう、そうしな。じゃあな、気が向いたら何時でも来いよ」
「ええ、その時はよろしく」
俺はG-Kと別れ、足早にアパートへと急いだ。
帰るべき場所(サンクチュアリ)を守るために
帰り道を歩きながら、俺は頭の中で情報を整理していた。
「なるほどね……そろそろ集団行動(チームプレイ)し始めたって感じか」
世界が変わって一週間弱。
混乱期(カオス)が終わり、再編期に入った。
大型量販店の『独占ギルド』。
タワーマンションの『共助コミュニティ』。
そして秩序を取り戻そうとする『警察組織(ロウ・エンフォーサー)』。
それぞれが生存戦略を立て、勢力図を塗り替えようとしている。
その中で俺のようなソロプレイヤーは、最も弱い立場に置かれる。
「警察が来るとうざいから、張り紙しとくか……」
俺は道端の文房具屋(窓ガラスが割られ、中は荒らされていた)に入り、太い油性マジックと画用紙を調達した。
アプリの【エリア指定:セーフティ・ハウス】を使っていれば、システム的には絶対安全だ。
物理干渉を無効化するバリアは、警察の突入ハンマーだろうが爆弾だろうが、防いでくれる。
だが問題は「コスト」だ。
12時間で2000ZP。
今の俺の稼ぎなら払えなくはないが、24時間365日維持するのは不可能だ。
ポイントは装備やスキルの強化に回したい。
寝ている間や、本当に危険な時だけ発動するのが理想的な運用だ。
「流石に常時は無理だからなぁ」
自分が留守の間、セーフティエリアを解除している時に「誰もいないな、よし突入!」とやられたら終わりだ。
だからアナログな防御策が必要になる。
『ここにヤバい奴が住んでます』という主張が。
アパートに着いた俺は階段を駆け上がり、203号室の前に立った。
ドアは無事だ。
俺は画用紙をドアにガムテープで貼り付け、マジックで殴り書きをした。
『居住者あり。武装済み。
無断侵入者はPK(敵対行為)とみなし全力で迎撃する。
用があるならノックしろ。
――橋場』
少し威圧的すぎるか?
いや、これくらいで丁度いい。
舐められたら終わりの世界だ。
ついでに先ほど手に入れた『ドッグ・イーター』の牙を、魔除けのようにガムテープで一緒に貼り付けておいた。
「俺はモンスターを狩れる人間だ」という無言のメッセージだ。
「よし」
俺は満足気に頷くと、鍵を開けて部屋に入った。
薄暗い室内。
だがここは俺の城だ。
俺は玄関に座り込み、一息ついた。
緊張が解けると同時に、強烈な空腹感が襲ってくる。
「……飯にするか」
今日の夕食は奮発して、ショップで『温かい牛丼』を買おう。
50ZPもする高級品だが、今の俺にはそれだけの価値がある働きをした自信があった。
世界は狭くなりつつある。
だが俺の攻略(ゲーム)は、もっと広く、もっと深くなるはずだ。
湯気の立つ牛丼をかき込みながら、俺はスマホのマップを眺めた。
明日はどこへ行こうか。
警察の監視が厳しいエリアは避け、まだ手付かずの「激戦区」を探すべきか。
思考を巡らせる時間は、最高に楽しかった。
このクソゲーは、まだまだ俺を飽きさせないようだ。
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