もう一人の自分

クライングフリーマン

もう一人の自分

 ドッペルゲンガーやタイムパラドクスの話ではない。

「客観」の話。

 世の中には、「主観」で動く人間が多い。

 私の親族にも・・・は別の話。


 その媒体。中学の時は、「小説」だけだったが、高校の時から「演劇」も加わった。

 朗読、あるいは、落語を経験すると、如何に「他」を演じることが難しいかが判る。

「声色」変えるだけではダメなのである。

 登場人物には「個性」があり、演じ分けるには、どういう性格で、どういうシチュエーションの時にどう反応するかがを考えなくてはいけない。

 台詞は「順番」では生きてこない。

 我々は、日常生活で「順番」に台詞を言っているのはレアケースだ。

 それぞれの人間が、それぞれの考えで、それぞれのタイミングで話すのだ。

 記者会見などで、記者の質問を見ているとよく判る。

 取材している相手に慮って質問する人は、ごく僅かだ。

「主観」人間は、先ず「妄想」を膨らませる。

 そして、妄想の中の「劇」で完結させる。

 だから、質問に対する「相手の答」は、自分の「妄想の中の相手の答」と著しく違う場合が多々ある。

 私が質問を受ける側だったら、こう言う。

「台本通りに進めたいなら、台本を下さい。台詞一生懸命覚えますから。」

 詰まり、記者は「もう一人の自分」に質問をしているのであって、「妄想の中の相手の答」を求めていることになる。

 質問する権利はあるかも知れない。でも、答える義務はない。

 記者によっては、何度も何度も繰り返し、自分の答にシンクロさせたがる人間もいる。

「後、もう1つ。」

 お前はコロ〇ボか?古畑〇三郎か?杉下右〇か?

 用意された時間は、すぐに超過する。

「逃げるんですかあ?」

 逃げてるのは、お雨だろ?まともな質疑から。

 自分が目立ちたい為に。

 そんな記者が書く「作文」は、夏休みが明ける前に大急ぎで書いた読後感想文みたいに、ちぐはぐで、文字数以外は合格ではない。

 Web小説サイトでも、将来小説家になりたいのか、「ジャーナリスト癖」の抜けない文章を見かけることがある。

 気づいていないのだろう。

 SNSの投稿でも、その癖は現れている。

 政府事務員の場合も、『赤い死相(思想)』の人の場合も特徴がある。

 どんな癖?

 はい、そういう癖。「考えないで答を求める癖」は共通している。

 丸暗記はね、「歴史の年号」とか「円周率」の細かいので沢山だよね。


 話が大きく逸れたようだが、小説を書くに当たって、「もう一人の自分」と対話出来なければ、キャラクターは作れない。文章は生きてこない。お話の中の登場人物も「順番だけ」で発言していないから。

 自慢ではないが、私の作品の登場人物は多い。

 キャラの使い分けは、常に命題である。


 最後に、机に向かった時だけ考える人は「主観人間」だ。

 そんな人間に大したことは出来ない。


 言い過ぎたかな?笑笑


 ―完―



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もう一人の自分 クライングフリーマン @dansan01

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