第2章 第7話 黒い大型カラクリ箱、引き取られる(進化と胎動)
ギユウのいない部屋に、夜明けの光が差し込み始めていた。
カーテンの隙間から射し込む淡い光が、工房の床をゆっくりと照らし、昨夜の血の痕を際立たせている。
その中心で、イロハは腰を下ろしたまま、黙々と“変化”を続けていた。
小型カラクリの躯体に入り込んだICチップは、本来であれば木材と混ざり合う性質を持たない、完全な異物だった。
墨脈回路とも系統が違いすぎる。
通常なら、木材の内部へ侵入することすら不可能な存在だ。
だが、あの誕生の瞬間。
発条石の爆裂がもたらした衝撃は、あらゆる前提を破壊した。
防壁は砕かれ、チップはあり得ない経路を通り、木材の奥深くへと滑り込んだ。
さらにイロハは、床に残されたギユウの血液、そして空気中に漂っていた微量の組織片までも取り込んでいく。
それは、意図的な“吸収”というよりも、周囲に漂うものを自然と抱え込んでしまう、木材そのものの性質に近かった。
イロハの体は木で作られている。
墨脈回路はその内部を走る神経であり、金属部材は、あくまで補強材に過ぎない。
だが、その構造の中へ、人間の組織と、電脳アルファが送り続ける**“成長の設計図”**が入り込んだことで、内部では奇妙な噛み合いが起きていた。
本来なら反発するはずの異物同士が、拒絶し合うことなく、互いを足場にするようにして、進化を押し上げていく。
イロハは自らの墨脈回路へ命令列を書き換えながら、木材を削り、押し広げ、再び吸収していった。
躯体は静かに、しかし確実に背を伸ばしていく。
軋む音はない。
割れる音も、きしむ感触も存在しなかった。
ただ、木の粒子が無音で組み替わっていく感覚だけが、部屋の中を満たしていた。
特異な変化は、顔の部分に集中していた。
それは、木材の彫り物とも違う。
仮面とも言えない。
取り込まれたギユウの組織が、木の表面で配置を変え、やがて柔らかな造形として落ち着いていく。
まるで、**“生まれる予定だった人間”**が、顔だけを先にこの世界へ降ろしてきたかのようだった。
イロハ自身にも、この形を選んだ理由は説明できない。
選択という感覚すらなく、ただ結果として、そこにその形が存在していた。
電脳アルファは、この現象を静かに解析していた。
──墨脈回路の自己補正が、“儀右のイメージ”へ引き寄せられた。
それが、導き出された唯一の結論だった。
誰にも知られることなく、ギユウの自室兼工房で、ホムンクルスの進化は淡々と進み続けていた。
同じ頃。
街の反対側に位置する遺跡技術研究局では、例の黒い大型カラクリ箱が、別施設への移送準備を終えていた。
箱は、あまりにも静かだった。
磨き上げられているようでありながら、どこか煤けてもいる外装。
触れれば冷たく、視線を向ければ、不気味なほど整っている。
荷受け担当者は、作業のたびに**「紋様が微妙に違う」**気がしていた。
だが、その違和感を言葉にすることは、無意識のうちに避けていた。
運搬員たちは、決められた手順に従い、固定具を一つひとつ確認していく。
しかし、その肩には、説明のつかない緊張がこびりついていた。
誰ひとりとして「危険だ」とは口にしない。
それでも全員が、何かが潜んでいると確信していた。
箱が施設の外へ運び出され、車両へ積み込まれた、その瞬間。
周囲の喧騒が、ふっと弱まった。
気のせいだ。
誰もが、そう思った。
だが、その一瞬の静けさだけが、運び出された箱の**“扱いにくさ”**を、確かに示していた。
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