俺が君を永遠にする
死を司る《冥府省》で、
迷える
“黄泉”へ送り返す――
それが、メイの仕事だ。
名古屋支部は今、
前例のない“死者のあふれ”に追われている。
処理しても、処理しても、
死霊は途切れない。
だがその裏で――
誰にも気づかれぬまま、
“禁忌の影”が静かに動き出していた。
この街でそっと、
世界の綻びがひとつ、
音を立てようとしていた。
▼△▼
エデン社は今回の“魂流出”を
重大インシデントと判断し、
レオンを名古屋支部へ正式に派遣した。
静まり返った支部。
モニターの光が、
レオンの横顔を照らしている。
彼の指が、
キーボードを軽快に走った。
「冥府省のデータには特に異常はない。
――あくまでも“表面上”はね」
メイが画面を覗き込む。
「でも私たちの送魂アプリだと《処理済み》。
一度送った魂が、戻ってきてる」
「そうだ。
魂が――“ダブっている”」
テツとカイが、息を呑んだ。
「でも、かなりの数だ……
一体どうやって?」
レオンは静かに、
自分のバッグに手を伸ばす。
「……表向きのデータでは、ここまでだ」
取り出したのは、
エデン社のステッカーが貼られたノートPC。
カチ、と蓋が開く。
黒い画面に、淡い文字が浮かんだ。
「これは僕の個人端末。
エデン本社の裏アーカイブにアクセスできる、
唯一の端末だ」
レオンの指が、止まる。
「あの夜、小箱を持った男に……
見覚えがあった」
「気になって調べてみたが、
社内のどのデータにも“存在しない”」
しん、と支部が静まり返る。
「ただ一つだけ。
古い消去済みデータに、
奇妙な“ログの断片”を見つけた」
「……ギリシャ語の一行で、
ユーザー名は“PANDORA”」
「ギリシャ語?」
メイが目を瞬く。
「――『Ζωή Αἰώνιος』」
「ゾーエ……何?」
レオンは、
ゆっくりと噛み含めるように呟いた。
「Zoe Aionios(ゾーエ・アイオニオス)。
意味は――
“禁忌に触れた永遠の命”」
モニターには、
一件だけ残されたログが、
淡く浮かんでいた。
User: PANDORA
keyword: Ζωή Αἰώνιος
status: erased
◆ ◆ ◆
雨の匂いがしていた。
大学の研究棟の裏手。
誰も通らない庭の片隅で、
ガリガリに痩せた子猫が、
うずくまっていた。
その青年――パンドラは、
一瞥してからしゃがみ込み、
サンドイッチのハムをちぎって、
そっと置く。
子猫は、
震える体でそれを食べた。
静かな雨は好きだった。
人が、寄ってこないから。
その日も同じように、
猫の餌を持って裏庭へ向かうと、
先客がいた。
研究室で一番明るく、
よく笑い、
いつも人に囲まれている――
“不公平が人の形をとったような”男。
「お前、こういうことするんだな」
リカルドは、パンドラの手にある餌を見て、
驚いた声を上げた。
そして、猫の頭を撫でた。
パンドラは、
無表情のまま答える。
「別に」
それ以来、
二人は時々、裏庭で顔を合わせるようになった。
リカルドは、よく喋り、よく笑う。
パンドラは、あまり喋らない。
だが、
リカルドはその沈黙を責めず、
変えようともしなかった。
「……不公平だよな、お前って」
「なんだよ、それ?」
「きっとお前は、
神様から全部もらって生まれてきたんだ」
リカルドは、
その言葉を軽く笑い飛ばした。
ある日、
猫を撫でるパンドラの手を見て、
リカルドが、ぽつりと言った。
「お前……優しいよな」
その言葉は、
パンドラの胸に、
初めて“熱”を灯した。
誰の目にも映らなかった自分が、
ようやく認められたような――
誇らしくて、
くすぐったい感覚。
その翌週。
大学に、訃報が届いた。
リカルドは、
“偶然の事故”で死んだ。
偶然、
バスにトラックが突っ込み、
偶然、
彼の座席だけが完全に潰れた。
講義室のざわめきが、遠のく。
パンドラの世界から、
音が、ひとつずつ消えていく。
裏庭へ行くと、
空の皿の前で、猫が鳴いていた。
その声だけが、
やけに現実的で、
胸を突いた。
パンドラは、
子猫の頭を撫でながら呟く。
「……神様に選ばれたみたいな奴でも、
こんな簡単に、死ぬんだな」
厚く垂れ込めた雲から、
雨が降りだす。
空が歪んで見えた。
世界の方が、
間違っているように思えた。
胸に灯っていた熱は、
雨に打たれ、
ひび割れる音を立てて、
崩れていく。
「……運命が不公平なら……
俺が、上書きしてやる」
自分の声とは思えない声が、
喉から洩れた。
「そうだ……作ればいい。
俺が……
“永遠のあいつ”を」
その一言が、
裏庭の静寂を、
ゆっくりと濁らせていった。
◆ ◆ ◆
名古屋の雑居ビルの屋上。
夜風が吹き抜け、
眼下では、
車の列が小さく瞬いていた。
男はゆっくりと街を見下ろし、
細めた目に、
どこか陶酔した光を宿す。
薄闇の中、
手の中の“小さな箱”が、
微かに脈動した。
男の口角が、
静かに、
ゆっくりと上がっていく。
「……いいね」
「病も、悲しみも、怒りも……
苦痛も」
「どれも、
“とても人間らしい”」
名古屋の夜景が、
遠い星屑のように揺らめく。
「もっと……
広がれ」
囁くように言いながら、
男は、小箱を掲げた。
まるで――
祝福でも送るかのように。
そして。
小箱の内部で、
何かが――
“ザワリ”と、音を立てた。
* * *
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