婚約破棄令嬢、次期辺境伯にさらわれる!本物妻になってしまいました!

大井町 鶴(おおいまち つる)

婚約破棄令嬢、次期辺境伯にさらわれる!本物妻になってしまいました!

舞踏会の光に煌めく大広間で、デジレはエタン王子の荒げる声を聞いた。


「デジレ、婚約は破棄する。これ以上、お前と婚約などしていられるか!」


大広間にざわめきが広がる。デジレは現実を把握できず、シャンデリアの光に反射するまばゆい銀のドレスをギュッと掴んだ。


(こんな場で大々的に婚約破棄をつきつけるなんて……)


エタンの腕には義妹ロマーヌがいた。明るい金髪を揺らし、得意げにこちらを見ている。普段から敵対心を感じていたけれど、まさか義妹がここまでの事態を引き起こす原因をつくるなんて思ってもみなかった。


そんなロマーヌは、髪の毛やドレスに手をやって、自分がどう見られるかを気にしている。


(あんな義妹にとられるなんて、情けない)


いや、本当は義妹に夢中になった王子がどうしようもない、と思ってはいる。だけど、そんな王子をつなぎとめられなかったのは自分で……と思うと、なんだか情けなくなってきた。


「本気でおっしゃられておりますの?」

「当然だ。お前がロマーヌの贈り物のドレスを切り裂いたと聞いたぞ!」


破かれた布が床に放られると、まわりにざわめきが広がる。


「私はそんなことしませんわ!」

「うるさい!ほかにも彼女を害そうとしたと聞いている!」


周囲の視線が突き刺さる。


(皆、王子の言うことを信じているの?私の味方になる人はいないの?)


デジレがうつむきかけた時――シンとする空間の沈黙を破った者がいた。


「レディ、顔をお上げください」


柔らかな声に似合わず堂々とした大柄な青年が立っていた。彼は、茶髪を一つに束ねて、服の上からでもわかるガッチリした体格をしている。日焼けもしているから武人かもしれない。


「私はバロー辺境伯の息子、ブリュノ・バローです。殿下、もしデジレ嬢と婚約を破棄なさるなら……私がいただきますね」


突如現れて爆弾発言をした男に一気に注目が集まった。もう広間は大騒ぎだ。


「な、なんなんだお前は!」

「先ほど、ブリュノ・バローだと名乗ったばかりです」

「そういうことじゃない!」


王子はみっともなく叫び、義妹は眉間に深い皺を寄せ憤怒の表情で見ている。


そんな彼らを尻目にブリュノはさっさとデジレを抱きかかえると、人々の間を縫って舞踏会場を後にした。


そして、今は馬車の中だ。


夜の王都を馬車が駆け抜けていく。向かい合う席で、ブリュノは余裕の笑みを浮かべていた。


「……事態を把握できません。私はどこに行くのでしょう?」

「あなたは婚約破棄をされた。だから僕はあなたを辺境に連れて行くつもりだ」

「ちょっと!」


ようやく正気を取り戻したデジレは叫んだ。


「勝手に決めないで!!」

「じゃあ聞くけど、君はあの場に残りたかった?殿下に見捨てられ、街に放り出される未来の方がよかったの?」

「……よくはありません。でも、だからって私の意思も無視して横暴だわ」

「意思か……。でもさ、王都に残っていていいことなんて一つもないと思うから、まずは離れてよかったと思うよ。噂好きの連中の餌食になるのは嫌だろう?」

「確かに嫌ですけれど。……あの、ずいぶんと親し気に話されるのですね?」

「そう?」

「そういうとこです」


デジレは指先をもぞもぞ動かし非難めいた目を向けた。


「僕の方が四つ年上だから大目に見てよ。ところで、辺境に向かうことで不安があるなら、大丈夫。王が気にしていた異民族との戦いには完全に勝利した今、王子が婚約破棄した令嬢をさらうように連れて行ったのも許されるから」

「ずいぶんと自信があるのね」


ブリュノの調子につられて、話し方も楽な方に改めた。


そんな彼女にブリュノは微笑む。


「怒らないでよ。じゃあさ、これからは君のお願いを叶えたら僕の願いも叶える、これでどう?これなら公平だろう?」

「これまでのことはどうするの?ずるいわ」

「あの場から傷ついた君を救い出したんだからいいじゃないか」

「勝手ね」


もう、埒が明かないので口をつぐんだ。


――しばらくすると宿の前で馬車が停まった。どうやらここに宿泊するらしい。


「ここに泊まるの?私、嫌よ。あなたと一緒の部屋なんて」

「はいはい、だろうね。じゃあ、これは君の願いということで。だから、君も僕の願いを叶えてね」

「なにを?私がいいということじゃなければ叶えないわよ」

「簡単なことだよ。……僕の髪を梳いてくれないかな?」

「髪を?……それくらいならいいけど」


デジレは渡された櫛を受け取ると、彼の柔らかな髪を梳いた。


不思議と懐かしさが込み上げてくる。


(小さな頃、誰かの髪をこうして梳いたような……)


「やわらかい髪質なのね」

「うん、馴染みのある髪質だと思うけれどね」


(馴染みのある髪質?)


思い出そうとしたが心当たりがなかった。


――翌日。


旅路の途中、昼下がりに湖の側を通りかかった。


湖面は陽の光を受けてキラキラと揺れ、涼やかな風が頬を撫でていく。平和な様子に、あの婚約破棄の件は夢だったのではと思えてきた。


「心が落ち着くわ……」

「いい場所でしょ?ここで休んでいく?」

「ええ」

「よし、じゃあ君のお願いを叶えよう。僕のお願いも一つ聞いてね」

「そ、そんなの卑怯!」

「ははは。僕はきちんとルールについて説明したからね。卑怯じゃないよ」


デジレが文句を言う間に、ブリュノは湖のほとりに敷物を広げてさっさと座った。自分の隣をポンポンと叩いてデジレが座るのを催促する。


「早く。君が座らなくちゃ、お願いを聞いてもらえないよ」

「今度は何を希望するの?」


ドスンと淑女とは思えない様子で腰を下ろす。


「うーんとね、ままごとをしない?」

「は?ままごとですって……?」


デジレは目を瞬いた。


「で、君は夫役。僕は妻役ね」

「え?私が夫役!?」


“ままごと”と言われただけでも奇妙なのに、“夫役をやれ”と言われて困惑した。


(この人って変態……?)


でも、この遊びをどこかでした気もする。顎に手を添え考え込む。


――木の枝を剣に見立てて“今日も戦いに行ってくる!”と叫ぶ幼い自分。その横でエプロンを姿の小さな妻が“旦那様、お弁当を忘れちゃだめよ!”と笑っている光景……。


デジレはハッと息を飲んだ。


「まさか……!そんなまさかなの!?」

「“お弁当をよく忘れる旦那様” 、なにか思い出した?」


ブリュノは目を細めて笑った。


「ウソでしょう?だって……あの時のお友達は女の子だったわよ!」

「……それ、僕なんだ。女の子の恰好をしなくてはならなかった事情があってね」


ブリュノはかつての遊び友達だったのだ。


「父は男児が生まれると、幼いうちに亡くなることが多い家系を気にして、僕に女装させていたんだ」

「そんなことが……私はすっかりあなたを女の子だと思っていたわ。確か……ブノワトと名乗っていたわよね?」

「そう。僕の名前がブリュノだから、なんとなく同じBから始まる名前にしただけ」

「……だから、私を助けてくれたの?幼馴染だから」

「それはある。だけど、それだけじゃないよ」


ブリュノが口元に柔らかな弧を描いた。


「幼馴染の君が王子の婚約者になったのは知っていたし、王子が浮気していて君が婚約破棄されそうだというのもあらかじめ予想していたんだ。だから、事前にいろいろと手を打った。まずは、君のご両親に君が婚約破棄されたらもらい受けるという許しを得て……」

「ちょっと待って!そんな話、両親から聞いたことないわ!」

「それはそうだろう。秘密の話だから。君のご両親も王子の蛮行を不安に思っていた。でも、そんなことは口に出せない。だから密約さ」

「……一つわからないことがあるわ。どうしてあなたはそこまでするの?さっき、幼馴染という理由だけじゃないって言ったけど。私とあなた……ずっと会っていないじゃないの」


肩を小さく揺らしながらデジレは尋ねた。


「それはさ……君がカッコ良かったから。男の子みたいに剣を振るう姿は凛々しくて真っ直ぐで……忘れられなかった。だからさ、王都にくる用事があると、こっそり君のことを遠くから見ていたんだ」

「え……なんて言っていいかわからないことを言うのね」


知らぬ間に見られていたんだと思うと、さすがに……引く。


察したブリュノはすぐに手を左右に大きくぶんぶんと振った。


「お願い!気持ち悪いとか言わないで!せめて、初恋をこじらせ続けた弱気な男ぐらいに思って」


舞踏会場から連れ去る時は、誰よりもカッコ良かった。


なのに、目の前のブリュノは……まるで少年みたいだ。


「……ぷっ。その慌てる感じ、当時もそうだったわね」

「え、そう?」

「そうよ。幼い頃のあなたはすぐに顔が赤くなってモジモジして下を向いちゃうの。すごく可愛かったわ」

「そ、そうだったかもしれないけど……今は異民族を撃退する逞しい男になったんだよ?」

「自分で言うのがおかしいわ」

「そんなことないって。ほら見て、この筋肉」


ブリュノは、袖をまくり上げると腕に力を込め筋肉こぶを見せつけてくる。


さすがにデジレは大爆笑してしまった。


「もういいわよ。そういえば私、昔は枝をこうやってよく振り回していたわよね。戦うのが夢だったわ」

「君は僕の理想の妻になると子どもの頃から思っていたよ。だってさ、辺境には逞しい妻が必要だから」

「……逞しいから私を選ぶというの?」

「ち、違うって」


ブリュノは急いで立ち上がると、草の上に片膝をついた。


その真剣な眼差しに、デジレは思わず息をのむ。


「僕が君を選んだのは、強いからじゃない。君は誰よりも優しくて、真っ直ぐで誰よりも美しい。子どもの頃から僕を夢中にさせる人だからだ」

「まあ……」


不埒な王子とは違って無骨で真っすぐなブリュノの言葉に心が震える。


「デジレ。ままごとじゃなくて本物の夫婦になってほしいんだ。そして、今度は夫じゃなくて、僕の本物の妻に。お願い、辺境で共に歩んで。見返りなしに君の願いはなんでも叶えるから!」


湖面に映る陽光がきらめき、まるでその場を祝福するかのように風がそよいだ。


「必死ね……でも、そこまで言われたら断れないわ」

「じゃあ……!!」


キラキラと湖畔の輝きに負けないぐらいブリュノの瞳が輝いて見えた。


(捨てられて惨めな目にあったのに、ブリュノが私を救ってくれた……)


「ええ。あなたの願いを叶えるわ。……でも、それは私の願いでもあるわね。実を言うと……私、殿下が嫌いだったの。仕事はしないし勝手だし馬鹿だし。ロマーヌだってすぐに後悔すると思うわ」

「デジレ。僕は君に絶対に後悔させるような人生は送らせないから!」

「ふふ。ありがとう。あの可愛らしい偽少女がこんな隆々な男性になって逞しいことを言うなんて」

「デジレ、もっと僕を見て。これからは逞しい男らしい面をたくさん見せていくから」

「ええ。期待しているわ」

「じゃあ……黙って目を閉じてくれる?」


なんとなく予想できたデジレは目をそっと閉じた。


ブリュノはデジレを抱き寄せると優しくキスをする。


抱きしめられると、ブリュノはもう華奢な体の少女ではなくて……完全に大人の男性だった。


「子どもの頃のままごとが……まさかの本物になっちゃうなんてね」

「うん。本物の夫婦としてこれからはよろしく」


穏やかな湖畔で二人は未来への約束を交わしたのだった。


――それから数か月後、王都に衝撃的な噂が広まっていた。


「殿下がお可哀想に……」

「いやいや、殿下こそ自業自得だろう」

「だって、ロマーヌ様が他の男性と……」


街角の噂好きたちが囁き合っている。


王子は、あれほど得意げに連れ回していたロマーヌにあっさり裏切られていた。


新しい衣服や宝飾を次々とねだり優雅に暮らしていたロマーヌだったが、外国から来た使節の若騎士にあっと言う間に心を奪われたという。


「婚約を破棄してまで選んだ相手に裏切られるなんて……」

「デジレ嬢は辺境伯のご子息に大切にされて、誰より幸せそうだそうじゃないか」

「なんていうのかなあ。殿下はやっぱり自業自得っていうのがピッタリだな」


その王子エタンは謁見の間で激昂していた。


「ロマーヌ!どういうことだ!」

「だって退屈だったの。エタン様ったらお仕事ばかりじゃない。お妃らしい新しい宝石が欲しいのに、相談に乗ってくれないし。そんな寂しい時に、あの方が現れたのですわあ」


ロマーヌは手を組み、目をトロンとさせる。


(贅沢三昧で国庫を圧迫したくせに!……完全に相手を間違えた!)


後悔して慌てて辺境領に手紙や使者を送っても、一度手放したものは二度と戻らない。覆水盆に返らずだ。


ロマーヌを追い出したがすでに遅すぎた。


――辺境の城では、夕暮れの赤い光の下、デジレとブリュノが並んで歩いていた。


「また王子から手紙が届いたって?」

「残念な方だわ。まあ、私には関係ないのですけれどね」


そのまま二人はキスする。


たちまち、ブリュノがトロンとした目でデジレを見つめる……バロー辺境領では、二人の仲良くする姿はちょっとした名物になっている。


夕陽に染まる辺境の城を背に、デジレはブリュノの腕に包まれて微笑んだ。


愛し合う二人は王都のウワサなどももはや関係ない。


湖面に揺れる光のように、二人の愛は穏やかで確かに輝き続けていたのだった。

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