第5話 一次選考 クリア

 ――今だ 


 と、凌空はそれまでの狼狽えた動きが嘘のように、瞬時に目の色を変えた。


 彼は反動を利用して一気に立ち上がり、右手で握った赤い紐を、稲妻のような軌道で振り抜いた。


 鏡面の反射による視覚差と、ミラーレイス自身の突進する慣性を逆手に取る。

 その一瞬を逃さず、常識では考えられないほど鋭く、そして精密な軌道で――

 凌空は数体のミラーレイスの間を、糸を通すように赤縄を走らせた。


 シュッ! シュッ! シュッ!


 赤い縄は、まるで意志を持った生き物のように動く。

 一体の触手を引っかけ、次の一体の首関節へ絡みつき、

 さらに三体目が突っ込んでくる勢いを利用して――

 一気に締め上げ、結び目を作り上げた。


 暴れ狂うミラーレイスたちは互いの動きを阻害し合い、

 身体同士がぶつかり、ねじれ、噛みつき合い、

 数秒のうちに、あのたったの一本の縄で三角区画の中心へと封じ込められてしまった。


 残り三十秒――!


 その刹那、モニターが凌空へ寄った瞬間。

 怪物たちが束の間動きを封じられた隙に、凌空は荒い息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。


 そして、計算し尽くされた角度で顔を向け、

 額へ垂れる長い前髪を、指先でひと撫でするように後ろへ払った。


 汗で濡れた黒髪が後ろへ流れ落ち、

 隠されていたその顔立ち――

 思わず息を呑むほど整った造形が、鮮明に露わになる。


 鋭く通った顎のライン。

 高く形の良い鼻梁。

 混乱の最中にあってなお、深い静謐を湛えていた双眸が、今だけは情熱の炎を宿して燃え上がる。


 そして――


 その口元に浮かぶ、挑発的な微笑。


 それは営業スマイルではない。

 ましてや安堵の笑みでもない。

 “すべて読み切っている”者だけが浮かべる、

 傲然とした、強烈な挑戦の笑み。


 その表情はほんの一秒にも満たなかった。


 レンズが捉え、観ている者の脳が理解するより早く、

 凌空の表情から鋭さは潮のように引き、

 黒髪がすとんと落ち、再び彼の額と眼差しを隠す。


 軽く息を整え、凌空は記憶していたメインカメラの位置へ向けて、

 優雅に、完璧に礼をした。


 まるで今の一連が、命懸けの戦闘ではなく――

 完成度の高いパフォーマンスの一幕だったかのように。


 背後でミラーレイスたちが暴れ、赤縄が千切れる音が響く。

 十数体の怪物が一斉に飛びかかる――その直前。


 残り一秒。


 凌空が踏み出した瞬間、出口の扉が静かに開き、

 彼が抜けた途端、即座に閉じられた。


 ミラーレイスは扉の向こう側に弾かれ、

 その爪は凌空に触れる一歩手前で止まった。


 ――一歩の差。


 彼の勝利だった。


 ブロードキャストルームは、しばしの沈黙に包まれた。


 数秒後、ようやく一人のメンターが呟く。


「ずっと“隙”を探していたのか……最後の一撃にすべてを賭けて。

 あれだけ接近されてるのに怯まないとか、メンタル強すぎるだろ。」


 別のメンターも続く。


「確かに訓練を受けた動きではないが、身体の使い方は悪くない。敏捷性も思ったより高い。」


「縄の扱いも異常に上手いし、鏡面反射とミラーレイスの軌道を利用した……

 あれは新人の計算じゃないぞ。」


 リングとジャスパーが注視していたおかげで、

 他のメンターたちも凌空の動きを最初から見ていたため、

 予想外の反転劇に驚きながらも、専門的に細かく分析し始めた。


 ただし彼らの評価軸は、視聴者とは全く異なる。


 Jasperは口の端を上げ、咥えていたサングラスの脚を噛みながら、何も言わずに画面を見つめている。


 Ringはもう空になった凌空の画面から目を離さず、

 指で肘掛けを無意識にトントンと叩き続けていた。


「判断力とメンタルは悪くない。だが、その他の数値が……

 候補として置いとくのはあり、か。」


 凌空は確かに印象を残した。

 だが能力値という絶対指標の前では、群を抜く存在とは言い難い。


 ただ“期待されていなかったからこそ”際立つ反転だっただけだ。


 メンターたちの評価が一区切りつき、すぐに別の選手の確認へ移る。


 同じ頃、モニターの一角では、

 先ほど注目を集めていた少年が、ミラーレイスの頭を踏み台にし、

 ややぎこちないが力強いサイドフリップで包囲網を抜け、

 太陽みたいな笑顔で大きく V サインを決めて部屋を出ていった。


 扉が閉まり、凌空の姿がスターライトホールへ戻る。


 周囲からさまざまな視線が注がれたが、

 凌空は特に気にする様子もなく、近づいてきた案内スタッフへ視線を向けた。


「一次選考通過、おめでとうございます。紫崎しざき選手、こちらへどうぞ。」


 凌空はまだ残る鼓動の高まりを抑えつつ、静かにスタッフの後へついていく。


 まず案内されたのは機能区域で、

 シャワールームで温かな水が汗と血の匂いを洗い流していく。


 初めての“本物の命の危機”。

 いつもは撮影で想像していた世界を、

 今回は自分の身体で味わった。


 悪くない――そう思った。


 凌空は目を閉じ、

 部屋での全行動を冷静に頭の中で巻き戻し、反省点を拾い上げる。


 彼にとってあれは戦闘であると同時に、用意された舞台での“パフォーマンス”でもあった。


 演者はミラーレイスと自分。

 そして、この“公演の興行収入”――すなわち獲得した人気値――

 それが、この世界で生きるための絶対条件となる。


 一次選考を通過した以上、これからはさらに厳しい局面が続く。


 最後のシーンでどれほど人気値を得られたか。

 属性ポイントを得られるか。

 正直どれも今の彼には読めない。

 だが――想定される最悪に備えるのが彼の習慣だった。


 この死と隣り合わせの世界において、

 アイドルとは“光と希望の販売者”だ。


 観客は、彼らが絶望の中で輝く瞬間を求める。

 恐怖を力へ転換し、魅せる者を求める。


 では、自分は――

 どうすればこの世界で最も眩い光になれるのか?


 凌空の脳裏に、漫画で見てきたキャラたちの姿が浮かぶ。


 太陽のような天性の魅力を持つタイプ。

 圧倒的な実力で観客を黙らせるタイプ。


 共通点はただ一つ。

 ――誰にも真似できない“個の輝き”。


 だが、その輝きに“作られた匂い”がついてはならない。

 虚偽のキャラは、この世界では脆く、致命的な弱点になる。


 カメラは常に命を賭けた舞台に向けられ、嘘はすぐに暴かれる。


『――なら、俺の強みは何だ?』

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