第4話 五分間の逃亡

Ringリング、久しぶりじゃん! 前に会ったのは年末アワードの時だっけ?」


 黄色いサングラスに、歩く調色パレットとしか言いようのない派手すぎる衣装。

 両腕を大きく広げて飛び込んでくるその男――

 特立独行と圧倒的ダンススキルで知られ、熱狂的ファンを抱えるソロアイドル、Jasperジャスパーだった。


「……ああ、久しぶり。」


 呼ばれたリングは、冷淡な声で返すだけ。

 視線は一度もJasperに向かず、目の前の空間にホログラムで並ぶ数十の分割画面――

 各海選ルームのリアルタイム映像から離れようとしない。


 元トップユニット<クラウン>の伝説的センター。

 現在も世界ソロアイドル人気ランキング10位。

 ちなみにジャスパーは11位である。


 銀灰色のショートヘアに冷え切った鋭い気配。

 獲物を狙う隼のような眼差しで、リングはただ映像を見据えていた。


「いやぁ~Ringがここに来るなんて意外すぎ!

 人前出るの嫌いだし、オーディション系なんて“量産型の粗悪品”とか言ってたじゃん?」


 撮られていようがお構いなし。

 ジャスパーはケラケラ笑いながら、派手な羽織を椅子にぽいっと放り投げてリングの隣に座り込む。


 Ringはようやく彼に横目を向けると、静かに言った。


「時代は変わる。ジャスパー。深淵アビスは今も広がっている。

 ――新しい光が必要だ。」


 画面の中、狼狽する者、震える者、それでも前を向こうとする者。

 その顔をひとつひとつ見ながら、リングは続ける。


「光は、思いもよらない場所から生まれることがある。」


「うわ~出た、リングの名言!」

 ジャスパーが胸を押さえて騒いだ瞬間――彼がある映像を指さす。


「見てよ、あれ!

 入って10秒で跳び上がってんじゃん。あんなテンパった顔、アイドルとして終わってるよ!」


 画面では鏡面から飛び出した蜘蛛型ミラーレイスに追われ、

 豪華な衣装をまとった練習生が半狂乱で逃げ回っていた。


「ピエロしかいないわね。サーカスじゃないんだから」


 Ringの反対側に座るロザリンが、黒い爪でピアスを弄びながら吐き捨てる。


「こんなのでビビってたら、本番のステージなんて立てないわ。」


 そしてまた別の画面では、触手に足を絡め取られ、鏡面に叩きつけられる練習生の姿。


「ほら、またバカが一人。ミラーレイスの疑似攻撃と実体すら見分けられないなんて、論外ね。」


 その時――


「お、霧川が武器取った!」

 誰かが声を上げた。


 画面には、混乱の渦中で俊敏に身を翻した一人の選手が映し出される。

 精悍な体つきに、獣のような鋭い眼光。

 彼は隙を逃さずナイフをつかみ取ると、迫りくるミラーレイスを反転の一撃で真っ二つに斬り裂いた。


「戦闘力はあるみたいだけど……アイドルとしての美しさがゼロね。」


「恐怖と暴力だけじゃファンは掴めない。」


 Ringは淡々と補足する。

 その時、ジャスパーが別の画面に目線を向けて、少し驚いたように体を前にした。


「お?この子、面白いじゃん。」


 画面に映っていたのは、普通のトレーニングウェアを着た一人の少年だった。


 どこか緊張しているようで、動きにもぎこちなさがある。他の参加者のように、計算された回避行動を取っているわけではない。

 四方八方の鏡面から、影のように歪んで飛び出してくるミラーレイスを前に、彼の反応は完全に“本能”だった。


 身を捻り、かがみ込み、転がり──

 その一連の動きは決して滑らかとは言えず、むしろ必死で、服も何度も裂け、下の引き締まった筋肉が覗くほどだ。


 だが、それでも彼は毎回、紙一重のところで致命的な一撃を回避してみせる。


 その瞳には恐怖の色は一切ない。

 あるのは、研ぎ澄まされた“野生”の集中だけ。

 まるで身体の本能が頭の判断より先に、危険を嗅ぎ取っているかのようだった。


「うわ、これ……完全に本能でよけてない? 野生の感ってやつ?」


 JasperがRingの肩をぽんっと叩き、笑いながら言う。


「動きはめちゃくちゃなのに、反応速度だけはやたら良いし……って、ちょっと待って。あいつ――笑ってない?」


 カメラがぐっとズームする。


 また一度、死角から伸びたミラーレイスの腕をギリギリで避け転がった直後、少年の顔に浮かんだのは──

 どこか抜けているのに、眩しいほどの笑顔だった。


 汗で前髪が頬に張りつき、息も荒いのに、その茶色の瞳だけは驚くほど輝いていた。


 さっきの生死ぎりぎりの攻防すら、まるで刺激的な遊びの一つに過ぎないとでも言うように。

 さらには、攻撃を外したミラーレイスに向かって「イェーイ」とでも言うようにピースサインまでしてみせた。


「……面白い。」


 リングの口元が、わずかに、だが確かに持ち上がった。

 その視線は完全に少年の画面へと固定されていた。


「純粋な生存本能に、肝の据わった度胸か……確かに、最近あまり見ないタイプだな。」


 リングの言葉に、ロザリンも珍しく皮肉を返さず、ほんの少し眉を上げただけだった。

 そして少年の、見ているだけで巻き込まれそうな笑顔に、考えるような視線を向ける。


「はいはい、大体の有望株はもう通過したし、残りはそこまで面白くないだろ……って?」


 Jasperが詰まらなそうに手を振った瞬間、ふと端に映った画面が目に入り、言葉が止まった。


「……あれ?まだ芸楽のが二人残ってる?」

 と誰かが呟く。


「え、あのブラック事務所?よく潰れてないわね。」


「あのブラック事務所、まだ生き残ってる人がいたのか?確か、もうロクなの残ってなかったよな?」


「ん?そういえば前にも勝手にお前を広告に使って、“ジャスパーが新人育成!”とか宣伝してた会社だよな。あの性格のお前を巻き込んでおいて、まだ潰れてないのが不思議だわ。」


 ジャスパーはサングラスを外し、氷のような青い瞳を細める。


「本当にねぇ……俺の名前を使っていいのは、俺がいいって言ったやつだけなのに」


 もしあの会社の裏に、ややこしい勢力が絡んでいなければ――

 彼の影響力なら、「芸楽エンタメ」なんて海底に沈めている。

 ましてや新人を送り込んで話題作りなんて、できる余裕が残っているはずがない。


 にもかかわらず――その二人はまだ脱落していなかった。

 前者はまあ、時間の問題だとして。

 後者も、見たところ似たようなレベルにしか見えない。


 モニターの中では、数体の醜悪な ミラーレイス が咆哮を上げながら、一人の男を執拗に追い回していた。


 顔立ちははっきり映らないが、その青年は見るからにボロボロで、動きもぎこちない。

 何度も危うい場面をかろうじて回避しているものの、全体的にかなり苦しそうだ。


 先ほどの少年と似たような立ち回りではある。

 だが、こちらからは“余裕のなさ”が手に取るように伝わってくる。


 それでも、彼の手には――

 なぜか、一本の何の変哲もない赤い縄がしっかりと握られていた。


「ぷっ……」

 一人のメンターが思わず吹き出す。


「なんで縄なんか持ってんだ? 自分で首でも吊るつもりとか?

 それともあれか?ミラーレイスに可愛いリボンでも結んであげるため?」


 各部屋にはまったく同じ道具が用意されている。

 刀、短剣、槍――さまざまな冷兵器が揃っている中、この赤いロープだけは“誰だよこれ推したやつ”と言われるほど不人気で、実戦ではほぼ役に立たない代物だ。

 当然、合格ラインの選手でこれを選んだ者はいない。


「ステータスも思った通りの酷さだな。あの回避……敏捷がC+?Cがいいところだろ。」


 別のメンターは提出済みのエントリーシートのステータス欄を見て、呆れたようにため息をつく。


「芸楽エンタメ、もう本当に人材枯渇してるんじゃないの? このレベルで送り込んでくるとか。」


「まあ、顔でワンチャン狙ったんだろうな。聞いた話じゃ顔面偏差値は A- とか?

 前髪で全部隠れてるが、見えてる顎のラインと肌だけなら確かに悪くはない……惜しいねぇ。」


 ジャスパーは顎に手を当てて評価するが、その声色には隠しきれない愉快さが混じっている。


「見たところ、三分持てば上出来だな。」


 一次選考の合格条件は、怪物を殲滅することではない。

 五分間、部屋で生き残れば ミラーレイス は自動で消滅する。


 ミラーレイス の移動速度は C。

 避けるにしても、真正面から戦うにしても、落ち着いて自分の強みを活かせば、実はそこまで難しい試験ではない。


 リングもまた凌空のモニターに視線を固定していた。

 だが見ているのは、彼の鈍臭い回避動作ではない。


 ――赤い縄を握る手。

 そして、前髪の隙間から時折覗く、場違いなほど沈着で、微塵も動揺していない双眸。


 その眼差しは、部屋全体の構造、ミラーレイスの動線、そして……


 至る場所に存在する鏡面の反射角度を、

 まるで計算式を解くかのように冷静に読み取っていた。


「……何を見ている?」

 Ringが低くつぶやく。


 その視線に気づいたロザリンは、鼻で笑いながら言った。


「自分の死に様でも吟味してるんじゃない?」


 ほとんどのメンターが他の選手へ意識を向ける中、

 リング とジャスパーだけは凌空の画面から目を離していなかった。

 もちろん、その注目の理由はまったくの別物だが。


 そのとき――


 凌空が、一見すると逃げ場を失っただけのような転がり方で、部屋のある角へ飛び込んだ。


 三面の巨大な鏡が交わることで、複雑な光の屈折が生まれる、三角形の死角地帯。


 追いすがるミラーレイスたちもその狭い領域に引き込まれ、多重反射によって動線が乱れ始める。


 その瞬間――


 凌空は手に持っていた赤い縄を握りしめる。

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