第3話 生存選抜、開幕

 それは、照明が落ちた瞬間よりも、もっと深く、底の見えない、凍りつくような静寂だった。



 先程まで興奮気味に身なりを整え、口々に喋っていた参加者たちから、笑みが一瞬で剥がれ落ちる。

 詰まるところ、彼らが必死で準備してきた特技も、演出も、すべてこの瞬間をもって無価値となり、全員が同じスタートラインに立たされたのだ。


 今回の応募者には、各事務所の練習生だけでなく、一般人の飛び入りも多い。

 前シーズンまでの出演者は訓練された練習生ばかりで、番組としての“感情の揺れ”や“事故”がほとんどなく、盛り上がりに欠けた。

 その反省から、今シーズンは普通の一般人にも門戸が開かれ、個性や化学反応を狙ったのだろう。


 もちろん番組側の本音では、多くの一般参加者は“噛ませ犬”になる想定だった。

 才能も経験も、背後の資源も、練習生とは天と地ほどの差がある。

 この芸能界という深海で、そう簡単に“ダークホース”が現れるはずがない。


 だが、凌空だけは知っている。


 最終的にデビューするメンバーのほとんどが“何の後ろ盾もない一般人”だったことを──。

 それが後になって番組が“裏がないクリーンさ”をアピールする最大の証拠ともなった。

 こればかりは番組側も想定外だったのだろうが、凌空はどうにも何か裏があると思っていた。


 ……最も、芸能界のこういう番組に裏がないと信じる奴の方がどうかしているが。




 凌空は柱にもたれながら、電子音で読み上げられる名前を聞きつつ、周囲の参加者たちの表情を淡々と観察していた。

 浮ついた者、強がる者、自信満々の者、怯えを隠せない者──

 しかしそれでも、誰一人として、この場で降りる者はいなかった。


 ここへ踏み込んだ瞬間から、凌空の頭は一度も止まっていなかった。

 彼もこの体の元の持ち主も、歌もダンスも得意ではない。

 唯一の武器といえるのは──

 今の凌空が物語の内容を熟知していること、そして平均より少し良いこの見た目のみ。

 そして今、彼が頼れる最大の切り札はあの原作にはなかった、おそらく自分にしかないであろう“人気値システム”。

 三日後に自分が死ぬ運命に抗うための、唯一のチャンス。



 天井のドーム、柱のパネル、壁の暗がり。

 あらゆる場所のカメラが参加者の仕草を逃さず捉えている。

 しかも、序盤の編集権は完全に番組側の手中。

 属性最弱の“モブ”が、どうすれば監督の目に留まるのか?


 監督だった凌空は知っている。

 “ドラマ性”。

 それこそが良い物語の核だということを。

 キャラのギャップ、窮地での覚醒、予想外の展開──

 そんなピースを監督が巧みに組み合わせて、最も面白い瞬間だけを抽出する。


 面白さとは、滑稽さだけではない。

 悲劇も、絶望も、観客にとっては“快楽”なのだ。

 そして凌空がやるべきことはただ一つ。

 自分を、演じる。

 カメラの向こう側の俳優として、完璧なドラマを作り上げること。


 彼はさりげなく、自分だけが見えるシステム画面を呼び出す。

 そこに浮かぶ刺すような文字──【演技:D-】。

 ……このクソみたいな演技力で、どうやって強烈な印象を残す?

 考えるだけで胃が痛いが、それでもやるしかない。


 参加者たちは、ベルトコンベアに乗せられた部品のように、一人、また一人と“黒い入口”へと吸い込まれていく。

 ふらつく足取りの者、虚勢を張る者、覚悟を決めた瞳の者。

 中へ入った者は、戻ってくるまでの時間がバラバラだった。

 だが、自力で歩いて戻ってきた者は、例外なくボロボロだった。


 青ざめた顔。汗で濡れた髪。

 中には擦り傷や血を滲ませた者もいる。

 彼らは怯えを瞳に宿したまま、案内スタッフに連れられていく。


 誰も何も聞かない。

 聞ける空気ではなかった。


 そして、二分も経たないうちに──

「芸楽エンターテインメント、紫崎 凌空。」

 自分の名が呼ばれた。


 凌空は目を開け、身体を軽くほぐす。

 その動きは奇妙なほど滑らかで、焦りも遅さもない。

 一歩、また一歩。

 無音のリズムを踏むように扉へ向かう。

 背後で扉が静かに閉まり、外界の光も音も断たれた。




 室内は暗闇ではなかった。

 そこは──冷たく滑らかな、巨大な鏡の群れで構成された“異様な空間”。

 いくつもの鏡が果てしなく自分を映し、重なり合い、視界の奥へと伸びていく。

 眩暈を誘う、悪意すら孕んだ鏡迷宮。


 反射した光が歪み、非現実的な不気味さを生んでいた。

 頭上から冷たい無機質な声が響く。


「一次審査開始。カウントダウン──4分59秒。」


 台本、OK

 空間、OK

 役者、OK


 

 ヴン……


 周囲の鏡が水面のように揺らぎ始める。

 それらはゆっくりとねじれ、歪み、冷たい気配が空間に満ちていく。


 鏡の奥で、粘つく闇のような“何か”が蠢き、

 ガラスを爪で削るようなゾワリとした“嘶きいなき”を放った。

 凌空は即座に鏡の角度、光の反射、死角になりうる箇所を読み取る。


 視線が最後に止まったのは、隅に置かれた金属製の小机。

 その上には──

 ナイフ、金属製の棍棒、そして何の変哲もないただの赤い縄が置かれていた。


 鏡の中で歪んだ黒影が、ついに鏡面から這い出始める。

 凌空は一瞬の迷いもなく、床を蹴った。

 その動きに優雅さなど皆無で、しかし、有り得ない“正確さ”があった。

 彼の狙いは──

 刀でも棍棒でもない、赤い縄だった。

 それを掴んだ瞬間、黒い爪が首筋すれすれを横切り、冷たい風が皮膚を切りつける。

 凌空は勢いのまま転がり込み、間一髪で鏡から飛び出した爪撃をかわし、比較的安全な位置へ飛び退いた。




 背を巨大な鏡に預け、荒くはないが深い呼吸。

 額にはうっすらと汗。

 無数の鏡の中、さらに多くの黒影が姿を現す。

 嘶きながら鏡と鏡の間をすり抜け、獲物の隙をうかがっている。


 凌空は息を整えながら、その瞳だけは研ぎ澄まされていた。

 恐怖ではなく、冷静な、どこか一線を画しているような観察する眼差し。

 赤い縄を握りながらも、彼の視線は空間全体をメスのように切り裂いていく。

 鏡面の角度、反射光、敵の軌跡、そして──

 死角に潜む、赤いランプの点いたカメラ。


 脳内で空間が高速で立体化し、全ての可能性が計算されていき、そして組み上がる。

 鏡面の角度、光の跳ね返り、動線、死角——そのすべてが、絵になる。

 ここでどう“見せる”か。

 観客が最初に飲み込むべき一拍目は、派手さじゃない。

 生きている気配、その一点だけで充分だ。


 凌空は息を整え、内側で静かに打ち合わせを始めたように呟く。


「……ファーストカットだ」


 緊張ではない。

 恐怖でもない。


 カメラの前に立つ前に、監督が心の中で必ず鳴らす——

 場の空気を束ねるための合図。


 そして、わずかに目線を上げる。



 Action――

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