小説家になるのはやめました

あらすじ街灯

第1話 小説家になります

 

 小説家になろうと思ったのは、高校一年生の時だった。


 何かドラマ的なきっかけがあったわけではない。元々漫画が好きで何となく漫画を描いてみたいと思い立ち、実際にキャラクターを描いてみると、ヒロインの首から腕が生えているという壊滅的な絵心を目の当たりにし、ほな小説はどうやろうかとなった次第である。


 絵を描くことに熱中を覚えたことはなく、ただ物語を考えるのが好きだったので、それを形にできるなら何でもよかったのだ。しかし自分でも不思議なのが、今まで小説を全く読んだことがなかったのに、小説を書くという発想に至ったことだ。むしろ小説は嫌いだった。小学生の夏休みの宿題で出される読書感想文はいつも泣きながら書いていたし、小説に限らず文字の羅列を見ただけで背中がかゆくなるほどだった。読書感想文にいたっては、一度ウォーリーを探せで書こうとしたくらいだ。


 そんな俺がいきなり小説を書けるはずもなく、試しに何か1冊読んでみようと本屋に向かった。これもまた不思議なもので、能動的に自分から小説に触れていくことには何の抵抗感も感じなかった。むしろワクワクする気持ちが大きかった。


 エロ本コーナーでわざと歩幅を小さくし、悶々とした気持ちを抑えながら何とかして辿りついた小説コーナーで、俺は初めてマイマネーで買う記念すべき一冊目を探した。


『氷菓』というミステリー小説を買った。ご存知の方もいるだろう。古典部シリーズの1作目でアニメ化もしている。その小説を選んだのも特に理由はなく、ただアニメを見て面白かったからに過ぎなかった。


 ほうほう、こんな感じで小説を書いていくのか。


 物語の内容はアニメを観て知っていたので、物語をどう綴るかという視点で小説を読んだ。小学生の時にあれだけ嫌々読んでいた小説をあっという間に読み終わり、さて、早速小説を書いてやろうとスマホのメモアプリを開いた。


 書きたい小説は既にあった。タイトルは今でも覚えている。


『エスケープ・ザ・トイレ』


 短編で、たしかカクヨムにも投稿した気がする。検索したらもしかしたら引っかかるかもしれない。


 肝心の内容はかなりしょーもなく、明確には覚えていないのだが、たしかこんなあらすじだ。


 ある男が公衆トイレでうんこをするのだが、何故かドアが開かなくてトイレの個室に閉じ込められる。困っていたところで、隣の個室にいる人も自分と同じ状況だと発覚するのだが、その人が女で自分は女子トイレに入っていたことに気づく。それから何とかして二人で協力し、トイレから脱出する話だ。


 小説家になろうかカクヨムかで投稿した気がするが、投稿した後の心境は今でも覚えている。


 いいねつかんかな、コメントつかんかな。


 そんなことばかり考えていた。当時は内容にも自信があった。面白いからきっと読んでくれるはずだと。


 投稿してから翌日、俺は友達数人とラウンドワンに行った。体を動かしながらも頭の片隅には『エスケープ・ザ・トイレ』がちらついていた。頻繁にスマホを触っては、通知ベルの赤点がないことに軽くショックを受けての繰り返しだった。


 このまま評価されなかったらどうしよう。もしかしたらどこか内容に問題があるのかもしれない。


 そう思ったらいても立っても居られなくなり、俺はトイレと嘘をついて抜け出した。


 ただ実際に向かったのはトイレだった。そこで内容の修正をしようと思ったのだ。


 トイレに続く通路を歩いていると、青と赤の標識が目に入ってきた。俺は赤の標識に注目した。女子トイレだ。


 主人公はここでミスって女子トイレに入っちまうんだよな。


『エスケープ・ザ・トイレ』の主人公のことを思い出していた。


 そして俺は、そのまま女子トイレに入っていた。


 あとから考えると嘘みたいな話だ。信じられないかもしれない。当選、その時の俺は気づいていない。男子トイレに入ったと思っている。しかし不思議なもので、そのことばかり考えていると、実際に考えた通りの行動を体がしてしまうことがあるのだ。


 女子トイレに入った時、何となく周りがピンクやなと思った。ただ本当に何となくそう思っただけで、まさかそこが女子トイレなんて微塵も疑っていない。


 個室に入るのが目的だったので、小便器があることにも気付かず俺は便座に腰を下ろした。


 何が問題なんだ。設定は面白いはず。男が間違えて女子トイレに入り、そこから出られなくなり、隣室の女と協力してトイレから脱出する。やっぱり面白いじゃないか。


 頭を悩ませていると、複数人の女の声がした。それが異常なことだと気づくまでに3秒くらいかかった。


 え?


 状況は把握した。把握したが気持ちは追いついてこなかった。頭の中で警察、母子家庭で女手一つで育ててくれた母親、高校退学の文字が浮かんできて冷や汗が止まらなくなった。


 その瞬間、スマホが震えた。俺は反射的にスマホを覗いた。


『面白かったです!2人のやり取りに笑いました』


『エスケープ・ザ・トイレ』に初のコメントがきた。


 警察、母親、高校退学、そして小説家という文字が追加で浮かんできた。


 ここで捕まっては俺は小説家になれなくなる。


 当時高校一年生の俺はそんな大袈裟なことを考えていた。本当に馬鹿だったと思う。


 何とかして脱出しなくては。これは俺のエスケープ・ザ・トイレだ。


 やってやるぞ、と立ち上がった時だった。


 隣の部屋から爆竹みたいな屁が聞こえてきた。


 それが俺をひどく冷静にさせた。冷静にさせすぎたかもしれない。自分でもよく分からないが、その音で俺は賢者になったかのように心が澄み、トイレのドアを開けた。


 幸い、誰もいなかった。しかし、その時の俺は幸いとは感じなかった。無だった。俺は当たり前みたいに手を洗って女子トイレを出た。出る瞬間も誰にも見られなかった。本当に今思えば幸いだった。


 自分でも説明しがたい現象が心の中で起こったのは確かだった。その出来事を友達に話すこともなく、俺は冷静にバスケに参加した。


 評価が来なかったらどうしよう。


 そんな不安はもう消えていた。

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