第13話 シゴデキママたぬきの覚悟
沙也加が職場で間違った覚悟をしていた頃。
シゴデキママたぬき――たぬきちもまた、覚悟を決めていた。
「今日こそ、あのゴミ捨て場にいるカラスたちに退いてもらうポン!」
尻尾をピンと立てて臨戦態勢、敵はゴミ捨て場にあり! そう言わんばかりに気合を入れる。その装いは額にハチマキ、子供用のエプロンといったものだ。
だが、表情はまるで戦地に赴くような武士のように精悍な顔つきをしている。
シゴデキママたぬきから、武士たぬきへと華麗なるメタモルフォーゼといったところだろう。
「ポン! ゆくポン!」
右手に回覧板、左手に燃えるゴミ。
額のハチマキをもう一度キュッと縛って、部屋を出て行く。
これもご主人である沙也加の生活圏内をより良くする為だ。
――が。
ふと、たぬきちは気になった。
「ポン……?」
今日は火曜日、燃えるゴミの日。
だというのに、揺らすたび、燃えるゴミ単体では鳴らないはずの、カサカサと乾いた何かが擦れ合う音がしていることを。
「もしかしてポン――」
その瞬間、嫌な予感が駆け巡る。
朝早くに起きて、朝食の準備をし、特製ほうじ茶や沙也加が着ていく服にアイロンをかけて準備しておく。
それが終えたら、ゴミ捨てカレンダーを見ながらゴミを纏めて、再度、分別がちゃんと出来ているのかを確認。
けれど――。
(き、今日はしてないポン!)
そう、今日は沙也加にお願いしたのだ。
たまには、手伝いたいというその意思を尊重するという形で。
(ご主人……これはまたやったポンね……)
それは燃えるゴミと燃えないゴミの分別。
元々、未知の生命が生まれそうなゴミ屋敷に住んでいた。それだからだろう。そういったものには全く明るくなくて、燃えるものは燃えるゴミという、とんでもない自分ルールのもと、捨てていたのだ。
不幸中の幸いだったのは、沙也加がゴミを溜め込むタイプの人間であったこと。
そのおかげで、ゴミ集積場の人間及び、近隣住民の皆さんには、迷惑が掛からなかったのである。
「……そんなこともあったポンね……」
過ぎ去り日を振り返りながら、ほんの少ししみじみするたぬきち。
だが、思考は急加速して、また昨日の出来事を思い出す。
「というか、その時の写真を自分の上司に見せるって、どうかしてるポン!」
【高橋課長のことたぬきちいつ知ったか問題】どうやら酔っ払って見せた写真があったらしいのだ。
けれど、これも不幸中の幸いで、照明が暗かったのと、公園での日々でなんとなく、カメラの存在を知っていたたぬきちの機転のおかげで、家の中で唯一ゴミがなかった
なんという奇跡、いや、さすがはシゴデキたぬきである。
それはそれとして。
時折、湧き出てくるムッとした感情を抑えながらも、たぬきちは、回覧板を靴箱に、燃えるゴミを玄関に下ろした。
そして、キュッと結んだ燃えるゴミの入った半透明のポリ袋を開けて、確認、確認。
すると。
「やっぱりポン……」
その視線の先には、ティッシュや野菜クズといった燃えるゴミの下から、明らかに紙ではない材質の袋があった。
「なんで分別できないポンかね……ご主人は――」
そう呟きながら、音の正体であろうものを取り出す。
そこから出てきたものは――。
「ポン……やっぱり、これだったポンか」
それは、美味しそうなじゃがいもの写真と、【一枚、一枚、職人が気持ちを込めて揚げました】と、想像を掻き立てるような言葉が書かれた袋。中には僅かな食べカスと、これまた少しの油が光っている。
そう、燃えるゴミの中に、沙也加が昨日、どこかで食べたであろう、ポテトチップスの袋が入っていたのだ。
予想通り過ぎて、ピンと立っていた尻尾もいつもの位置になるたぬきち。
(過ぎたことは仕方ないとしてポン……ちゃんとご飯も、おつまみも用意しているのに一体いつ食べたポン?)
普段から十分栄養を取っており、衣食住に困っていない。また生命を脅かすような外敵からの侵略等もない。
このような好条件下では、野生のたぬきであっても、ここまで食い意地を張らない。
「そこまで、働くという行為がストレスとなっているポンか……ポ、ポン」
一瞬、働くということに関して、とんでもない凄さを感じるたぬきちであったが――。
「ポン! 違う違うポン!」
ブンブンと勢いよく頭を振って、正気に戻った。
(確かに働いてくれることはありがたいことポン! でも、それとこれとは別ポン! そもそも、隠そうとしたことが一番良くないことポン!)
そうなのだ。
確かに沙也加は、「未だに紙ベースでの打ち合わせをやめてほしい」とか、「会議をする為の会議を禁止してほしい」などと、会社に向かう時、それはもう見れたものではない顔を何度もしていた。
この事実は、どれだけ情けなくても、どうやって働いているのか想像できなくとも、揺るぎないもの。
それは、ずっと傍にいたたぬきちが一番良く知っている。
けれど、今回の一件とは別問題。
沙也加は、ポテチを食べたことを怒られるかもしれないと思っていたのだろう。
奥の方に隠すように捨てられていたのだ。
その上で、燃えるゴミと燃えないゴミに間違えたのである。
呆れてものも言えないというのは、まさにこういうことだろう。
こうなってしまっては、沙也加の『たまには手伝いたい』という好意の意味合いが違ってくるのだ。
「ポン! これは、家に帰ったら問い詰めないとポンね!」
たぬきちは、フンと鼻を鳴らしながらも思考を切り替えた。
「それはそれとしてポン! まずは、ゴミ捨て場に行かないといけないポン!」
このたぬき、一応、動物……犬の親戚だというのに怒りに支配されることなどないのだ。
理由は単純明快。
これくらいのことで、怒っていては、自身の身が持たないことを知っているからである。
「明鏡止水の心ポン……明鏡止水の心ポン……」
ブツブツ呟きながら目を瞑り、波紋が収まっていく水面を想像して、心を落ち着かせる。完璧といっていいほどのメンタルコントロール。
シゴデキママたぬき称号は、伊達ではないのだ。
ひとしきり気持ちを整理出来たら、たぬきちは一息ゆっくり吐いてキッチンに向かっていく。
そして、食器棚の横にある、燃えないゴミ用のゴミ箱にポテトチップスの袋を捨てた。
「これでよしポン!」
そういって、ゴミ箱を閉めると、シンク横の照明スイッチの少し上に位置する、壁掛け式モニターに表示された時間を見て、固まった。
時刻八時半。
大体、いつもこの時間に、あの定番のメロディが扉の方から微かに聞こえ始めてくるのだ。
「ポ、ポン! もうすぐ、ゴミ収集車が来る時間ポン!」
こうなってしまっては、カラスとの仁義なき戦いどころではない。
(今、一番優先することは、ゴミを捨てることポン!)
今捨てないと、次に燃えるゴミを捨てていい日は、三日後の金曜日となってしまう。
「ダッシュで行くポン!」
そういうと、駆け足で玄関に向かい開けっ放しになっていたゴミ袋を慣れた手つきで縛り、そこから流れるような動きで、靴箱の上に置いた回覧板へと手をかけて家をあとにした。
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