鏡の向こうの私たち
おーへや
鏡の向こうのあたし
あたしの名前は
好きな食べ物は唐揚げとドーナツのどこにでもいる普通の女子学生!だったはずなのに、あたしの人生は何気ない一言によって変わった。
「あいつマジでブスじゃね?」
男子の放ったその言葉は、まるでガラスの破片のように深く突き刺さり、抜け落ちることなく残り続けた。
今まで深く考えたことがなかったが、もしかしたらあたしって見るに堪えない顔?不安が募り、一日中そのことばかり考えてしまう。
それからあたしは誕生日プレゼントに鏡を買ってもらって、毎日、何時間も鏡と向き合った。
ニキビを治す方法、ダイエット、バレないメイク、トレンドのファッション……。
「美鎖、今日はあんたの好きな唐揚げだよ~!」
下の階から聞こえてくる明るい母の声。
「ただいまー!美鎖、ドーナツ買ってきたぞ」
箱を掲げて嬉しそうに笑う父の姿。
「揚げ物はダメ!揚げ物はダメ!放っておいて!」
あたしは誘惑を断ち切るため部屋に閉じこもり、両親は不安げに顔を見合わせた。
「あの子どうしたのかしら」
「最近痩せすぎじゃないか?」
バイトを始めてから貯めたお金で整形にも手を出した。以前より二重に大きくなった目、通った鼻筋、ニキビ跡も薄くなってきた。うん、いい感じ!
――けれど、まだ足りない。
「歯並び良くないな~。ゲッ、矯正ってこんなに高いんだ。もっと働かないと」
そんな努力の甲斐あってか、あたしは入社した会社で美人と評判になり、垢抜けない頃と比べて周囲の対応も一変した!
男性には重たい荷物を運んでもらえたり、好意の眼差しを向けられ、女性からはキレイだね、おしゃれだねと褒めてもらい、あたしの承認欲求を大いに潤した。
――順風満帆。
......だった、あの女が現れるまでは。
新卒の後輩で、雪のように白い肌に、吸い込まれそうな黒い瞳、桜色の小さな唇。まるで絵本の中からお姫様が抜け出してきたかのよう。
美しく、清らか、おしとやかで、自然体。彼女は瞬く間に職場の人気者となり、あたしの天下は終わりを告げた。
「雪ちゃん、肌めっちゃきれいだね!何かしてるの?」
「あっ、えと、特に何も......。た、たくさん眠ってるだけですよ!」
「かわいい~~!」
チヤホヤされている真白雪を遠巻きに見つめながら、あたしは心の中で呪詛を放った。
(は?何もしてないって?嘘つけ!このあざと女!)
ふいに真白雪と目が合い、にこりと微笑みかけてきた。あの女とはやたら目が合う。
そして、か細い声で、
「九印さん......、少しお話できるかな?」
とモジモジしながら聞いてくるのだ。
あたしは問答無用で無視してやった。
気に入らない。実に気に入らない。
己の努力なんて生まれ持った美貌には勝てないのだという圧倒的敗北感、屈辱感。嗚呼、神様はなんて不公平なのかしら。
そんなわけで、あたしはくだらない嫉妬心から真白雪に嫌がらせを繰り返していた。仕事を押し付けてミスを誘い、話しかけられても無視を決めこむ。
そしてあの日。
階段を降りている真白を見かけたあたしは、背後からそっと近づき、軽く押して驚かせてやろうと思った。けれど、彼女は気配を読むかのように後ろを振り返り、体を咄嗟に横へとずらす。
次の瞬間、あたしは足を滑らせそのまま階段を転げ落ちて、
――目覚めた時には、白い天井があった。
「美鎖!よかった.....!」
ホッとした表情を浮かべる両親、先生。
引き攣れるような痛みが顔を這う。
「......お母さん、お願い。鏡、持ってきて」
やがて枕元に置かれた鏡を覗き込んで、あたしは息を呑んだ。
なんて醜い。見るに堪えない。
頭を掻きむしり、シーツを握りしめ、泣き叫びたい衝動に駆られた。
自業自得。
心の中で誰かがそう囁いた。
ベッドの上で、あたしは一晩中天井を見つめていた。眠れない。未来が真っ暗だった。
「九印さん、お見舞いですよ」
看護師の声と共に、甘やかな果実の香りが病室にふわりと漂ってくる。
入ってきたのは、白いワンピースに身を包んだ黒髪の女――真白雪だった。
「......こんにちは」
「......意地悪して、突き落とそうとした相手の見舞いによく来れるね」
突き放すような言葉を向けると、真白は長いまつ毛を震わせ、静かに果物が入った籠をテーブルに置いた。
「美鎖ちゃん、覚えてないかな」
そう言って、彼女は一枚の写真を差し出す。
そこに写っていたのは、ニキビだらけでふっくらとした一重の少女。かつてのあたしの姿だった。
「こっちが、私.....」
写真の端を指さす真白。前髪が長くて顔が見えない、色白で小柄な少女。写真を見た瞬間に懐かしさを覚えて、頭の奥底に眠っていた記憶が取り出される。
真白は昔、"暗井 雪"という名前だった。
親が再婚して苗字が変わったのだという。成長した真白の外見は学生時代と比べても別人のように変わっていた。
昔の彼女は内気で吃音があり、クラスでいつもひとりぼっち。弱気な性格から舐められることも多かった少女。
そんないじめられていた彼女を助けたのが、あたしだった。随分と昔の出来事に思えてくる。
「......練習して、す、少しは喋れるようになったけど、性格は臆病で、弱いまま......。で、でも、そう簡単には変えられないし、もう、このままでいいかなって....」
あたしの胸に遠い昔の記憶が蘇る。
前髪で顔を隠した雪が、頬をりんごのように赤く染めながらお礼を言ってきたこと。
『あっ、ありがとう......み、美鎖ちゃん』
時間はかかったけど、あたしはリハビリを終えて職場に復帰した。顔の傷は癒えていない。鏡を見れば、どうしようもない気持ちが湧き上がる。
それでも、前より心が軽くなった気がする。胸にこびりついていた泥のような不安が、 少しずつ剥がれ落ちるように。
このままでいい。これが、あたし。
「み、美鎖ちゃんのお弁当......、とっても、美味しそうだね!」
唐揚げ特盛弁当と広げるあたしに、雪が照れたように声をかける。その隣にはミセスドーナツの箱。
「でしょ?一個あげるよ」
そう言ってエンゼルクリームを手渡すと、雪は目を丸くしてから、白い頬をふわっとバラ色に染めた。
「あ、ありがとう、美鎖ちゃん!」
鏡の向こうの私たち おーへや @Oheyakurashi3
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