第19話:聖域、腐った神の庭
魔都から北へ三日。 鬱蒼(うっそう)とした森を抜けると、視界が一気に開けた。
「……うわぁ、綺麗」
テツが思わず声を漏らす。 目の前に広がっていたのは、白亜の城壁に囲まれた美しい宗教都市だった。 中心には、山を背負うようにして巨大な「大社(たいしゃ)」が鎮座している。 朱色の鳥居が幾重にも連なり、手入れされた庭園には季節外れの桜が咲き乱れていた。
ここが「聖域」。 人間たちが神を崇(あが)め、救いを求める最後の楽園。
だが、迅(ジン)は眉間に深い皺(しわ)を刻んだ。
「……臭(くせ)ェ」
「え? いい匂いだよ? お香みたいな……」
「違う。その下の匂いだ」
迅は鼻を鳴らす。 漂ってくるのは、白檀(びゃくだん)の上品な香りに隠された、死体と汚物の腐臭だ。 魔都の欲望剥き出しの空気の方が、まだ幾分かマシだと思えるほどに、陰湿で粘り気のある気配。
二人が門へ近づくと、白装束に身を包んだ神職(しんしょく)たちが、巡礼者たちを検問していた。
「神の御許(みもと)へようこそ。……寄付金は金貨三枚になります」
「そ、そんな……! 全財産をはたいてここまで来たんです! どうかお慈悲を!」
ボロボロの服を着た老婆が縋(すが)りつく。 だが、神職は慈愛に満ちた笑顔で、老婆を蹴り飛ばした。
「金を持たぬ者に、救いはありません。……不浄な者は去りなさい」
「ああっ……神様ぁ……!」
老婆が泣き崩れる中、周囲の巡礼者たちは誰も助けようとしない。 むしろ、「穢(けが)れた者」を見るような冷ややかな目で老婆を見下ろしている。
(狂ってやがる)
迅は舌打ちした。 ここは楽園ではない。 「信仰」という名の皮を被った、搾取と選民思想の養殖場だ。
「……行くぞ」
迅は門番に金貨を投げつけ、無言で門をくぐる。 テツが不安そうに彼の袖を掴む。
「ジン……ここ、やっぱり変だよ。建物の柱……鉄の味がしない。中が空っぽみたいな音がする」
「ハリボテってことだ。神様も、建物もな」
大通りを進むと、広場に人だかりが出来ていた。 人々が熱狂的な眼差しで見つめる先、処刑台のような舞台に、一人の男が縛り付けられている。
「見よ! 鬼と通じた裏切り者だ!」 「浄化せよ! 浄化せよ!」
神職が叫ぶと、民衆が大歓声を上げる。 男は「私は何もしていない!」と叫んでいるが、誰も聞く耳を持たない。 この街では、神職の言葉こそが絶対の法律なのだ。
「……見つかったか」
迅の視線が、大社の最奥――巨大な本殿の方角へ向く。 そこから、微かに、だが確実に「あの女」の気配が漂ってくる。
緋桜(ヒザクラ)。 彼女はこの狂った街のどこかで、この茶番劇を嗤(わら)いながら見下ろしているに違いない。
「……始めようぜ、テツ」
迅は凶悪な笑みを浮かべた。
「この腐った箱庭を、根元からひっくり返してやる」
聖なる鐘の音が鳴り響く。 それは、聖域の崩壊を告げる弔鐘(ちょうしょう)のようにも聞こえた。
(続く)
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