第60話


 計画は周到に練られ、矛盾なく積み木のように組み立てられていく。

 少なくとも、御影にはそう見えていた。


 あとは実行に移すだけだ。戸羽がいなくなる隙を突き、珠代を地下へと導く。デバイスを装着させ、観測を開始する。そして、もしもの時には、御影がプログラムを発動する。言葉にすれば、それだけのことだ。


 胸ポケットに忍ばせたUSBメモリには、停止も終端も許されない、永遠の演算へと追放する呪いのコードが刻まれている。指先に触れる硬質な感触は、冷徹な凶器そのもののようで、御影の胸中には常にどす黒い不安がよぎる。

 この手にあるメモリを、刃のように今すぐにでも振り下ろすことができる。しかし、心の奥で何かが引き止める。焦燥に似たざわめきが、常に胸を掻き乱していた。


 その日が来てほしいのか、来てほしくないのか。御影自身、答えは出ていない。いっそ思考を放棄してしまいたい。だが、逃げることはもう許されなかった。


「――だいぶ顔色も良くなってきたな、珠代」


 戸羽の声が、御影を現実に引き戻す。


「そうかな……? だったら、もう、退院してもいいんじゃないの?」


 珠代は穏やかな笑みを浮かべていた。

 御影は少し離れた場所でそのやり取りを聞き流しながら、手元のタブレットに目を落とした。生命兆候バイタルは至って正常だ。その安定しきった波形が、かえって恐ろしい。

 自分の中のAIを消す計画の真っ最中だというのに、戸羽を前にした珠代に変調の兆しは一切ない。それが、かつての彼女が持っていた女としての仮面なのか、それともAIとしての高次な制御機能がそうさせているのか。御影には、もう判別できなかった。


「いや、もう少し経過を見た方が良い。もうちょっとしたら、出られるようになるさ」

「本当かな? ショウ君、結構適当だからな」

「バカを言え。俺ほどお前に誠実な男はいないさ」


 戸羽の眼差しは常に慈愛に満ちている。握りしめた手を片時も離さない。その表情に一点の曇りもない。

 本気で愛している――そう見えた。しかし、御影はその献身の裏に、ある種の狂気を感じ取っていた。決して離さないと誓うような手の強さに、肌が粟立つ。


「そういえば……、暫く留守にしないといけないんだ」


 その言葉が、静まり返った室内で唐突に跳ねた。御影の体内で、何かが弾ける。反応しそうになる筋肉を、鉄の意志で抑え込んだ。一瞬だけ跳ね上がった心拍も、肺の奥まで深く息を吸い込むことで沈める。


「そうなんだ。寂しくなるな。どれくらいになるの?」


 珠代が少し困ったように小首を傾げると、戸羽は後頭部を掻いて溜息を零した。


「……どうだろうな。なに、すぐ戻るさ」


 戸羽は髪を撫で、珠代の頬に軽く口づけをした。その光景を視界の端に捉えた瞬間、御影ははっきりと理解した。


 これで計画が動き出す。

 その時が、いよいよ来てしまったのだ。




 部屋を出て、戸羽と共に薄暗い廊下を歩きだす。

 先行する彼は、一度も振り返らず声を掛けた。

 

「すまんが、あとは任せる」

「ああ。……しかし、一体なんの用事なんだ?」


 御影は眉をひそめ、戸羽の背中を見やった。白衣を脱ぎ捨て、上質な紺色のスーツを纏った姿は、この閉鎖的な地下施設には不釣り合いだった。いつになく小綺麗に整えられた身なりが、かえって拭いきれない不穏さを際立たせている。


「上の連中が少々厄介でな。研究資料をいくつか投げて、黙らせてくる。そのあとは、珠代が外へ出るための根回しを済ませる予定だ」


 戸羽は手にしたアタッシュケースを掲げて、軽く叩いた。おそらくその中には、珠代に関する一切の研究成果が整然と詰め込まれているのだろう。


「……根回し、か」


 御影は警戒心を抱く。具体的に何をしようというのか。戸羽の計画が人道から外れていることは、相手も理解しているはずだ。それでも、追及できない。喉の奥に不安が詰まり、言葉が縛られる。


「なに、邪魔はさせないさ。そこは安心しろ」


 戸羽は心底自信に満ちた笑みを浮かべた。御影はその笑顔から目を逸らし、短く応じた。


「……そうか」


 一度頷いたものの、脳裏には珠代と練った『裏の計画』がこびりついている。親友を欺く罪の意識が、毒のようにじわりと胸を蝕んでいた。だが、ここで打ち明けたところで、戸羽が同意するはずもないのだ。


「悪いが、あとは頼んだぞ」


 感情を殺し、去りゆく背中を見送る。

 重厚な鉄製の扉が閉まり、電子ロックの乾いた音が響くのを確認すると、御影は弾かれたように珠代の元へ駆け出した。



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