承認の海を漂う

@eNu_318_

承認の海を漂う

 SNSは、私にとって“期待しながらも疲れる場所”だ。

 投稿を上げる瞬間には、どこかで小さく期待している。それが写真であれ言葉であれ、「誰かが見て、反応してくれるかもしれない」という淡い期待。しかし更新した画面に反応が少ないと、その期待はじわじわと焦りに姿を変えていく。まるで池に投げた小石が、思ったよりも小さな波紋しか生まなかったと気づいたときのように。

 反対に、ふとした投稿で「いいね」やコメントが多く付くと、予想外の嬉しさが胸に広がる。その瞬間はたしかに気持ちが軽くなるのだけれど、同時に、どうしようもない不安も顔を出す。「軽い投稿には反応があるのに、時間をかけた言葉は誰にも届かないのか?」その落差が、私の価値の輪郭を曖昧にしていく。期待と焦りと不安の中で、自分の存在が振り回されてしまうのだ。

 SNS上の私はいつも明るく、元気で、軽やかだ。楽しかった思い出、嬉しかった出来事、少し笑える瞬間——そんな“きれいな部分”だけを選んでは並べる。けれど現実には、自己の弱い部分が日常を影のようにまとわりついている。弱音や迷いを投稿しないのは、それを見せることで自分が弱く見えるのが怖いからだろう。明るく、元気な自分を演じた方が、誰にも迷惑をかけずに済むと感じてしまう。

 そんな私に訪れるのが、反応に一喜一憂した後の、あの静かな「無力感」と「自己嫌悪」だ。期待し、反応を見て、安心し、落ち込む。このサイクルの中で、本来の自分はどこへ向かっているのかわからなくなる瞬間がある。SNS上の明るい私と、現実の疲れた私。そのギャップを埋めるために、私はさらに“明るい投稿”を重ね、現実の自分をまた少し置き去りにする。

 でも——そんな循環を断ち切るように、私を現実へ引き戻すものがある。

 それは、本を読む時間や、ギターやピアノを弾くときの、あの静かな時間だ。SNSとは違い、そこには評価も「いいね」もない。見ている人も、期待している誰かもいない。指先の感触や、紙の匂い、自分の呼吸だけがそこにあって、「これが自分だ」と思える瞬間が、ゆっくりと体の奥に芯を通してくれる。

 SNSが“他者の視線の中で編集された私”だとすれば、本やギター、ピアノの中にいる私は、“評価から解放された私”。どちらも嘘ではない。けれど、後者の方が、ずっと素直で、ずっと静かで、ずっと私に近い。

 SNSを完全に否定するつもりはない。そこには他者とつながる喜びがあり、新しい自分の一面を知るきっかけもある。ただ、求められる自分を演じすぎると、私はすぐに無力感に沈み、自己嫌悪に溺れてしまう。

 もう“いいね”という承認の波に流されて消耗するばかりの自分でいたくない。これからは、期待と焦りと不安の間で揺れながらも、少しずつ、現実の自分と向き合っていきたいと思う。自分の内側から聞こえる小さな声を、ちゃんと拾えるように。

 SNSの自分と、静かな趣味の中にいる自分——そのどちらも抱えたまま、自分のペースで歩きだそう。

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