第八話『Core is VOID?』

 看板のネオンの色を切り替えていた。

『真上』から降りて来る飛行車が、街のネオンを遮り、俺の周囲に濃い影を落としていた。


落ちて来る影の主を探すように、目を上に上げる。

見慣れた飛行車だった。


彼は『上層』の身となりながら「愛着が強いからさ」と言い、ずっと同じ飛行車に乗り続けている。


店前のスペースへ停車する。

重力モーターの駆動音が消え、ライトが消える。

ドアが開く。


「今日は随分早い時間に来るじゃないか。〝シグ〟」


上層へ行った幼馴染が、姿を現した。


「やっぱり前回から空いちまった。悪いな〝リム〟」


「すぐ来る」と言いながらもやはり忙しいのだろう。

またしても久しぶりの再会となったが、あふれ出すその遠い日の気配を引き連れて、店の中へと向かう。


その足取りは普段よりも軽くなっているような気がした。


ネオンの光が、彼のコートを滑っていく。

この街には、どこか浮いて見える光沢があった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 夜の営業が始まるころにシグが訪れるのは珍しい。

普段であれば『上層』の仕事が忙しいらしく、深夜に短時間だけ現れるのが定番となっていた。

見るからに撥水性の高い、上等な――だが使い込まれた風合いのコートを脱ぎ、椅子に無造作に掛けた。


「リム。今日はさ。〝呼び出されるようなことぜんぶ〟始末してきたんだ」


シグの声の調子は普段よりも明らかに明るかった。

きっと久しぶりに、本当の意味でさっぱりとした気持ちで来てくれたのだろう。


「そう言いながらすぐに帰るなんてナシだぜ?」


意地悪く、そう返事をした。

実際に、以前彼が来店して、ものの二十分ほどで帰って行ったこともあったからだ。


「大丈夫だって。今日は本当に!だからとりあえず今日も〝マーボー〟と〝もとビール〟頼むよ」


彼の注文通りに俺はキッチンへ向かい、粉を取り出し〝もとビール〟を作り、グラスをシグの前へやる。

それからまた振り返り、料理を作り始める。

そのビールを味わう気配が、見なくても伝わって来た。


「――ッ!やっぱり俺は〝もと〟が一番好きだな。それもリム。お前が作るやつが一番美味い」


その肩から疲れが抜けて行くのが、目に見えるようだった。

きっと本心なのだろう。

自分からすれば〝高級品〟である『上層産の缶ビール』はそうとう美味く感じるが。


「〝上層様〟からそんな言葉いただけるなんて光栄だな」


若干の皮肉を込めてそう返した。

とはいえ、本気でその立場を羨んでいるわけではない。

そしてシグもまたそれをわかっている。

だからこそ――


「そうやって言ってくれると思ったよ。ただ、お前の作るビールが美味いのは本当だぜ?」


少しだけグラスに視線を落とし、それでも本当に嬉しそうにシグは言った。

そうして更けていく夜に、酸性雨は優しく窓を濡らしていた。



 その静寂を破壊するような、エネルギーに満ち溢れた明朗快活な声が響く。


「ちわース!伝達屋っス!」


タイミングがいいんだか悪いんだか〝伝達屋のハルカ〟がデリバリーの注文を取りにきた。


「今日は〝EBIヌードル〟1つ、〝マーボー〟1つ〝偽緑ニセミドリGuグルタミン炒め〟1つ、あと〝もとビール〟2つお願いでーす!」


そう言い終わると同時に、普段通りに店の冷蔵庫を勝手に開け、飲用水瓶を取り出した。

カウンターへ振り返り、ようやくシグが座っていることに気付いたようだ。


「おつかれ。今用意するから座って待ってな…と言いたいところだけど、テーブルまだ片づけてないんだ。カウンター相席でいいか?」


シグはニヤリとひとつ、悪そうに笑った。

ハルカは「うぃース!」といつも通りに、当然のようにシグの横へ腰を下ろした。


彼女は視線をチラっと横へやると、シグの胸元に光る『上層』の証である、〝太陽を象った〟らしい『徽章きしょう』が目に入ったようだ。

ぎょっとした表情をしながら、口元に手をかざし、小声でこちらへ話しかけてくる。


「ちょ、ちょっとマスター!なんスか横の人!『上層様』じゃないっスか!」


なんでマスターの店なんかに!と失礼なセリフを添えて。


「さぁねぇ」と適当に返しながら、内心口角が上がるのを抑えていた。

ビールのグラスに視線を落としたシグは、手で口を覆って笑いをこらえ肩が揺れていた。

そしてその〝丸聞こえのひそひそ話〟に返事をするように口を開いた。


「いつも世話になってるね。『ハルカ』ちゃん」


カウンターから身を乗り出したままのハルカは、口元の手をそのままに硬直し、みるみる顔から血の気が引いていく。


「な、なんで『上層様』がウチなんかの名前を…!?」


〝ギ、ギ、ギ〟

首からそんな音が聞こえてくるような動きをして彼女はシグのほうを向く。


だが、それはもっともな疑問だ。


「実はさ。いつもこの店の注文を上層の入り口まで運んでもらってるの、俺なんだ。」


ハルカの頭はメモリ不足のように固まったままだ。


「自己紹介がまだだったね。俺は『ノクト・エイ・シグ』。今後とも〝伝達〟頼むよ」


チップは弾むぜ?と、シグは悪そうに自己紹介をした。

〝登って〟から悪役顔が身についたんじゃないか?

そんなことを思わせる表情を、シグはしていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 アワアワとずっと落ち着きがなく、震えながら水を飲むハルカ。

それを肴に酒を煽るシグ。

良く知った顔なのに見たことのない一面がこうして見れるなら、こんな店でも少しは意義が見出せるな。


そんなことを考えながらデリバリーの注文に取り掛かる。

忙しい手元で、しばし会話からおさらばだ。


キッチンに向かい、電熱線コンロへ深いフライパンを置く。

たんぱく粉を水で練り容器で固めたものを冷蔵庫から取り出し、二センチメートルくらいの等間隔で切り刻んで、水を入れたフライパンへ投入して少し煮込む。

水の量を調整しながら、グルタミン=パウダーとRTXソースを混ぜる。


…いつも目分量で、前に辛さが違うと文句を言われたが、知ったこっちゃない。


中にCO2を原料とした人工でんぷんを投入する。

混ぜながら火加減を見る。

もう少し煮込んで、粘り気が出たら完成だ。


煮込んでる間にもう一方のコンロにもフライパンをセットする。

苔油オイルサンウィードを、少し多めに入れ電熱線のスイッチを入れる。



温まってきたら偽緑ニセミドリを投入する。

ジュッという音とともに香りが立つ。


この時かび臭さが出るようなら、古い偽緑ニセミドリだ。


火を入れながらグルタミン=パウダーを振る。

多けりゃ多いほど美味い。


全体が鮮やかな緑色になれば完成だ。


そして三つ目のコンロで沸かしておいた飲用水でEBIヌードルを作り、素ビールの粉を小袋へ詰め、飲用水ボトルへ添える。


すべてをパッキングしてカウンターのほうへ向き直る。


「ハルカ。待たせたな。できたぞ」


まだ動揺が収まらない様子の彼女は、名前を呼ばれてようやくハッとした様子だった。


「あ、あざっス!いただきます!……じゃない!ごちそうさま!じゃなくて、あの、あざっス!」


横でシグがビールを吹き出した。

ハルカはデリバリーの商品を全て受け取り、いまだに慣れない〝異端者〟のシグへ尊敬でも畏怖でもない、謎の感情をぶつけた。


「あ、あの!シグさん!いつもあの怖いビルの入口まで伝達さしてもらってありがとっス!」


おかげで『上層の人間』を目の前にしながら本音が漏れていた。


「じゃ、じゃあもう来ないっス!マスター!……え!?違う!えっと、とりあえず覚えといてください!」


そんな三下のようなセリフを吐き捨て、〝ピュー〟という音が聞こえそうな勢いで、一目散に出口へと吸い込まれて行った。


「ああいう子が、一番『中層』を思い出して、つい意地悪したくなる」


そう笑うシグからは慈悲も憐憫も感じられない。


本当の『中層』を知りつつ、そこを抜けた者だけが見せる、ちょっと意地悪な〝郷愁〟の顔だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「――リム。お前今、幸せか?」


五杯ほどビールを飲んだころだろうか。

幼馴染からそんなセリフがこぼれていた。


「急にどうしたんだ?お前、死ぬのか?」


笑いながらふたりで酒を煽る。

時刻はすでに午前零時を回っており、街のネオンはやや落ち着きを見せ始めていた。

今日は新しい客はもう、来ないだろう。


「いや、前に言ったろ?良い役職に就けたって」


そういえばそんなことを言っていた。

『上層』要は世界救出機構W S Iで出世したのだとか。

確か――


「『世界救出機構 酸性雨対策室 技術主要専任者』な」


…それだ。


それからシグはポツリ、ポツリ、と愚痴のような、弱音のような、近況報告を始めた。

カウンターに猫背で覆いかぶさるように座り、残り少ないビールが入ったグラスは、酸性雨の湿気で結露を作り、一滴流れ、紙製のコースターへ吸い込まれて行った。


「――雲の上に行けばさ、すべてがわかると思ってたんだ」


幼き日のシグ少年はその一心で『上層』を目指した。

大人になるにつれ、それだけではないことも、わかっていた。

それでも軸はブレず、だからこそ今、こうしてシグは〝雲の上〟にたどり着けたのだと思っている。


「それでも太陽は見えたじゃないか」


考えなしに出た言葉じゃない。

だが、慰めにならないことはわかっていた。


水滴がまた一滴、流れて行く。


この店にくるシグが見せる〝郷愁〟

それはシグにしか抱けない感情だ。


「〝太陽〟……か。確かに本物の太陽は見れたよ。明るくて……暖かかった。でもさ、リム。太陽は……近づけば近づくほど、眩しすぎて何も見えない。それでも、目を凝らしたくなる。俺たちって、そういう生き物なんだよな」


外のネオンがまたひとつ。

街の闇へと溶けて行く。


「俺はさ、本当に〝雲の上〟がどうなってるのか知りたかったんだ。でもそれがゴールにならないなんて、考えたことも無かった。今でもそうさ」


残りのビールを飲み干し、それを燃料に変えてシグは続ける。


「いつも『中層』にいたころのほうが幸せだった。なんて弱音吐くけど、本当なんだ。でもさ『上層』で〝知る〟ことの喜びも本当に大きいんだ」


その言葉に偽りはひとつもないことを、俺ははっきりとわかっている。

自分にも言える。

『中層』での暮らしに一喜一憂し、シグから聞く『上層』の話に好奇心は強く、揺さぶられる。

立場は大きく離れているが、シグの気持ちはわかっているつもりだ。


俺は、シグを誇らしく思っている。

高みを目指し、それを言葉通りに実現させた男だ。

尊敬と言い換えてもいい。

そんな感情を抱いていた。


「だからかな、リムはすごいよ」


予想外のセリフがシグから放たれ、俺は混乱してしまう。

なぜ彼からそんなことを言われるのか、まるで見当がつかなかった。


「リムにも〝好奇心〟はあるだろ?子供の頃『一緒に雲の上を見よう』なんて言ってたじゃないか。それでもリムはしっかりと現実を見極めて、自分に一番合った生き方を見つけてる」


言われて気付く。

そこに大義も無ければ理想も無い。

そんな風に日々暮らしているつもりだったが、違う。

この店は目的のための〝手段〟のひとつだったと、シグの言葉で気付かされた。


――俺は『生きること』を一番の目的として暮らしていたんだ。



 「だからさ。リム。俺はお前が本当に誇らしいよ」


それでも、どうにも幼馴染からのシリアスなセリフは気恥ずかしい。

それも、皆が寝静まる深夜に、酒を飲みながら、カウンターで、となると効果は十倍だ。


「飲みすぎじゃないのか?『上層様』よ」


いつも通りそうはぐらかそうとした。

しかしシグは――


猫背のまま空になったグラスを見つめて、小さく、誰にも届かない笑みをこぼした。


「――何かあったのか?」


いつもと違う雰囲気に堪えきれなくなり、ついストレートに言葉をぶつける。


「何かあった。ってわけじゃない。ただ、自分の立場が上がれば上がるほど『中層』が遠くなって行く気がしてさ……ん?」


そう、言葉尻を切り、ようだった。


「なんでもない。ただの全体通知だ」


シグは耳に埋め込まれている〝ALCUSアルクス-A〟を操作していた。


どこか既視感のあるその佇まいだったが、思い出すことはできなかった。

…いつだ。

どこで俺は、この光景を見た?


一瞬記憶を巡る。

酒に酔った頭は回らない。


考えているとシグは「話を切って悪いな」と続けた。


「『中層』はどんどん遠くなる気がするし、知れば知るほど『上』は果てが無いんだ」


そこには複雑な感情が入り混じっているように見えた。

それでもシグは――『上層の彼』はその全てを俺に伝えることはできない。

この世界は、そう、出来ている。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 シグは何度目かの「これでラストにするから」というセリフと共に、九杯目のビールに手をかけていた。


弱音を吐き切り、普段通りの軽快で知的な、シグの顔がそこにはあった。


「『上層』の特権さ!〝CD〟があるんだって!」


声のボリュームがやや大きくなり、ようやく自慢話も増えてきた。

――酔っ払いのそれだ。


だが、俺はそんなシグの〝自慢話〟が大好きだった。

それを聞くと本当にコイツと幼馴染で良かったと思える。


シグは自ら自慢話をするタイプじゃない。

それが〝人に不快感を与える〟ことをものすごく自覚している。

そしてその自慢の内容が、特別に面白いわけでもない。


ただ話を聞いて、シグが『上層に暮らしているのだ』という輪郭が、ようやく実態となっている気がするのだ。

その眩しさがどうにも誇らしくて、愉快で、幼気いたいけで――。


俺は、中層のこの店では心から酔えるシグの〝自慢話〟の時間が大好きだった。


「大いに酔っぱらってもらって嬉しいけど、言っちゃヤバいこと言ってないんだろうな?」


酔いどれ指数を測る意味も込めて、お決まりの質問をぶつけてみた。


「大丈~夫だって!前にも言ったろ?『言わないんじゃなく言えない』だよ」


かなり酔っているように見えるが、〝人類史に残すべきコミック〟のセリフを引用できる程度には大丈夫みたいだ。


「例えばさ、リム。〝WSIの技術主要専任者様〟のありがたい講義として取っておけよ。古い歴史だと上層には牽引者って■■■■■■■■――――――」



「門外漢の俺にはよくわからんな」



――ん?


一瞬違和感を覚えた。


初めて見るような、聞いたことのあるような沈黙だ。


〝デジャヴ〟とは逆の現象のように今一瞬この世界が『空間ごと切り取られた』ような感覚があった。


たぶん酒のせいだろう。


彼と話すと酒が進むせいで、前にもこういうことがあった気がする。


「とりあえず本当にそのビールでラストにしとけよ」


グラスの中身はまだあったが、その横に飲用水瓶を添えた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 結局、閉店まで居座ったシグを力づくで飛行車へ押し込み、顔を認証機器へ押し付けた。

シグはすでに半分寝ているような状態まで出来上がっていた。


『――11・B\H/え=C-134*55#71/D5534651。認証完了。起動します』


飛行車が喋る。

どうせコイツは全自動でシグを家まで持っていく。

あとはほっといて大丈夫だろう。


「じゃあなシグ。近いうちまた来いよ。――あとはよろしく頼むよ」


俺は〝シグと飛行車〟へ別れの挨拶を済ませた。

数歩後ろへ下がると自動でドアが閉まり、ライトが点灯する。


重力モーターの駆動音が響き、いつも通り真上へと飛行を始めた。

だんだん小さくなるその影を、雲の中へ消えるまで見送った。



 店に戻り、片づけを始める。

普段通りのルーティンが妙に静かだった。



 シグは上を目指しひたすら駆け上がった。

ふと、自分の足取りを振り返る。

故郷はだんだんと霞んで、足場のバランスも悪くなっていく。



好奇心にかどわかされ、上だけを見ても生きることは難しい。

登れば登るほど、太陽からの暖かさは一変して、好奇心を燃やし尽くそうとする。

だが俺はそんなシグを心の底から尊敬している。


登ったシグがいたからこそ気付かされた。


〝『生きること』を一番の目的として暮らしていた〟


当たり前の意識で過ごしてきた今日も、きっと明日も――

俺はただ、生きるために、生きていく。


過去に縛られても進めない。

未来を見ても戻れない。


今、この場所で。

生きる。


窓には、乱反射したネオンが、怪しく、それでも確かな光となって降り注いでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る