第九話『Grass DEVOUR Boredom』
『――11・B\M/ロ=A-745*48#571/D5534645。認証完了。ロックを解除します』
裏口のドアがいつもの調子で喋る。
店内へ入る。
ドアの横へと傘を休ませ、真っすぐ二階のアルカリ室へ向かう。
帰宅後のパターン化している行動を済ませて『Noodle』の開店準備を始める。
――予定より随分遅くなっちまった。
苔コーヒーを仕入れ、昼過ぎには帰ってくるつもりだったが、相変わらずのマシンガントーク、いや――〝ガトリングトーク〟とも言えるような威力に圧倒され、つい長居をしてしまった。
それでも、不快な疲労感はない。
むしろ、そこも彼の〝相変わらず〟だと、どこか満たされた気持ちで店へ戻ってきた。
開店の準備を始め、店のネオン看板のスイッチを入れたとき、ふと、軒先に置かれた小包に目がいった。
出かける前はなかったはずだ。
外へ出て、左腕を操作し〝クラッド〟を使い、周辺をスキャンする。
『――危険性。0%です』
怪しいものではないことを確認して、店内に持ち帰る。
小包に付着していた『使い捨てホログラムチップ』を起動させた。
≪コーヒーをごちそうになりに来たけど、留守のようだね。また来るよ。【P・01\?/イ=A-1*134#250/D0003562】≫
〝プライモーディアル01〟の人物からの置き土産らしい。
思い当たるフシがある。
そう思いながら人物の認証コードを、店の入店記録と照合する。
――やっぱりあの人だ。
それは、以前『古い家庭用原子力発電機の制御棒』を求めて来店した、プライモーディアル01から来た老人のコードだった。
わざわざ来てくれたのに、申し訳ないことをしてしまった。
あの時の思い出を蘇らせるように小包を開けた。
中にはプライモーディアル01名物の『ジオファジークッキー』が入っていた。
それを見て〝お茶会〟を楽しみに来てくれたあの老人に、一層申し訳ない気持ちが募っていく。
――あれから発電機はどうなったんだろうか。
そんな思いが、降りしきる酸性雨の隙間に、ふっと湧き出て、流されて行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
準備を終える頃には街の明かりが、そろそろ〝夜の色〟へ沈む時間帯になっていた。
店を開けると、ほどなくして客が続いてきた。
カウンターの二席とテーブルの四席。
うちにしては珍しい〝満席〟だ。
〝EBIヌードル〟と合成たんぱく粒で作られるチャーハンが、小さな厨房でせわしなく湯気を上げる。
蒸気と人の気配で店内が少しだけ温度を持つ。
外気との均衡を保つように、この日は冷たい
鍋を振る。
麺を茹でる。
ビールの粉をグラスへ入れる。
カウンターに並ぶ空の丼が、また一つ、また一つと積み重なる。
――忙しい。
けれど、この忙しさは嫌いじゃない。
営業時間の山を越え、ようやくカウンターの一席が空いた頃、店内へ静けさが戻り始めた。
空になった丼と、わずかに結露の残るグラスをキッチンへ運ぶ。
人のいなくなった席の、その虚空を埋めるように、静寂が次々に座り込んでいく。
気が付けば、残ったものは湿った空気とネオンの反射だけになっていた。
深い呼吸をひとつ。
――客もいなくなったし、もう飲んで終わりにしてもいいんじゃないか。
そんな悪魔のささやきが、脳に反響した。
そのとき、アルカリミストゲートが作動した。
〝忙しさ〟が覗き込んでくる音だ。
仕方ないかと、自分へ喝を入れる。
人型のシルエットから酸性雨が、靴先へと流れ落ちる。
視線を上げる。
「なんだ。アンタか〝トール〟」
彼を見るとつい、心がゆるんで〝まいどおなじみ〟の挨拶をしてしまう。
「相変わらずのゆるみっぷりじゃねぇか、マスター」
彼は右手で軽く頭を掻き、どこか誇らしげな疲労を浮かべていた。
そうして、カウンターへゆっくりと、だがドカッと座り、彼からの注文を受けた。
「今日は〝
俺はニヤリと頷き、キッチンの奥へと向かう。
〝あの酒〟とは、俺が人工植物から作り出した〝密造酒〟だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺は冷凍庫で冷やした〝酒〟をショットグラスへ注ぎトールの前に突き出した。
コイツは度数の高い蒸留酒だ。
頼まれたアテとは別に、たんぱく粉に大量に塩を加え、練って薄くのばし、固めたものを出す。
――この酒専用のアテだ。
彼はアテを一枚口に入れ〝一番良い〟タイミングを見計らっている。
頃合いになり、その〝サイボーグの右手〟の親指と人差し指でグラスをつまみ上げる。
グラスに口を付けると、手とグラスと液体とを引き連れて顔を上げ、天井を向き、中身を喉の奥へと一気に流し込んだ。
「カァー!久々に飲むと強いな!でも美味い!」
彼の瞳孔が一気に開き、その眼から今日の疲れが吹き出しているように錯覚した。
マイナス二十度に冷やしたその酒は、喉の奥でアルコールという息を吹き返し、熱となって返ってくる。
――これがたまらない。
とはいえ〝密造酒〟と呼んでいるだけであって、あくまで合法の範疇の酒だ。
空いたグラスへまた酒を注いでおく。
俺は振り返り〝
沸騰した飲用水にグルタミン=パウダーをスプーン一杯投入する。
そこに
ザルに上げ、冷水で冷やしたものに塩を振る。
そこに今日タクトのところから仕入れたばかりの〝食用苔〟を混ぜて完成だ。
苔和えを彼の前に置き、また空になっているグラスへ酒を注ぐ。
その間彼はアテを口に放り込み、腕を組みながらカウンターへ肘を置く。
リラックスした、オフの姿勢を取りながらも〝親方〟の視線は鋭く、廃自動車の上の『人工サボテン』へと向けられていた。
「フーン?」と小さく独り言のような、相槌のような音がトールから聞こえてきた。
今日は〝合格〟のようだ。
――朝に手入れをしておいて良かった。
昨日来られていたら、また説教が始まっていたところだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
苔和えのおかわりと
「もうあの酒無ぇのか?」と言われたが、アンタが飲みすぎなんだ。
たまにしか作らない蒸留酒は品切れとなった。
飲む酒の切り替えに引っ張られるように、気が付けば話も変わっていた。
「マスターは〝外〟行ったことあるんだったか?」
彼が言う〝外〟とは街の外、つまり『街ではない世界』へ降り立ったことがあるのかという意味だ。
「いや、俺は外へ出たことはないな」
興味がないわけではない。
しかし、行こうと思って行ける場所じゃない。
そんな場所だ。
この世界には、人が暮らすコミュニティ――
総じて『ズァイアーク』と呼ばれる場所が点在している。
その中で最も大きいのが『イレブン・ビオ』だ。
そして、人々の多くは、自分の『ズァイアーク』の外へ出ることなく人生を終える。
「今日はよ。〝外〟の仕事から帰ってきたところなんだ」
なるほど。と俺は心の中で納得した。
彼のする〝外〟の仕事は、街ではない『何もない世界』へ人工植物を植え、世界に酸素を供給する仕事だ。
一度街から出ると一週間程度戻ってこないこともザラにあるという。
「今回はなかなかキツかったんだ」
彼は珍しく愚痴をこぼし始めた。
「お前さん〝雨に沈んだ町〟とか〝真空に潰された町〟の話は聞いたことあるか?」
俺は彼のテンションに寄り添うように「初めて聞く。」と、正直にそう答えた。
「要は今の世界に〝負け〟ちまった場所なんだ。酸性雨に、酸素不足に」
普段、弟子に囲まれ、顧客も多く、誰からも信頼される立場の彼にはきっと、こんなにネガティブなベクトルの話をする相手はいないのだろう。
彼は、街の明かりを信じる側の人間だ。
暗さは、飲み込まないと決めている。
ほとんど植物が育たなくなった世界で。
放っておけば酸素すら失われていく世界で。
人工植物を植える――
それが、彼の仕事だ。
店の灯りしか見ていない俺には、
その責任の影が、どれほどのものか分からない。
「酸性雨はいい。街の出来が良ければ人が〝生きられる場所〟はある程度確保できる。だが、酸素はどうだ。こんなに世界が進んでも、酸素が無くちゃ人は〝生きること〟もできない」
彼の言葉の重さに引きずられ、視線が落ちる。
その重さから逃れるように、グラスを上へと傾けた。
「そんで今回の仕事だ。〝上様〟関連だがよ。今回は〝真空に潰された町〟の近くに植えに行ってきた」
〝上様〟関連。WSIの仕事だ。
彼は時折こうして、WSIから直接の依頼を受けることもあった。
他の〝培養屋〟では匙を投げるような危険な内容だとわかっていても、彼は人類のために、そして自身も〝明日を生きる〟ためにこうして請け負うことがほとんどだった。
「文字通り〝酸素不足で人間が住めなくなった〟場所なんだよ」
言葉が店の空気に沈む。
彼は苔和えをつまみ、箸を置く。
その右手のサイボーグが小さく〝キュイ〟と鳴いた。
それに呼応するように彼は続けた。
「マスターよ。酸素が少ないとどうなるか、具体的にイメージできるか?」
考えたことがないわけじゃない。
だが具体的にどうなるのか、足りない頭で考える。
「単純に苦しくなる……いや、息切れとか……そういう感じじゃないのか?」
――静かだった。
いつもならうるさいくらいの酸性雨と行き交う飛行車が、店のBGMを乗っ取っているはずなのに。
今日はどうしてか、聞こえない気がした。
「そう、思うよな。だがな。マスター、覚えておけよ。酸素の無いところで深呼吸なんて贅沢した瞬間に、もう二度と起きられねぇ。眠るように、意識が飛ぶんだ」
ドクンとひとつ。
自分の鼓動が妙にうるさく感じた。
「……ひと吸いで?」
あまりにも予想外で、なのに現実的な答えを提示され、思わず動揺する。
「そうだ。そこに酸性雨だ。だからあの町はよ。全員眠ったまま骨になっちまってる。生活が残ったままなんだよ」
トールは静かに語り続けた。
「あそこは昔、酸素重点地区に指定されてたんだ」
雨を防ぐ立派な屋根に覆われていて、
酸性雨さえ防げれば人は生きていける──
そう信じて造られた場所だった。
町の少し離れたところに酸素供給施設があり、
そこから人工的に作られた酸素が、絶えず送り込まれていた。
人々は安心していた。
一生をその町で終えることを疑いもしなかった。
「だが、大火事だったらしい。
酸素供給施設が一晩で燃えちまった」
その瞬間を、誰も知らなかった。
ひとつ、息をしたときにはもう遅い。
酸素の足りない空気を吸い込んで、
気づけないまま、眠るように──。
「眼鏡をかけたままのヤツもいれば、ペンを持ったままのヤツもいる。骨だけで、だ。そんなとこに弟子何人か連れて、酸素ボンベ背負ってよ。木、植えてきたんだ」
これが〝外〟の現実だ。
これが〝今を生きる〟ための土台となった命だ。
彼はそんな意志を誰かに伝える話をしている。
そう感じていた。
「まぁ、良くも悪くも〝上様〟には頭が上がらねぇよ」
人が生き延びるために、見なかったことにできた事故もあっただろう。
だが――
「二百年前の〝世壊大戦〟の直後だ」
と、空になった苔和えの器を指先でこちらへ押しやる。
酸素不足を懸念し、WSIの中心人物らしき誰かが、サイボーグ技術の副産物として人工植物を生み出したのだ、と。
そう、おとぎ話のように彼は語った。
もしも今、イレブン・ビオがあの町のように
酸素の供給にすべてを預けていたなら──。
それが、一歩踏み出せば割れる薄氷の上だとしても。
その氷の厚さを、確かめる方法などない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
トールの長い独白が終わるころ、気づけば店の空気はすっかり静かになっていた。
ビールのおかわりを出そうとすると、彼は珍しく〝苔茶〟を所望した。
温かい苔茶を淹れ、彼の前へ置いた。
ズズッという音と、カップから立ち上る湯気が、店に色を付けなおしているように見えた。
二十三時ちょうどに通った鐡道のライトが一瞬、優しく店内を照らしながら飛び立っていった。
無意識にホッとするような感覚の中、彼はまた静かに語り始めた。
「俺はよ、この仕事、それなりに誇り持ってやってんだ」
〝それなりに〟じゃないことは、まるで専門じゃない自分から見てもわかっていた。
それどころか、その仕事ぶりを感じるだけで自然に尊敬するような、そんな気配をいつも彼は纏っていた。
「だが、俺は聖人じゃない。ただただ、この葉っぱたちと、サイボーグを愛してるんだ」
そこに愛情があるのもわかっている。
そしてそれが〝人類の為〟なんて大義名分を掲げてないことも、俺は知っている。
だから――
「だからアンタはその〝サイボーグの右手〟の指先をまたイジったんだろ?」
俺は皮肉っぽく彼に指摘してみたくなった。
「なんだ気付いてたのか」
彼は笑いながら、その右手でカップを握ったまま持ち上げ、人差し指だけ立てて俺を指す。
「前よりも動きが良くなってる〝右手〟気が付かないわけないだろ?」
俺にはサイボーグ化してる部位は無い。
けど、彼は仕事柄どうしても〝良い手〟が必要だ。
外の現場じゃ、工具より頼りになる時があるらしい。
だから金がかかっても、最新型を付ける。
まあ、見りゃ分かる。
動きが良すぎる。
「そりゃ気になるに決まってんだろ」と俺はわざと呆れた顔で言った。
「五本ぜんぶな。最新型に変えた。面白いくらい動く」
「こんな具合にな」と彼は実際の人間にはできないような動きをその右手で見せた。
確かにこれは本当に〝人体の代替品〟の域を超えてきている。
そんな技術の進歩をまざまざと見せつけられた。
「まぁとにかくよ。〝俺のこの手〟が無けりゃ、イレブン・ビオも真空に沈む可能性だってあんだぞ?しっかり接待してくれよな。マスター」
そんなセリフにふたりで笑い合った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
苔茶を飲み終わると彼は「あの酒が効いてきた」と言いながらゆっくり立ち上がり帰って行った。
「サボテンの世話。忘れんなよ」
と言い残して。
客の気配は無くなり、そこにはまた静寂が深く腰を下ろしていた。
その静寂に、今日が終わったことを悟る。
俺は店を閉めた。
片づけが終わり、最後に淹れた苔茶が冷たくなって残っていた。
ふと思い出して、俺は『ジオファジークッキー』の封を開ける。
〝本物の土〟の多く残るプライモーディアル01名物のそのクッキーの原料はまさしく〝土〟だ。
イレブン・ビオにはあまり出回らないが、俺はこの野性味あふれる、なんとも言えない味が好きだった。
硬めに焼かれたクッキーを齧る。
カリッという音が、酸性雨の音だけの店内に響く。
その甘さを追いかけるように苔茶を啜る。
音と甘さで思考がゆるみ、いつの間にか自然と一日を振り返っていた。
トールを見ていると当たり前すぎて忘れてしまいそうなことを、しっかりと思い出させてくれる。
〝人間は酸素が無ければ生きられないこと〟
そして、彼のサイボーグへの情熱を感じて実感する。
〝人間は酸素だけでは生きていけないこと〟
生涯という時間は息だけで釣り合うほど軽くはない。
だから人には、心を支える何か
――酸素以外の何か。
廃自動車の上で沈黙を続けるサボテンは、ネオンを吸収して俺の思考をうるさそうに覗いているような気がした。
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