第14話 剣の影と、止める言葉

とめるひと。とまるひと。

とまれないひと。


 中庭を出る前に、ミカが一度だけ剣へ視線を落とした。

 灰いろの刃先が、夜の光を鈍く拾っている。


 「その剣は、周防さんのお部屋に置いて大丈夫ですよ」


 淡々と言われて、篝はうなずくしかなかった。

 言われるまま、剣を胸に抱え直す。腕の内側に、硬い冷たさが食い込む。


 中庭の空気を背中に残して、廊下へ出た。

 静かだ。静かすぎて、足音だけがやけに大きい。


 剣を落とさないように抱えたまま、階段を上がる。

 一段ごとに腕がきしむ。冷たさがじわじわ深く刺さってくるのに、両腕で押さえているあいだは、なぜか「持ててしまう」。

 体のどこかが勝手に踏ん張ってくれているみたいだった。


 部屋に入って、扉を閉める。


 ベッド脇の壁へ、剣をそっと立て掛けた。

 柄から手を離した、その瞬間だけ――


 「うわ……」


 ずしん、と。

 重さが、いまさら戻ってきた。指先が急に頼りなくなる。


 革の上着を脱ぐ。盾を外す。靴を片方だけ脱ぐ。

 そこまでは、できた。


 でも、その次の一歩が出ない。


 ベッドの縁に腰を下ろすつもりが、体が横へずれて、そのまま倒れ込んだ。

 板と布がまとめて沈んで、ぎし、と短く鳴る。


 「……っ」


 うつ伏せと横向きのあいだみたいな格好で固まる。

 腕に力を入れようとしても、肩から先が途中で切り離されたみたいに重い。


 (やば……これ、ほんとに、上がらない)


 両腕の内側が、焼けた鉄みたいに熱い。

 筋肉痛って、普通は次の日じゃなかったっけ。――ぼんやり、そんな疑問が浮かぶ。


 視線だけ動かして、ベッド脇の壁を見る。


 剣が、立て掛けられている。

 灰色の金属が、部屋の灯りを鈍く返していた。


 (……明日も、って顔してる)


 勝手にそんな言葉が浮かぶ。

 柄から手を離した指先が心細くなって、シーツをぎゅっとつかんだ。


 星の下の中庭が、ふっと脳裏をよぎる。

 こちらへ向けて落ちてきた一瞬の線。空気を裂いて、銀色がすぱっと落ちる輪郭。流れ星みたいに、目の奥へ焼きついた。


 怖かったはずなのに、きれいだった。

 理由は言えない。ただ、その感触だけが残っている。


 とん、と。控えめなノック。


 「周防さん、入ってもよろしいですか?」


 ミカの声だ。


 「……ぁ……」


 返事をしようとしたのに、喉から出たのは自分でも分からない音だけだった。

 それでも向こうには届いたらしい。


 「失礼いたしますね」


 扉が開く。手提げのランプの光が、白い壁にやわらかい影を作った。

 ミカがベッド脇まで来て、小さな瓶と布を取り出す。薬草みたいな匂いがふわりとした。


 「腕、お借りしてもいいですか?」


 「……あんまり、上がらないです」


 正直に言うと、ミカは篝の顔と腕を見比べて、短くうなずいた。


 「そのくらい振れたなら、今日はもう十分ですよ」


 そう言って、右手首をそっと持ち上げる。


 その瞬間、肩から先に鋭い痛みが走った。

 息が詰まって、喉がひきつる。


 「……いっ」


 「ごめんなさい」


 小さく謝りながらも、ミカの手つきは乱れない。

 布に瓶の中身を少し含ませて、熱いところへぴたりと置いた。


 「すぐ楽になりますからね」


 冷たさが触れて、ひやり、とする。

 その冷えが皮膚の下へじわじわ沈んでいって、燃えていた感じが少しずつ丸くなる。


 ミカはランプを台に置き、慣れた手つきで布を巻いていった。

 巻かれるたびに、腕が「外側から支えられている」感じが増える。


 「リトさんのこと、どう思われました?」


 ぽつりと聞かれて、篝は一瞬言葉に詰まる。

 怖い、だけじゃない。刃をこちらへ向けていた人で、同じ回数だけ自分の素振りにも付き合っていた人でもある。


 「……すごい人、なんだろうなって」


 考えて、結局それしか出なかった。


 ミカが、ほんの少しだけ目元をゆるめた。


 「そうですね。あの人は、多分、けっこう強い部類ですよ」


 さらっと言われると、余計に遠い。

 その「強い」の先がどこまで続くのか、篝には分からない。


 左腕にも同じように布を当てながら、ミカは少しだけ間を置いた。

 考え込むというより、言葉の順番を確かめているみたいに。


 「……これからも、もう無理だと思ったときは、ちゃんとそこで止めてくださいね」

 「周防さんが『もう無理です』とおっしゃったら、そこで終わりですから」


 中庭で「もう無理です」と言ったとき、そこで止まった。

 誰も、無理やり背中を押してはこなかった。


 (でも……じゃあ、自分で止めないと、どこまででも行けるってこと?)


 形にならない不安が、疲れた頭の隅で丸まる。


 ミカは立ち上がり、ランプの火を少し絞った。

 「では、今夜はゆっくりお休みください」


 「おやすみなさい、周防さん」


 扉のほうへ歩いていく。

 その足音が、一度だけ止まった気がした。――気のせいかもしれない。

 次の瞬間、扉が閉まる。遠ざかる足音が、廊下へ溶けた。


 部屋の空気が、ほんの少しだけやわらぐ。


 (……なんか、ちょっと気持ちいい)


 そう思ったのに、掴む前に眠気が勝った。


 篝は丸くなって、布を巻かれた両腕を胸の前で抱えた。

 横目だけ動かして、ベッド脇の剣を見る。


 柄から伸びた細い影が、床に落ちている。

 その向きが、抱えた腕の向きと、なんとなく揃って見えた。


 窓はない。

 壁の向こうは夜だ、と想像するしかないのに、小鳥の声もしない。羽音もしない。ただ、館の中の静けさだけがある。


 (リトさんが来る前から、こんな感じだったっけ)


 引っかかったまま、答えは出ない。


 「走る」に、「振る」が増えた。

 怖かったのに、きれいだと思った。――その矛盾が、変に胸の奥を軽くする。


 理由を考える前に、思考がぷつりと途切れた。

 篝はそのまま、暗がりの底へ沈むみたいに眠りに落ちていった。

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