第2話 夢見るドブネズミ②
シュバルツはつま先からてっぺんまでレイを吟味すると、まるで玩具を見つけた幼子のような表情をした。
「レイか。お前、スラムの餓鬼のようだが何の目的があってここで剣を振るう。あー……言っちゃ悪いが1日生き延びるので精一杯だろう?」
レイは直感で試されていると感じた。相手はあの四大貴族。返答と相手の気分次第ではスラム街の子供などゴミ同然で葬られる。が、逆もまた然り。彼女の気分次第ではこの生活から抜け出す足がかりになるかもしれない。
天国か地獄か、行く末はレイの次の言葉に託されていると言っても過言ではない。
「俺は……いつか剣聖になるんだ。今はまだこのゴミ溜めから抜けれないけど、この剣でいつか必ず未来を切り開く。師を雇う金も、人脈もない。でもここなら優秀な教官の指導が聞こえる。みっともないのは自覚してるさ。でも、今、俺が剣を学べる場所はここしかないんだ」
レイは怯むことなく真っ直ぐにシュバルツを見てそう答えた。剣聖になるなどと言える資格があるのは、天賦の才がある人間だけだ。努力でどうこうなるほど、その称号は安くない。普通なら馬鹿にされるのがオチだ。実際、スラム街の人間はレイの事を゛夢見るドブネズミ゛と蔑んでいる。ましてや相手は四大貴族、嗤われるだけなら儲けものだ。
「ほう……剣聖とは大きくでたな。歴代剣聖は全て貴族出身だ。私ら貴族で剣を握る者は剣聖を目指して鍛錬に励んでいる。平民ですらないスラムの餓鬼が剣聖ねぇ……それが不敬罪になるかもしれないと、そうは思わなかったのか?」
ビリビリと肌を刺す重圧。彼女はただ凄んだだけなのに、レイは身動き一つ取れず生きた心地がしなかった。
(やばい、怒らせたか……?)
毛穴という毛穴から嫌な汗が吹き出し全身を伝う。シュバルツは腰にさげていた細剣を抜き、切っ先をレイの喉元に向けた。
「わかってると思うが私は四大貴族イグニール家の人間だ。スラム街の餓鬼一人消すなんざ、造作もない。だがまぁ……もう一度チャンスをやろう。スラム街の餓鬼が……一体何になるって言ったんだ?」
「うっ……」
当てられた殺気は凄まじく、シュバルツの実力が尋常ではないのを物語っていた。レイはひゅーひゅーと喉を鳴らし、呼吸するのもやっとな程追い詰められている。明確な死の予感。レ次の言葉で生死が決まる。そう思わざるを得ないほど、凄まじい圧だ。
(撤回しなきゃ死ぬ!!これはもう絶対だ!!ああくそ、こんなクソみたいな人生なのに終わり方もクソなのかよ! 俺はただ剣が好きなだけなのに……理不尽すぎるだろ)
ぐるぐると意味の無い思考を繰り返す内に、レイの中ではこの場にそぐわない感情が芽生え始めた。
それは怒り。夢を見る事は罪ではない。その為の努力することも、それを口にする事もそうだ。それなのに何故今、自分は殺されかけているのだろうかと。
何故話しているだけで生殺与奪権を握られなければならないのか。
それはあまりに理不尽な話だ。
「……ざ……な」
芽生えたばかりの感情は理性の檻を喰い破り、遂には溢れ、喉を鳴らしてしまった。
「何?」
一度溢れた感情は堰を切ったように流れ、止める事は叶わない。レイはもうどうにでもなれと、真っ直ぐにシュバルツを見つめ怒りを吐き出す。
「ふざけんなって言ったんだ、このくそったれが!お前なんかになにがわかる!俺達スラムのクズは万に1つのチャンスに食らいつくだけじゃ足りないんだ。その万に1つに!……生命を賭けなきゃ、スラムの泥沼からは……這い上がれないんだ」
「つまりお前はいま、チャンスだと言いたいのか? 四大貴族をなんだと思ってんだかこの餓鬼は……」
「四大貴族がなんだ! スラムがなんだ!生まれで決まる程剣の道は安いのか。笑いたいなら勝手に笑えよ。殺したいならそうしろよ。それでも……俺は剣聖になる! 俺の夢は誰にも邪魔させない!」
言葉とは裏腹にレイの身体は小刻みに震えている。
「くく、吐いた唾はもう飲めねぇぞ餓鬼」
(言った、言ってやった!四大貴族相手に俺は怯まなかった!悔いはない! どの道、ここで折れたら剣聖になんてなれやしないんだ。俺は権力なんかに屈しない……!)
憤怒の表情で剣を振りかざすシュバルツを最後に、レイはぎゅっと目を瞑る。夢を語る少年は目の前の権力に屈する事なく、命を賭して己の信条を貫いた。
(ああ、くそこんな所で俺は……)
目を瞑った端から雫が零れ落ちる。
ヒュッと風を切る死神の音が鼓膜を揺らす。時間にすれば一秒にも満たない。それなのに真っ黒い瞼の裏には今までのクソみたいな人生がレイを嘲笑うかのように蘇る。
「ちくしょう……」
レイの最後の感情は悔しさだった。
直後、想定していたはずの、想定できない激痛は訪れず、その代わり額にコツンと軽い衝撃。
なんだろうと目を開けると、目の前には悪魔のような笑みを浮かべたシュバルツ・イグニール。
「合格だ」
「は……?」
「糞まみれなスラムに負けず、剣だけを信じた今までのお前を褒めてやれ。お前の信じた剣は確かに今、一つの未来を切り開いた。その頑固さと後先考えない愚直っぷり、気に入ったぜ。このシュバルツ・イグニールが剣聖への扉をたった一つだけ開けてやる」
「な、なに?」
レイは彼女が何を言っているのかさっぱり分からなかった。ただ確かなのは心の臓が胸を裂く勢いで鼓動して、全身が燃えるように熱くなっている事だけだ。
「レイ、お前はスラムから抜け出しヴィンディクタスに入れるって言ってんだよ。ただ、その扉の先はスラム出身のお前にゃ茨の道所じゃねぇぞ? 死んだ方がマシってほどの地獄に繋がる道だ。それでもお前、しっかり突っ走ってけんのかぁ?」
なんだかよく分からないが、レイにはまたとないチャンス。これを逃せばもう二度と、このような幸運は訪れない。
「あ、ああ! 地獄ならとうに見てきた。茨でも地獄でも、俺は走っていくさ!」
「かかか!上等上等、その言葉忘れんなよ? ついてこいよ、レイ」
ひらりと翻し背を向けるシュバルツをレイは追いかけた。
心が軽い。スラムでの十五年の歳月でこびり付いた負の泥が洗い流されていくような感覚がした。
ただ長い間染み込んだ負の泥は、一度取り付いた者をそう簡単に離しはしない。骨の髄の髄まで染み込んでいるのだから。
そんな事も知らないスラムの少年は、太陽にも似た赤髪を追いかけ、雑踏の中に静かに消えていった。
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