スラムの剣聖~ドブネズミと蔑まれる俺が、古の悪魔と契約しレベルアップ出来る事をお前らはまだ知らない~

吉良千尋

第1話 夢見るドブネズミ①


少年が薄暗い路地を淡々と進んでいる。辺りには、顔色の悪い明らかに栄養が足りていない人間がちらほら。彼らは同じようにやせ細り、頬骨の出る少年を見ると、ケタケタと嘲笑う。


「ドブネズミの癖に懲りねぇなぁあいつ」


「けけ、仕方ねぇよ。夢見るドブネズミなんだからよ」


「剣聖だっけ? ぶはは、そりゃ確かに夢だ!いい加減起きろっつーの」


そんな笑い声など気にするそぶりもなく、少年は血が染み込み、ヒビ割れた木刀を片手にスラム街を突き進む。彼を嘲嗤う悪意の声も少年の小さな足音も、やや荒れた呼吸も静寂の中に消えていく。


何年着ているのかわからない汚れた服と、手入れなど知らないボサボサの髪。おまけにその役割を果たせるか不安になる穴の空いた靴。それが少年の普段着だ。


スラム街ではそれよ珍しくもなく、それだけで注目される事はない。しかし、そこから一歩飛び出した一般居住区では白い目で見られるのは必然だった。すれ違う人々は悪臭対策と言わんばかりに大袈裟に口元を抑え、ブツブツと文句を言うがそれすらも少年は気にしなかった。


進み続けた少年はやがて巨大な壁の前に立ち止まり、その壁に沿うように右へと歩を進める。この壁の向こう側は選ばれた者しか住む事の許されない貴族街。彼の格好では入る事すら許されない。少年は中に入るのではなくその壁を進み続け、ある地点でピタリと足を止めた。


「──闇雲に剣を振るうな!一振一振に魂を込めろ!そこ、下半身を使え!」


壁の向こう側からは怒号が飛び交う。勿論少年に対してではなく、内側の人間に対してだ。

この壁の向こうにあるのはヴィンディクタス剣術校。帝国の誇る名門中の名門だ。そんな名門校にスラム街の少年が入れる訳もない。なので少年は3年前からここでこの怒号を頼りに剣を振るっている。雨の日も風の日も、嵐で教官の声すら聞こえない日も一日も欠かすことはなかった。

そのおかげか最初こそ粗末だった素振りは今では中々様になってきている。


少年の名はレイ、家名はない。スラム街でレイを知らぬ者はほとんどいない。それは別に彼が飛び切り凄い人物だからという訳ではなく、剣聖を目指していると噂が広がり゛夢見るドブネズミ゛の名が広まっているだけだ。

スラムの住人に法などなんの意味も持たない。その日1日を生き抜くのがやっとな彼らは日々、盗み、奪い、殺しながら生きている。そんな劣悪な環境にありながらも、レイは物心ついた時からたった一度しか法を犯した事はない。


その一度も比較的罪の軽い盗みだ。それ以外は態々山まで二束三文にしかならない薬草を摘み、ギリギリの生活を送っている。


ひたすらに剣を振るっていると再び怒号が聞こえてきた。


「今日はやけに教官の機嫌が悪いな。何か嫌な事でもあったのか?」


いつもより高頻度で聞こえてくる教官の怒鳴り声。レイの言う通り教官の機嫌が悪かったとて、彼自身にはなんの影響もないのは良いことだ。


「今日は四大貴族のお方達が態々視察に来られてるんだ!腑抜けた剣は許さんぞ!」


と、どうやら機嫌が悪いのではないらしい。四大貴族と言えばヴィンディクタスにも多大な寄付を行っており、一教官程度では会話すら難しい絶対的な権力者達だ。彼らの評価が悪ければすなわち教官の評価も下がる。気合いが入るのも納得というものだ。


「どうりで騒がしい訳だ。ま、俺には関係ないけど」


中の出来事の一切はレイとは関係がない。レイはただいつも通り夕暮れまでここで剣を振り、夜になれば山に向かうだけだ。


無駄な力を抜き剣を振り上げ、そしてゆっくりと軌道を確かめるように振り下ろす。ただの素振りではあるがレイのそれは一振で汗が滲むほど、丁寧であり気合いが籠っている。この動作を毎日千回程、1日も欠かさず行ってきた。それは今日も決して変わる事はない。


(俺には剣しかない……こんなクソみたいなスラムから出て……いつか剣聖になるんだ!)


夢中で剣を振るっていると気が付けば夕暮れ時になっていた。レイの周りには汗のせいで水溜まりのようなシミが出来ている。手の豆も痛むが、これにはもう慣れてしまっていた。


「ふぅ、今日はこの辺で終わりにしよう。そろそろまた薬草を摘みに行かないと飯すら食えなくなりそうだ」


飯といってもロクなものではない。カチカチのパンか、ネズミの肉かよくてカエルの肉だ。ただ薬草を摘むついでに果実にもありつけるし、運が良ければ小動物も狩る事が出来る。それらの保証は全くないが、スラム街で飯を買うよりは幾分マシだ。


額の汗を拭い一旦スラム街に戻ろうとしたその時だった。


「おい坊主、もう帰っちまうのかい?」


振り返ると赤髪の女性。スラリとした手足、切れ長の深紅の瞳、彫刻と見間違う程の美しさ、身なりの良さからも一見して貴族だと分かる。


(貴族か……まずいな、下手すれば死ぬ。どう切り抜けるべきか)


スラム街の人間が一般居住区にいるだけでもあまりよろしくないのに、レイがいるのは貴族街にかなり近しい場所だ。難癖をつけられる可能性は十分あり、そうなると最早為す術がない。権力とはそういうものだ。


明らさまに警戒しているレイを見て女はニヤリと笑い、


「おいおいそんな警戒すんなよ。乙女心に傷がつくぜ? ただスラムの餓鬼にしちゃ悪くない剣筋だったから、声をかけただけだ」


男のような口調とあっけらかんとした態度に拍子抜けしたレイは、気の抜けた声で返事をした。


「そ、そりゃどうも」


「私はシュバルツ・イグニール。坊主の名前を聞かせちゃくれないか」


「あ……レイ。ただのレイだ」


レイは驚嘆しながらも何とか平然を装い答えた。まさか目の前の胡散臭い貴族が四大貴族イグニール家の者だとは露ほども思わなかった。視察に来ていたという四大貴族は彼女の事だったらしい。


(よりによって四大貴族……さ、最悪だ!)

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