歓喜のキャパシティ
小狸
掌編
「ここ最近はどうなの、ネットにはあげていないみたいだけれど、書き溜めている感じ?」
「いやぁ、それがさ、閲覧数が全然伸びなくてさ、仕事終わりに数値変動のないサイト目にしてたら、もう何だか嫌になってきちゃって、最近は書いてない」
「へえ、書けば良いのに。書くだけならタダだよ」
「書くだけならな。でも、『ただ』書くだけじゃ駄目なんだよ僕らは」
「お。洒落たこと言うね。まあ、でもその通りか。ただ漫然と書いているんじゃ、小説にならないからね。でも、書くこと自体辞めちゃったら意味なくない?」
「僕は創作を辞めたわけじゃないよ。休息期間ってのが必要なのかもしれないな。一時期は仕事と創作とで、色々忙しかったから」
「あー、確かに言ってたね、仕事の方は、でも今は落ち着いてきているんでしょ」
「まあな。書く余裕はある。だけどせっかく書いたものが、誰にも読まれないっていうのは、何かさ、こうさ――分かるだろ、君にも。僕の言いたいことが」
「私たちはそこまで以心伝心できるコンビじゃないよ」
「そうなのか、ま、人間同士なんてそんなもんか」
「まるで人間じゃないみたいな言い方しよる。やめてよ、オチで実は叙述トリックで、私は人外だった、みたいなパターン」
「オチって何だよ。現実にオチも何もないだろ」
「そりゃそうだ」
私と、目の前で枝豆をつまむ彼、
私たちの人間関係は、大学時代から始まっている。
学部学科も、サークルも違う。普通なら出会う契機はないものだが、天の采配か何なのか、たまたま履修した講義で一緒になったのが、筒塚だったのである。その講義はかなり厳格な教授によるもので、座る座席が指定されていた。春学期はずっと私は、筒塚の隣だったのだ。そして講義の最中、筒塚が、ノートに無関係な何かを書いていること、それが小説のプロットだということが分かってからというもの、私たちは打ち解け、今に至るという流れである。
私たちは、作家志望である。
とは言っても、胸を張れるものではない。
私は公募の新人賞に応募しても、ごくまれに一次に残るが関の山であり、筒塚もそれは同じようだった。大学時代は、「目指せ在学中にデビュー&中退!」などと目標を掲げていたけれど、残念ながら現実はそう甘くはない。順当に就活をし、別々の会社に就職、そして卒業2年目となる今、私たちはこうして時たま会い、酒で何かを誤魔化している、というわけである。
まだお互いに、小説家デビューはできていない。
「筒塚は、卒業してネット小説の方に力を入れるようになってたから、てっきりそっち経由でデビューを目指しているものかと思っていたけれど、そうでもないの?」
実際卒業して新年度は、毎週の土日の決まった時間に、筒塚は短編小説をネット上に投稿していた。私も一応は小説投稿サイトに登録し、SNSに紐づけて、何作か公開してはいるけれど、筒塚ほどの頻度ではない。私は遅筆なのである。
「ああ――まあ、それもまた修羅の道だろ。フォロワー数、フォロー数がものを言う世界でもあるからな。いくら面白くとも、面白いだけじゃ駄目なんだ。その賞、そのサイト、その雰囲気で求められている、小説を書かなきゃいけないわけだし」
「……結局言ってしまえば新人賞ってそういうものだよね。ただ面白いだけの小説が受かるんだったら、皆小説家になっているよって話だし」
「厳しい厳しい。ほら、見てくれよ。最近の僕の小説の閲覧数なんて、こんなもんだよ」
そう言って、筒塚は画面を、私に見せてくれた。
表示されたのは、小説の作者のみが見ることを許されるページであった。
2,000文字程度の短編小説であるらしいことが、情報欄に記載されていた。筒塚らしい淡泊な題名と共に、閲覧数のところに3
つまりこれは、少なくとも3人が小説を読んだ、ということになるのだろう。
筒塚は続けた。
「これ、一週間前に投稿した小説だぜ。なのにさ、誰にも読まれてねぇ。いや、色々工夫はしたよ。
「……ふうん」
ほんのわずかだけ。
その言葉に、違和感を覚えた。
その日は、途中から見事に筒塚が酩酊してきたので、早めに切り上げることにした。
「じゃ、帰り気を付けて」
「うーい。君もな」
こうなることを見越して、駅に一番近い居酒屋を選んでおいて正解だったと思った。
帰り道。
寒かったので、マフラーを巻いた。
駅から自宅までは約10分で着く――途中は街頭に照らされているし、人通りも少ないわけではないので、怖くはない。
お酒で少々のぼせた頭を、それでも回転させながら、先程の筒塚の言葉を反芻する。
「誰にも読まれてねぇ」
嘘だ。
少なくとも確実に、3人は読んでいる。
にも
それは、「いいね」を押してくれなくとも、評価の星を付けてくれなくとも、読んでくれた読者に対して、失礼なのではないか。
言い返しておけば良かった、と今さらながら後悔した。
まあでも、筒塚が言いたいことも分かる。
ウェブでの小説投稿を始めて少し経てば、誰でも理解するはずだ。
どれだけ多くの作者がいて、どれだけ多くの作品があって、そこで天下を取るということがどれだけ難しいか、ということを。
昔とは違って、誰もがそのサイトに登録するだけで、文章を「作品」として投稿できるようになった。SNSの発展も相まって――これは他の創作物にも言えることかもしれないけれど、「作品」を世界に発信するハードルが、
良いことではある――とは思う。
誰もが気軽に、「作品」を投稿し、閲覧し、観賞することができるようになった。
気軽になりすぎた、とも言える。
膨大に作品はあふれ、飽和状態となっている感も、また否めない。
まあ、私程度の作家志望の端くれが何を偉そうに語っているんだよ、という話ではあるのだが。
ひょっとしたら、筒塚の先程の小説を読んだ3人は、もう読んだことすら忘れているかもしれない。
それでも。
たとえたった1人でも、私の小説を読んでくれる人がいたとしたら。
私は嬉しいと思う。
私はその小説を、そして何よりその読者を、大事にしたい。
読まれない、なんて、絶対に言わない。
だって、読まれているから。
だって、嬉しいから。
きっと私は、喜びのキャパシティが、人よりも低いのだろう。
筒塚は「3人程度では満足できない」「もっと評価されて然るべき」と思ってあんなことを言ったのだろうが、私は3人にも読んでもらえれば、もう飛び跳ねて歓喜することだろう。
誰にも読まれない――ではなく、誰かは確実に、読んでいる。
そう考える方が、何だかあったかくなれる気がするから。
家に着いた。
今日――は流石に頭が回らない、小説を書くどころではなさそうである。
明日も休みなので、公募新人賞のプロットを練ろうと、私は思った。
(「歓喜のキャパシティ」――了)
歓喜のキャパシティ 小狸 @segen_gen
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