第2話 駐屯地、営倉
「儂は軍医ではないのだがなぁ」
そう文句を口にしながら、白髪の学者は少女の血で汚れた包帯を解いた。
「老人まで駆り立てるとは、この国はよほど危うくなっていると見える」
「医師免許は持っていらっしゃるでしょう」
「儂は引退した学者じゃよ。で、その後はどうじゃ」
ウマル医師のぼやきにも慣れた。カイカは肩をすくめ、患部のある腕を上げる。
「傷の痛みは、不思議とそこまでは」
「それはな、お前さんの火傷がそれだけ重症だということじゃよ」
呆れて「馬鹿もん」と唸るウマルは、カイカの肘に触れ腕の経過を診た。
宇宙船から発射された兵器の熱風によって皮膚は赤く焼け、水疱ができている。ウマル老人は三日前、彼女がまだ病床にいたところへ連れていかれたが、
「キャンプで治せる限度を超えているよ、病院に戻ったほうがいい」
「今はどこも重症患者で溢れていますよ。この程度の傷では優先度は低いでしょう」
生物学者の溜息は牢の鍵が開けられる音にかき消された。
忙しく営倉へ現れた少将は、少女の手当てをする彼に外すよう視線で促した。
「怪我人だ、あまり虐めなさるなよ」
去り際に学者は慈悲を期待したが、壮年の少将は強張らせた表情を緩めなかった。
「それは彼女次第です——天火カイカ博士!」
「これは共和国軍少将殿。このような場所にお越しいただき光栄です」
血の染みたガーゼを剥がすカイカに、ラムズィ少将は怒鳴った。
「馬鹿な真似をしたな、君は自分の立場を理解しているのか」
医療廃棄物を床に捨てたカイカは困り眉で笑った。
「イストレクス君は政治的に重要な捕虜だ。人類側に機体を提供し、情報を明け渡してくれたのだぞ。殺すことは許さん! 君、何故こんなことをした? 理由を話してもらうぞ」
「理由は明白です」
少女は自分の腕にある真新しい火傷を少将に示した。
「彼らは、素晴らしき頭脳を持つ私の友人たちを殺しました」
博士の瞳は恨みと興奮に濡れていた。
「首都で開かれていた学会会場に直撃、私もこうしてすっかり傷物です。礼に弾丸を贈るくらい、許されてもいいのでは?」
「もう一度あの攻撃を受ければ、我が国は完全に消えるだろう。首都を無くしただけで充分に機能不全に陥っている。上空の母艦を刺激する真似は慎んでもらおう」
「……また攻撃があると思いますか」
「侵略するつもりならば今頃、我々は砂漠の砂になっているだろう」
その通りだとカイカは内心で頷いた。異星人の攻撃からすでに一週間は経過している。
「これ以上問題を起こすようなら、友好国の研究者といえど送還することになる」
「約束しましょう。もう武器庫には入れてもらえないでしょうから」
「君は職を失っても構わないのかね」
「研究所を追い出されはしないでしょう。あなた方には私と、私の産む機体が必要なはずだ」
狡猾な笑みに上官は溜息をついた。
「君の処遇を決めるのは私ではない。しばらくはここいてもらうぞ、博士。兵士たちの手前そうすぐ出てこられては困る、下士官ならば軍法会議ものだ」
「感謝します、少将」
理性的な調子を取り戻した彼女は足を正すと、少将の背中に頭を下げた。
「気は済んだか」
その言葉に息を呑んだ。
はっと視線を上げたときには、すでに少将は扉の向こうにいた。
軍のことなど何も知らぬ研究者が何故銃を入手できたのか、警備の緩さに対する疑念は確信に変わった。少将はいずれ何者かが強硬な手段に出ると予測していたのだ。
国内の情勢が混乱する中、防衛について見直すことはあれど警備を緩める必要などない。
そんなことをした理由は決まっている、ガス抜きだ。
この駐屯地全体に立ち込める不満は爆発しかけていた。
だからこそ、武器の扱いも知らぬ素人に武器庫への侵入を許した。
スパイとして泳がされていた可能性もあるが、カイカの復讐心を見透かされていたのだろう。
カイカ自身、襲撃が成功するとは思っていなかった。どこかで阻まれると覚悟していた。
兵士が実行していたなら、おそらく武器を入手する間もなく防がれていただろう。
それだけあの防弾ガラスの中の宇宙人は、首都壊滅による恨みを買っているのだ。
忘れもしない三日前。宇宙船飛来の日、八月五日のこと。
砂漠の熱砂を背に海を望む、四百万の人々が暮らす首都は粒子砲によって焼き尽くされた。
わずかに中心部から北へ逸れはしたが、首都中心部は壊滅。膨大な死傷者を出した。
そしていまだ数万人の行方が知れない。
あの日、カイカは兵器学会の会場である首都から南の高層ホテルへ向かいタクシーの車中にあった。
その砲撃範囲からは離れていたものの、爆風とビルの崩壊により車体は横転した。
救出され目が覚めた彼女は、瓦礫の山へと姿を変えたホテルの有り様を目撃した。
数多くの頭脳と、専門分野を競い合う仲間は高階層からの崩落に命を落とした。
砂とも灰とも知れぬ地面へ膝をついたあの日のように、カイカは営倉の狭い床に座り込んだ。
そしてようやく、友人を亡くした実感を得て、十八の少女らしく涙を浮かべた。
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