1章

第1話 ガラスの檻と少女

 鋭い足音がドームの静寂をかき乱した。


 微かに開けられた厚い扉から、黒い炎が滑りだす。


 鮮やかなタイルに覆われた、窓のない半球型の屋内。


その中央にガラス製の立方体が置かれ、中には簡易ベッドが一つ、寂しく横たわっていた。ベッドの前に立ち、精緻な色柄の天井を仰いでいた青年は、反響する音に視線を下ろす。


波打つ火は感情的に揺らぎながら猛然と進み、激しく靴の踵を鳴らして箱の前に立った。


 イストレクスを見詰めるのは、凜然と眼を見開いた可愛らしい面立ちの少女だった。


 ほんの一瞬、彼女の表情に驚きと戸惑いが浮かんだが、可憐な印象はすぐさまかき消された。わずかに細められた瞼の下で、砂色の眼光は爛々と青年を刺し貫く。


豊かな黒髪が風もないのに燃えるように揺らいで見えるのは、剥き出された激情のせいか。


自身を観察する青年に向け、少女が口を開く。

「宇宙人が捕獲されたと聞いたが、どうやら事実のようだな」


 挑発的な少女の声音に、対峙する虜囚は覚えたての言葉を慎重に選び、口にした。


「あなたは、誰ですか」

 ふっと少女は口元を緩め微笑した。


表情の険しさがとれ、愛らしさが浮かぶ。


「こういう者だ」

 白衣の裾を翻し、鈍く光る凶器を披露した。小柄な背に似つかわしくない、警備兵用の銃。


 イストレクスは作業着を無意識に探り、汗を滲ませた。捕虜に武器など許されていない。


 相手の出方を探り、視線が交錯する。


 情熱的なステップを踏む恋人のように、互いに左右へと踏み出した。

 張りつめた空気に足音が響く。ゆらりと銃口が動いた。


 瞬間、イストレクスがベッドの陰へ跳ぶ。


 彼女は重たげに鋼鉄の銃を細腕で持ち上げ、躊躇いもなくトリガーを引いた。


 顔の前に手をかざした虜囚に向け弾丸が発射される。


 一発、二発。


「やはり強化ガラスか」

 弾は青年の体を貫通しなかった。


 立方体の厚く強固なガラスは、衝撃で亀裂が生じていた。


「聴け、宇宙人!」

 トリガーを引く少女は反動に肩を弾かれながら叫ぶ。


「お前たちが地球に降りた日、首都が壊滅した。私の友人たちは怪我をし、半数は命を失ったんだ。あの日、そこに居合わせただけでっ……」


 肩が外れそうなほどの反動にも構わず、発砲は弾倉が空になるまで続いた。


 高い音を立てて薬莢が落ちる。


「銃を捨てろ、天火カイカ博士」


 怒声と共にドームの扉が開き、武装した兵士が突入した。


 弾のなくなったライフルに興味を失ったのか、少女は粗雑にそれを床へと放った。


「遅かったな」


 この結果を予想していたのだろう。


 駆けつけた兵士に腕を捻りあげられても、彼女の表情から余裕のある笑みは消えなかった。


「彼女を営倉に連れていけ」


 初老の軍人は手を振って、営倉に送るよう命じる。


 枯れ草の舞うような迷彩服を着た兵士たちは、忌々し気に青年へ銃口を向け続ける。


 数名の兵士が少将の命令に従い、博士の体を起こすと、細い肩を掴んで歩かせた。若い兵士は少将の側を通り過ぎると、少女への称賛を口にして拘束の手を緩めた。


「ありがとな、お嬢さん」

「私が撃たなくとも、誰かがやっていた」


 わずかに聞こえた会話に少将は深い溜息を吐く。

 彼は微細な亀裂が走ったガラス越しに、長身の青年へ歩み寄った。


「イストレクス君、怪我はないか」

「いいえ、少将」


 ベッドの陰に隠れていた青年が立ち上がる。


 至近距離で数十発の弾丸を撃ち込まれたにもかかわらず、虜囚は穏やかに笑み銀の髪を揺らして首を振った。無邪気な少女に似た仕草だが、高い身長と稀有な美貌はどこか異質だった。


 生物学者のウマル医師から青年期の男性だと聞いているが、中性的で掴みどころがない。


 兵卒が営所に貼っているような、グラビアの溌剌とした生命の輝きとは違う種類の美しさ。彼の美貌を的確に形容する言葉を持ち合わせてはいないが、ラムズィのような職業軍人にも彼のまとう雰囲気に心当たりはあった。「知性」と「品位」だ。


「彼女は誰ですか?」


 イストレクスという名の宇宙人は小首を傾げて問う。


「誰でもない。それより、これではガラスが使い物にならないな」


 言葉を濁した少将に視線を向けたが、彼は巨大なガラスの箱を仰いでその話題を避けた。


「駐屯地に移動できるよう手配しよう。数日はここで辛抱してもらうことになるが」


 青年は博士が連行されていった扉に視線をやった。


「彼女と話せますか?」

「やめておいたほうがいい。次は爆弾を持ってくるかもしれないぞ」


 彼は目を丸くし「それは考えていませんでした」と笑った。


「もう一つ。僕の頼みは通りそうですか?」


「……難しいな。今はまだ、といったところだ」


 少将は青年の警備を厳重にするよう告げると、ドームの堅牢な扉を閉めた。




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