第2話 腐った畑と最初の一歩

コガネ村で一夜を明かした俺は、朝から強烈な現実に叩き起こされた。


「……めちゃくちゃ寒い」


 目を開けた瞬間、まず痛みが来た。

 背中、肩、腰。全部がじわじわ主張してくる。


 毛布の代わりに渡されたのは、藁を縫い合わせただけの敷物だ。

 寝返りを打つたび、背中に小石や枝の感触がゴリゴリ当たる。


(くっ……研究室の仮眠室が恋しい……)


 あの硬いソファですら、今なら天国に思える。


 体を起こすと、藁の間から冷気が一気に入り込んできた。

 建物の隙間風が、容赦なく肌を刺す。


(これ、冬どうするんだ……?)


 外に出ると、朝靄の中ですでに村人たちが畑に出ていた。

 まだ日も昇りきっていないのに、黙々と鍬を振る背中が並んでいる。


 痩せた肩。

 曲がった腰。

 重そうな鍬。


 正直、農業というより――“耐える作業”に見えた。


(……きついな)


 昨日見た畑の様子が、どうしても頭から離れなかった。

 俺は一人、村の畑へ向かう。


 朝露に濡れた畑は、一見すると静かだ。

 だが、近づくにつれて違和感が増していく。


「……やっぱり、ひどいな」


 葉は縮れ、ところどころ黒ずんでいる。

 色も不自然だ。健康な緑じゃない。


 しゃがみ込んで、根元を軽く掘る。

 その瞬間、嫌な音がした。


 ぐちゃり。


 湿りすぎた土が、まとまりもなく崩れ落ちた。


(連作障害+根腐れ+病原菌の温床……)


 しかも、たぶん塩類集積も入ってる。

 最悪のコンボだ。


(教科書に載せたいくらい、ダメな畑だな……)


 背後から、村長の足音が聞こえた。


「どうだ。やはり無理そうか?」


 俺は正直に答える。


「今のままじゃ、何を植えてもまた枯れます」


 村長の顔が、はっきりと曇った。

 肩が、ほんの少しだけ落ちる。


「……そうか」


 その背中が、昨日よりずっと小さく見えた。


 思わず、俺は続けていた。


「でも、土は死んでません。“瀕死”なだけです」


「……なんじゃと?」


 村長が、顔を上げる。


「餌をやれば、ちゃんと生き返ります。

 今のこの土は、腹ペコなだけです」


 完全に意味が分からない、という表情だった。


 そこへ、後ろから村人の一人が声を荒げた。


「若いの! 昨日から何をブツブツ言っとる!

 肥料なら、もう何度も撒いとるわ!」


 俺は、その人の足元の土を指差す。


「それ、たぶん“肥料”じゃなくて“塩分”とか“灰”ですよね?」


 村人が、目を見開いた。


「……なんで分かる」


「土が固まってる。

 それに、匂いがしない。微生物がほぼ死んでます」


 その場が、一気に静まり返った。


「これ、土が栄養過多で逆に壊れてる状態です」


(あ、これ……完全に異世界語だ)


 俺は頭を掻いた。


「えーと……簡単に言うとですね。

 この土、栄養はあるんです。でも“形”が悪すぎて、作物が食べられない」


「……食べられない?」


「だから、“食べやすい餌”を作ってやる必要があります」


 村人の一人が、半信半疑で聞いた。


「それが……昨日言ってた“たいひ”か?」


「はい。堆肥です」


 俺は足元の枯れ草を拾い上げる。


「枯れ草、家畜の糞、生ゴミ。

 これを混ぜて、積んで、寝かせる」


「……ただのゴミの山じゃないか」


「はい。最高のゴミの山です」


 一瞬の沈黙のあと、誰かが吹き出した。

 笑いが、少しずつ広がる。


「こいつ、正気か?」


「でもよ、今さら何をしたって一緒だ」


「試すだけ、試してみるか」


 こうして、人生初の異世界堆肥作りが始まった。


 村の外れに、即席の堆肥場を作る。

 枯れ草、藁、家畜の糞、生ゴミ。


 積み上げるたび、とんでもない臭いが立ちこめた。


「くっさ!!!」


「うわあああ!!」


「若いの! これは本当に大丈夫なのか!?」


「微生物が喜んでる証拠です!!」


「分からん!!!」


 俺も正直、涙目だった。


(研究室なら換気完璧なのに……)


 汗と臭いにまみれながら、それでも手は止めなかった。


「これが発酵して、熱を持って、分解されて、

 それで初めて、土が“生き返る”んです!」


 村長が、堆肥の山をじっと見つめる。


「……土が、生き返る、か」


 しばらくして、静かに頷いた。


「分かった。やってみよう。

 この村は、もう失うものがない」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。


 夕方。

 俺は完全に灰になっていた。


「……腰が……」


 そのとき、村の子供が俺に近づいてきた。


「ねえ、お兄ちゃん。これで畑、元気になるの?」


「すぐには無理。でも、ちゃんと世話すれば、必ず応えてくれる」


「ふーん……土って、生きてるんだね」


 その一言が、やけに胸に残った。


 夜。

 藁の上で天井を見つめながら、俺は小さく呟く。


「チートはない。魔法もない。

 でも……土はある」


 臭いは最悪。

 腰は痛い。

 前途は絶望的。


 それでも――


(悪くないな、異世界農業)


 俺は、少しだけ笑って、目を閉じた。


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