融雪
目を覚ましたとき、最初に見えたのは、白い天井だった。
次に、薬草の匂い。
そして――聞き慣れた声。
ルリ「……く、クロガネ!良かった!心配した!」
クロガネは、ゆっくりと瞬きをする。
ようやく、自分がヴァルターの攻撃を受け、気を失っていたことに気づいた。
ルリがクロガネに抱きつく。
その後ろには、アカリとライゼルの姿もある。
全員、生きている。
その事実に、胸の奥が、じわりと熱くなった。
クロガネ「お、おれは……生きて、るのか……」
声が、掠れる。
ルリは、泣きながら頷いた。
クロガネが倒れてからの一部始終を
ライゼルとアカリが伝えた。
フェリクスとの戦闘。
地下で何が起きたのか。
研究所の崩壊。
逃げ惑う人々。
そして――ヴァルターという敵の選択。
アカリの話を聞くほどに、クロガネの眉は、深く寄っていった。
クロガネ「……信じられない、異端者なのにか?」
時間干渉魔術。
それを研究する者は、悪だと教えられてきた。
それなのに。
敵であるはずの男が、最後に守ったのは――人だった。
クロガネ「……そんなの、間違ってるだろ……」
吐き出すように言ってから、クロガネは顔を覆った。
クロガネ「なのに……俺は……」
言葉が、続かない。
クロガネに抱きついているルリは、震えながら顔を埋めた。
アカリとライゼルは何も言わずにそばに立っていた。
ただ、生きている。
クロガネの目から、静かに涙が落ちた。
クロガネ「……俺は、弱い」
絞り出すような声。
クロガネ「強くなる……もっと、だ」
誰に誓うでもなく。
ただ、胸の奥に刻み込むように。
⸻
王城。
ルリは膝をつき、ライゼルは腕を組んで玉座の前に立っていた。
下層部に開いた巨大な穴。
地下研究所の壊滅。
敵勢力の撤退。
そして――幹部級一名の、間接的な死。
淡々と報告を終え、沈黙が落ちる。
王――レイは、しばし目を閉じていたが、やがて口を開いた。
レイ「……よくやった」
短い労い。
レイ「新たな勇者の布陣は、すでに進んでいる」
視線が、二人を見据える。
レイ「暫くは動くな、休め、次の目星がついている。」
ルリは少し驚き、
ライゼルは微動だにせず、腕を組んだまま。
ルリ「はっ!」
ライゼル「国の王も、優しいのだな。」
王は、わずかに笑ったように見えた。
⸻
ルリとライゼルが王城に向かったあと、
アカリはひとり、王城図書館へと足を向けていた。
その途中、ふと――
地下での光景が、脳裏をよぎる。
崩れ落ちる研究所。
逃げ惑う人々。
氷が輝く、あの一瞬。
逃げる人達の波に逆らう、赤茶色の髪。
――ラヴィア。
小さな火の鳥が、空を裂き、
その直後、彼女は現れた。
ラヴィア「……生きてたのね」
何故かホッとしたかのような顔で。
それだけ言って、周囲を一瞥する。
アカリの怪我。
限界に近い地下街。
姿のないヴァルター。
ラヴィアは、すぐに理解した。
ラヴィア「……話は後」
火の魔力が、静かに灯る。
ラヴィア「……今は、全員が生きて出ることだけ考えなさい」
その背中は、
敵だったはずなのに――
不思議と、迷いがなかった。
⸻
王城図書館に併設された、孤児院。
柔らかな日差しの中で、アカリは小さな少女と並んで座っていた。
アカリと少女は絵本を笑顔で見ている。
少女は、相変わらず薄汚れたぬいぐるみを抱いている。
そこへ、ひとりの女性がやってくる。
お姉さん「ごきげんよう。」
赤茶色の髪を揺らし、穏やかに微笑むその人は、子どもたちから“ララお姉さん”と呼ばれていた。
地下街の少女を保護する形になった後、ここの孤児院に引き渡した時、ララお姉さんは、二人を抱きしめた。
いきなりでびっくりしたが、理由は聞かなかった。
右腕の怪我も心配され、破れた制服の袖も、ララお姉さんが直してくれた。
ララお姉さん「仲良いのね、すごく良いわ、姉妹みたい」
アカリ「わたし、お姉さんだったんですよ!」
どこか安心している自分に気づく。
三人で話をした。
アカリの出生のこと。
元の世界の話。
常識の違い。
ララお姉さんは、ぽかんとした顔をしてから、笑った。
ララお姉さん「……信じるわ、だって、あなた、嘘つく顔じゃないもの」
アカリは、胸の奥が、少しだけ軽くなるのを感じた。
⸻
クロガネ・ルリ宅で生活する中、アカリは気になっていることがある。
現実世界への帰り方ではない。
――ルリ。
見た目は、幼い。
それなのに、勇者隊の一員。
出生は、不明。
過去も、ほとんど語られない。
クロガネは、気にしていない。
「ルリの選択だから」と、それだけだ。
でも。
あのとき感じた、大技の予感。
まだ、何も明かされていない切り札。
アカリ(本で読んだ……自壊するほどの…
大技…使わせたら……だめなやつ……)
アカリは、静かに思った。
⸻
遠くで、新たな動きが始まっている。
名も、顔も、まだ知らない存在。
だが確実に、次の波は近づいていた。
ミーナ「クロガネさん…会えるかなあ?」
融けた雪の下で、
新しい物語が、芽吹こうとしている。
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