002:騙される方が悪いんだよ、お嬢ちゃん
ノエルは、念願の魔女の弟子になれたことが、まだ現実とは思えないほど嬉しかった。胸の奥がじんわり熱くなり、小さくガッツポーズをしながら、スラーシャの後ろを小走りでついていく。
「その、スラーシャさん。ボク、男──」
言いかけたところで、前を行くスラーシャが足を止めた。
「着いたよ」
ノエルの視線の先には、石造りの、くたびれた倉庫のような建物が立っていた。壁にはひびが入り、窓枠もところどころ歪んでいる。
「中で待ってな」
スラーシャはそれだけ言うと、扉の方をあごでしゃくった。
促されるままに、ノエルは重そうな木の扉に手をかける。軋む音とともに扉が開き、中に入ると、薄暗い室内に、酒と煙草の匂いがむわりと漂ってきた。
小さなランプの灯りを囲むように、男が三人、テーブルにつき、ぐいぐいと酒をあおっている。
「……あ、あの」
ノエルがおそるおそる声をかけると、そのうちの一人がノエルに気づき、椅子を引いて立ち上がる。
乱暴そうな靴音を響かせながら、男がノエルの方へと歩み寄ってきた。
「お?!」
「ボ、ボク、ノエルって言います」
「おぉ〜、ノエルちゃ〜ん。へへへ」
男はにやけ顔のまま近づいてきて、そのままノエルの腰に腕を回した。
ぐっと体を引き寄せられ、首元にざらついた息がかかる。
「……っ」
鼻先が首筋に触れそうな距離で、男はクンクンとノエルの匂いを嗅いだ。身体が強張って、ノエルは指先ひとつ動かせない。
そのとき、背後からスラーシャの声が飛んだ。
「おい、その娘はアルディーン家の娘なんだからね。遊んでもいいけど、ダメにするんじゃないよ!値段が付かなくなるからね!」
「へへへ、わかってるって、ダリア」
「……ダリア?」
聞き慣れない名に、ノエルは思わずその女を振り返る。
スラーシャと名乗っていた女は、鬱陶しそうにとんがり帽子をつまんで脱ぎ、近くの木箱にぽんと投げ捨てた。
「残念だったねぇ」
ダリアと呼ばれた女は口の端だけで笑う。
「アタシはスラーシャでも、魔女なんかでもないよ」
胸のどこかで、何かがポキリと折れた気がした。ノエルは全て悟った。自分は騙されたのだと。
「……騙したんですか」
やっとのことで絞り出したノエルの声は、かすれていた。
ダリアは鼻で笑う。
「ふん、騙される方が悪いんだよ、お嬢ちゃん」
そう言って近くの椅子にドカッと腰を落とし、ポケットから葉巻を一本取り出す。火をつけ、ゆっくりと吸い込んでから、煙と一緒に言葉を吐き出した。
「魔女だの弟子入りだの、よくそんな話を信じられるね。箱入りのお嬢ちゃんは、世間知らずで助かるよ」
「高貴な家の若い娘で遊べるなんてよ、今夜はほんと、ついてるよなぁ」
さっきノエルに腕を回してきた男が、いやらしく舐め回すような視線を向けてくる。酒臭い息を撒き散らしながら近づき、がしっとノエルの腕をつかんだ。
「や、やだ……離してください!」
振りほどこうとしても、男の手はびくともしない。
「おとなしくしてろって。痛い目みたくなきゃな」
椅子に座っていた残りの二人も、立ち上がった。にやついた顔のまま、ノエルの方へとゆっくり近づいてくる。
三人がかりでノエルの身体をつかむと、そのまま粗末なベッドの上へ乱暴に放り投げた。
「暴れると怪我しちゃうぞ、お嬢ちゃん」
両腕を無理やり引き上げられ、ベッドの柱へとねじられる。手首に粗い縄が巻きつき、容赦なく締め上げられた。皮膚が裂けそうな痛みが走る。
「やめ……っ、誰か──」
叫ぼうとした口に、布がぐいっと押し込まれる。そのまま頭の後ろで固く結ばれ、猿ぐつわにされた。言葉はすべて、喉の奥でくぐもった音に変わる。
「いい声出しそうなのに、もったいないねぇ」
男の笑い声と、酒と煙の匂いが、狭い部屋の中で混じり合っていく。
「へへへ、悪いな。俺から先に、楽しませてもらうぜ」
男がいやらしく笑いながら、ベッドの上のノエルにのしかかる。腰のあたりへと乱暴に手を伸ばしてきた。
ノエルは猿ぐつわ越しに、必死に声をあげる。
「んーー! んーーっ!」
足をばたつかせても、押さえつける男たちの腕はびくともしない。三人がかりで身体を押さえ込まれ、身動きの自由はほとんど奪われていた。
「おいおい、暴れんなって。すぐ──」
ノエルの下着に伸ばされた男の手が、不意に止まる。
「……は?」
男の顔から、徐々に笑みが消えていった。眉がひくつき、まじまじとノエルの腰元を見下ろす。
「ちょ、ちょっと待て。おい……こいつ……こいつ、男じゃねえか?!」
葉巻をくわえて椅子にふんぞり返っていたダリアが、露骨に眉をひそめた。
「はあ? なに言ってんだい」
椅子を蹴るように立ち上がり、ダリアがこちらへ駆け寄る。ノエルの下半身に視線を落とし、しばらく黙り込んだ。
「……あー、こりゃ男だね、てっきり女だと思ってたよ」
肩を落とし、大きく息を吐く。
「……いや、この際、男でも女でも、こんだけ可愛ければ問題ねぇだろ」
男はズボンを下ろし、肩で荒く息をしながらノエルを見下ろした。
そのときだった。
ノエルの視界の端で、天井近くの闇がぬるりと揺れたかと思うと、ベッドの上の男の頭と背中に、とろりとした何かが降りかかった。
ヌチャリ、と嫌な音がする。
それはネバネバと粘りつく透明な液体で、男の頭と背中にまとわりつくように広がっていった。
「……なんだ、こ──」
男が言い切る前に、液体が触れているところから白い煙がじゅうっと立ちのぼる。焦げたような匂いが、部屋中に一気に広がった。
「アチチチチッ!? い、いてぇ、なんだよこりゃああ!」
男は頭と背中を押さえながらベッドから転げ落ち、床を転がって悶える。
「ど、どうした? 急に」
残りの男二人がうろたえ、周りをきょろきょろと見回した、そのとき。
「いいねぇ、男の娘」
女の声が、頭上からひらりと降ってきた。
「このまま汚いオジサンに可愛い男の娘がめちゃくちゃに犯されるところも、ちょっと見てみたかった気もするけどさ」
ノエルは顔を上げる。
天井近くの梁の上に、女が腰かけていた。片足をぶらぶらさせ、水色の長い髪を揺らしている。とんがり帽子。深い黒のスカートには高くスリットが入っていて、そこから白い脚が無造作にのぞいていた。
女は梁の上から、楽しそうな笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
「誰だい、あんたは!」
ダリアが怒鳴るように叫んだ。
女は、ひとりをまっすぐ指さした。
「君だよね。ここ数ヶ月、私の名を語って、変な物売ったり、人さらったりしてるのは」
名指しされたダリアの肩がびくりと跳ねる。
「?!」
顔を強張らせ、女を見上げた。
「ま、まさか……あんた、幽水の魔女スラーシャ・リナリエルかい?!」
「そうだよ」
女はあっさり肯定すると、梁の上からぴょんと飛び降りた。
「おい、お前たち! 魔女をやるよ!」
ダリアが怒鳴る。合図と同時に、ダリアと男たち三人が壁に立てかけてあった剣をつかみ、一斉に抜いた。金属の擦れる音が短く鳴り、スラーシャをぐるりと囲む。
だが、スラーシャ本人は、取り囲まれていることなどどうでもいいとでも言うように、大きくひとつ息を吐く。
「やれやれ」
軽く腰のほこりを払うと、そのままノエルの方へ向き直った。
剣先が何本も自分に向けられているのに、スラーシャは一歩もためらわず、まっすぐノエルへと歩いてくる。
「このぉ、舐めた女だね!」
怒鳴りざま、ダリアが剣を振りかぶって飛びかかる。
男たち三人もそれに続き、各々の剣を構えて一斉にスラーシャへと踏み込んだ、はずだった。
だが、その足が、途中で止まる。
「……あ?」
ダリアが顔だけを動かして足元を見る。
「?!? なんだい、このドロドロして、やっ!」
透明なドロドロが、生き物のように動き出し、ダリアと男たちの手足に絡みついていた。
ダリアと男たちは剣を振り下ろそうとした格好のまま、身動きが取れなくなっている。
「離れねぇ! なんだこれ!」
足を引こうとするたび、粘液がぬるりと伸びては巻きつき、逆に拘束を強めていく。
そんな4人を背に、スラーシャはちらりとだけ振り返った。が、それ以上興味を示すこともなく、今度はノエルの方へと向き直る。
スラーシャはベッドのそばまで来ると、ノエルの腰のあたり、口が触れないぎりぎりの距離にしゃがみ込んだ。
ノエルは、下腹のあたりにかかるかすかな吐息に、びくりと身体をこわばらせた。
スラーシャがベッドの上で四つん這いになり、ノエルの身体に覆いかぶさるような体勢になった。
「んーっ、んーっ!」
「はいはい、ちょっと待っててね」
スラーシャはノエルの上に覆いかぶさったまま、片手を伸ばして、柱に縛りつけられた縄に触れた。
ギュッと結び目を引き、固く締められていた縄をほどいていく。手首に食い込んでいた圧迫が、少しずつ軽くなっていった。
両腕が解放されると、今度はノエルの頭の後ろに手を回す。後頭部で結ばれていた布を、指先で器用にほどいた。
「……っ、ぱっ」
ノエルは勢いよく息を吸い込み、荒く肩を上下させた。
「はぁ、はぁ……あ、ありがとうございます」
ようやく言葉を出したノエルの視界の、すぐ目の前のスラーシャの顔が映る。水色の瞳が、真っ直ぐこちらだけを見ていた。
「どういたしまして」
「……」
しばし、二人のあいだに言葉のない時間が落ちた。
スラーシャは四つん這いの姿勢のまま、ノエルの上に影を落としている。長い髪がさらりと垂れ、ノエルの頬にふれる距離まで揺れた。
ダリアと男たち三人のうめき声だけが、部屋の隅でくぐもって響いている。けれどノエルの意識は、もうそちらには向かなかった。
「あの……」
声をかけながら、自分の鼓動がやけにうるさく感じる。
身体は男の子だが、心は女の子。ノエルはこれまで、女の人にときめいたことなど一度もなかった。なのに、今。
目の前で、自分を覆うように四つん這いになっているスラーシャに、胸の奥がふわりと浮くような感覚をおぼえていた。
それが何の感情なのかは分からない。憧れていた本物の魔女に会えた興奮なのか。さっきまでの恐怖から解放された安堵なのか。あるいは、そのどちらでもない、別の何かなのか。
顔が近い。少し視線をずらせば、ゆるく開いた胸元の布のあいだから白い肌がのぞいている。スリットの入ったスカートの奥では、太ももの付け根近くまで、なめらかなラインが露わになっていた。
ノエルは、真上から覗き込むスラーシャの顔を見上げた。
「あの……弟子にしてください。ボク、魔女になるのが夢なんです……!」
言ってから、ひどく場違いなことを口にした自覚が一気に押し寄せる。
ここは人さらいのアジトで、自分は下半身をむき出しにされたままベッドに横たわっていて、その上に魔女が覆いかぶさっている。さっきまで命の危険すらあった状況で、弟子入り志願。
(……なに考えてるんだろう、ボク)
自分でも訳は分からない。けれど、心のどこかが「今しかない」と勝手に背中を押した。
スラーシャは、ふっと表情を和らげると、ノエルの耳元にそっと唇を寄せる。
「いいよ」
囁きは、小さく、それでいてはっきりと聞こえた。
「え……? ボク、男ですよ」
思わず確認してしまう。
スラーシャは肩をすくめるように笑った。
「見れば分かるよ」
「……本当にいいんですか?」
まだ信じきれないノエルに、スラーシャは少しだけ真面目な声音になる。
「男とか女とか、そんなことで諦めてしまうようなものを、君は夢だと言ったのかい?」
物心ついたころからずっと、身体と心が噛み合わないことに悩んできた。両親以外には誰にも言えず、打ち明けたところで冗談にされるか、気味悪がられて終わるだけだと思っていた。
けれど今、目の前の魔女は、その悩みをあっさりと「そんなこと」と言い切った。その一言で、ずっと自分を縛っていた鎖が外れていく気がした。
これまで悩んできた時間はいったい何だったのか。そう思えるくらいに、胸がふっと軽くなる。こみ上げてくるものをこらえようと、ノエルはぎゅっと唇を噛みしめた。
ダリアたちのうめき声が遠くに聞こえる中、ノエルとスラーシャはしばらく見つめ合ったままだった。
こうしてノエルは、世界でも例のない男の魔女見習いとなった。
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