合宿の夜、暗闇の悲鳴と布団の中の戦争
1
夕食(カレー)を終え、大浴場の時間。
湯船に浸かった男子バレー部員たちは、一日の疲れを癒やしながら、低い声で作戦会議を開いていた。
「……いいか、お前ら。今夜のメインイベントは『肝試し』だ」
手ぬぐいを頭に乗せた一ノ瀬が、真剣な眼差しで語る。
「くじ引きは完全ランダムらしい。だが、もし俺が霧島ちゃんとペアになれたら……俺の時代が来る」
「お前、まだ諦めてなかったのか」
三雲が呆れる。「どうせ日向が、何かしらの力学でヒロインと組むことになるんだろ。あいつはそういう星の下にいる」
「そ、そんなことないって」
僕は肩までお湯に浸かりながら否定する。
「確率は平等だよ。僕だって剛田先輩と組む可能性だってあるし」
「おう、俺か? 任せろ、おんぶしてやるぞ!」
剛田先輩が豪快に笑い、お湯がざぶんと溢れる。
「……はぁ。とにかく、日向」
一ノ瀬が僕の肩をガシッと掴んだ。
「もしお前が霧島ちゃん以外……例えば、あの種子島マネージャーと組むことになったら、全力で守ってやれよ」
「え、凛ちゃん?」
「ああ見えて一年生だ。お化けとか苦手かもしれねえだろ? ギャップ萌えのチャンスだぞ」
……凛がお化けを怖がる?
あの「データ至上主義」の鉄の女が?
想像できない。幽霊が出ても「非科学的です」と論破して消滅させそうだ。
だが、その予想は数時間後、見事に裏切られることになる。
2
午後八時。
合宿所裏の森。街灯もない真っ暗な林道。
佐多先生の「メンタル強化訓練」という名目で、肝試しが始まった。
運命のくじ引き。
僕が引いた番号は『4番』。
そして、同じ『4番』を持っていたのは――。
「……先輩ですか。効率的ですね」
種子島凛だった。
一ノ瀬が遠くで「チッ」と舌打ちし、三雲が「ほら見ろ」と肩をすくめる。
ちなみに楓は一ノ瀬と、雫は剛田先輩とペアになったらしい。楓が「なんでー! インチキだー!」と地団駄を踏んでいる声が聞こえる。
「行きますよ、先輩。さっさと終わらせてデータ整理をしないといけません」
凛は懐中電灯を手に、スタスタと暗闇へ歩き出した。
やっぱり怖がっていない。むしろ、早く終わらせたくてイライラしているようだ。
「……幽霊とか、平気なの?」
僕が追いついて尋ねると、凛は鼻で笑った。
「愚問です。霊魂の存在は科学的に証明されていません。脳が見せる幻覚、あるいはプラズマ現象に過ぎません。恐れる理由がありません」
頼もしい。
僕たちは暗い森の中を進む。
風が木々を揺らし、ザワザワと不気味な音が響く。
――バキッ!
どこかで小枝が折れる音がした。
「ひゃうッ!?」
凛が奇声を上げ、瞬時に僕の腕にしがみついてきた。
ガタガタと震えている。
「……凛ちゃん?」
「い、今の音……デシベル値が異常でした……! す、数値化できない波形が……!」
「ただの枝が折れた音だよ」
「そ、そうですよね。分かってます。……離してください」
口ではそう言うが、彼女の手は僕の腕を万力のように締め付けて離さない。
歩き出すと、今度はフクロウが「ホー」と鳴いた。
「ぎゃあああ!?」
凛が僕の背中に飛び乗ってきた。おんぶ状態だ。
「先輩! 守ってください! 背後! 背後から視線を感じます!」
「ちょ、苦しい! 首絞まってる!」
あの冷徹な管理者はどこへ行ったのか。
凛は「暗い」「狭い」「得体の知れないもの」が極端に苦手らしい。涙目で僕の服を握りしめている姿は、年相応の――いや、小学生のように幼く見えた。
「……大丈夫だよ。僕がいるから」
僕は仕方なく、彼女を背負ったまま歩くことにした。
背中の温もりと、微かな震え。
いつもは僕を管理する彼女の、意外な弱さ。
――ガササッ!
草むらから、白い影が飛び出した。
お化け役の女子部員だ。
「うらめしやぁ~……!」
「無理無理無理! エラー! 強制終了(シャットダウン)!!」
凛は叫びながら、僕の顔を両手で挟んで胸に埋めた。
「見ないでください! 先輩も見ちゃダメです!」
……一ノ瀬の言った通りだった。
僕はこの夜、最強の管理者の「弱点」を知ってしまった。
3
肝試しを終え、深夜23時。
男子部屋(10畳の和室)では、布団を敷き詰めて恒例の「恋バナ(という名の反省会)」が行われていた。
「……いいなあ、日向。凛ちゃんにおんぶとか」
一ノ瀬が枕を抱えて嘆く。彼は楓とペアだったが、楓が「悠真の様子を見てくる!」と猛スピードでコースを走破したため、何も起きなかったらしい。
「まあ、日向は苦労してるみたいだがな」
三雲がスマホを見ながら言う。「でも、お前最近ちょっと楽しそうだぞ」
その時。
コンコン、と障子が控えめに叩かれた。
「……誰だ? 先生か?」
一ノ瀬が身構える。消灯時間は過ぎている。見つかれば説教だ。
スッ……と障子が開く。
そこに立っていたのは、パジャマ姿の楓だった。
「……悠真。起きてる?」
「楓!? なんでここに!」
「だって、悠真が肝試しで凛ちゃんをおんぶしたって聞いて……腰、痛めてないか心配で」
楓はズカズカと部屋に入ってくると、僕の布団の横に正座した。
「ほら、湿布貼ってあげる。背中出して」
「い、いいって! 男子部屋だぞ!」
「関係ないよ。私はマネージャー補佐だもん。選手のケアは仕事!」
楓が強引に僕のパジャマを捲ろうとした、その時。
再び障子が開いた。
「……先輩。起きてますね」
ジャージ姿の凛だ。手にはプロテインシェイカーを持っている。
「寝る前のゴールデンタイムです。筋肉の修復のために、特製プロテインを飲んでください」
「うわっ、また来た!」
一ノ瀬たちが布団を被って震える。
「凛ちゃん! 今は私がケア中!」
「湿布なんて対症療法です。必要なのは内部からの栄養補給です」
「ていうか、さっきまでお化け怖がってた癖に!」
「……っ! そ、それは関係ありません! あれはシステムエラーです!」
僕の枕元で、楓と凛のキャットファイトが始まる。
その時、ふと窓際(二階)の方から、カタンと音がした。
「……あら。賑やかね」
ベランダの窓から、黒い影が入ってきた。
雫だ。
彼女はネグリジェのような黒いワンピース姿で、月光を背に立っていた。
「し、雫!? ここ二階だぞ!?」
「雨樋(あまどい)を登ってきたの。……夜の男子部屋って、独特の熱気があっていいわね」
雫は妖艶に微笑み、僕の布団の足元に腰掛けた。
楓(右)、凛(左)、雫(足元)。
完全に包囲された。
一ノ瀬たちが「うらやましー!」と「助けてくれー!」の混じった悲鳴を上げる。
その時。
廊下から、ペタ……ペタ……と、重い足音が近づいてきた。
そして、懐中電灯の光が障子越しにチラつく。
「……おい。まだ起きている奴がいるな?」
佐多先生だ! 見回りの時間だ!
「やべっ! 先生だ!」
「女子がいるのバレたら停学モンだぞ!」
「隠れろッ!!」
一ノ瀬の号令で、全員がパニックになる。
隠れる場所なんてない。あるのは布団だけ。
「悠真、失礼!」
「先輩、緊急回避です!」
「……狭いわね」
バサッ!
三人のヒロインが、一斉に僕の布団の中に潜り込んできた。
「ぐふっ!?」
右に楓の柔らかさ。
左に凛の硬い筋肉(と良い匂い)。
上に雫の髪の感触。
布団の中は、熱気と甘い香りで飽和状態だ。
ガラッ!
障子が開く。佐多先生が懐中電灯で部屋を照らす。
「……点呼とるぞ」
男子たちは全員、死んだふりで狸寝入りを決め込んでいる。
僕は布団の中で、三人の少女に密着されながら、必死に呼吸を整え、寝息を装った。
心臓の音がうるさい。バレる。絶対バレる。
先生の光が、僕の顔で止まる。
汗だくの僕。布団がモコモコと不自然に盛り上がっている。
「……日向。寝相が悪いな」
先生はそう呟くと、パシャリと障子を閉めた。
遠ざかる足音。
「……助かった……」
布団の中で、四人の吐息が重なった。
この夜のことは、誰にも言えない。
僕たちの夏合宿は、こうして更けていったのだった。
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