海と水着と、砂浜の逃走劇

1


 七月下旬。夏休み初日。

 早朝の桜島港ターミナルに停まる大型観光バスの中は、奇妙な熱気と、背中を刺すような殺気に包まれていた。

 フロントガラスには『桜島南高校 合同合宿様』のプレートが掲げられている。


「……おい、日向。ちょっとこっち向け」


 バスの最後部座席から、ドスの効いた低い声が飛んできた。

 恐る恐る振り返ると、キャプテンの一ノ瀬隼人、セッターの三雲翔、副キャプテンの剛田猛が、死んだ魚のような目(僕とは違う意味で)でこちらを睨んでいた。


「……な、何かな、キャプテン」

「お前、その席順はどういう了見だ? 説明責任を果たせ」


 現在の状況を説明しよう。

 今回の合宿は、予算不足のため、男子バレー部は女子バレー部や、同じく合宿先へ向かう文化部の一部とバスが相乗りになった。それはいい。問題は配置だ。


 僕の右隣の窓際には、霧島楓。

「悠真! ポッキー食べるけ? いちご味だよ!」

 彼女は帰宅部のはずだが、「男子バレー部のマネージャーが一年生一人じゃ大変だから!」と佐多先生に猛プッシュし、強引に『押しかけマネージャー補佐(雑用係)』の枠を勝ち取って参加している。


 左の通路を挟んで座っているのは、正規マネージャーの種子島凛。

「先輩、酔い止めは飲みましたか? バス移動中の微細な振動は、三半規管への負担となり体力消耗に繋がります」

 彼女はタブレットで僕のバイタルを管理中だ。


 そして後ろの席には、美術部の神宮司雫。

「……揺れるわね。線が歪むじゃない」

 彼女は顧問を買収して『風景写生合宿』として便乗している。スケッチブックには、すでに僕の後頭部が描かれている気がする。


 対して、男子部員たちは最後部座席で男同士、むさ苦しく肩を寄せ合っている。


「不公平だろおおお!!」


 一ノ瀬がハンカチを噛み締める。


「なんで俺たちは剛田の筋肉に挟まれて、お前だけ両手に花なんだよ! しかも後ろに高嶺の花まで! お前、前世で徳を積みすぎたのか、それとも大罪を犯したのかどっちだ!」


「全くだ」


 三雲が眼鏡の位置を直しながら、冷ややかに同意する。


「日向。お前、プレーは戻ってきたが人間としては堕落してるぞ。そのハーレム状態、物理的に爆発すべきだ」


「ひぃ……」


 僕が縮こまっていると、凛が冷たい視線を後部座席に向けた。


「先輩方。酸素の無駄遣いです。静かにしてください」

「うっ……」

「それに、日向先輩は『要介護者』なので監視が必要です。貴方たちとは扱いが異なります。文句があるなら、レシーブ成功率をあと20%上げてから言いに来てください」


 凛のバッサリとした一言に、部員たちは撃沈した。

 僕は小さく手を合わせて謝る。

 すまない、みんな。でもこっちも、愛と管理が重すぎて胃が痛いんだ。


「ほら悠真、あーん!」

「先輩、口を開けないでください。咀嚼回数が足りません」

「……動かないで。光の加減が変わるわ」


 バスが発車する。

 僕の逃げ場のない旅が始まった。


2


 バスに揺られること二時間。

 大隅半島側の海沿いにある「県立青少年自然の家」に到着した。

 バスを降りると、潮の香りと、強烈な日差しが僕たちを迎えた。

 目の前には白い砂浜、青い海。絶好のロケーションだ。


「よし、荷物を部屋に置いたら集合だ! 午前中はフリータイムとする!」


 佐多先生の号令で、僕たちは海へと繰り出した。

 フリータイム。それはつまり、束の間の休息であり、男子高校生にとっては「ある期待」が膨らむ時間でもある。


「うおおおッ! 海だ! 水着だ!」


 一ノ瀬たちが雄叫びを上げて砂浜へダッシュする。

 僕は木陰で荷物番をしながら、ため息をついていた。日差しが強い。肌が焼けそうだ。


「お待たせ、悠真!」


 更衣室の方から、明るい声がした。

 顔を上げた瞬間、僕の視界がピンク色に染まった。


 最初に特攻してきたのは、楓だ。

 彼女が着ているのは、鮮やかなトロピカルピンクのビキニ。

 フリルが付いていて可愛らしいデザインだが、布面積は意外と小さい。帰宅部だが、日々の「悠真の世話(走り回り)」で鍛えられた健康的なスタイルが、南国の日差しに映えて眩しい。


「……どう? 似合う?」


 楓がクルリと回ってみせる。弾むような動きに、僕は目のやり場に困って空を見る。


「……う、うん。似合ってるよ」

「えへへ、よかった! 悠真に見せるために選んだんだもん! 奮発しちゃった!」


 彼女は無邪気に僕の腕に抱きつく。濡れた肌の感触と、日焼け止めクリームの甘い匂いに、僕は硬直する。


「はい、悠真! 背中出して! 日焼け止め塗ってあげる!」

「じ、自分で塗れるって!」

「ダメ! 塗り残しがあったら大変でしょ! シミになっちゃうよ!」


 楓が僕の背中にペタリと張り付く。

 その様子を遠巻きに見ていた一ノ瀬が、恐る恐る近づいてきた。


「あ、あのー、霧島マネージャー補佐? 俺も背中がヒリヒリするんで、塗ってもらえたり……」


 一ノ瀬の淡い期待に対し、楓はニッコリと(残酷に)笑った。


「あ、ごめんなさい一ノ瀬くん。日焼け止め、悠真の分しか持ってきてなくて。そこの売店に売ってたよ! 300円!」

「……知ってた」


 一ノ瀬が膝から崩れ落ちる。


 次に現れたのは、凛だ。


「……非効率です。紫外線は疲労の原因になりますから」


 彼女はブツブツ文句を言いながら、クーラーボックスを抱えてやってきた。

 その格好は、黒のスポーティなセパレート水着。

 サイドがメッシュになった機能美デザインだが、引き締まった腹筋と、いつものポニーテールを解いて下ろした髪が妙に大人びていて、ギャップが激しい。


「……先輩。どこを見ているんですか。視線の動きが不審です」

「い、いや、見てないって!」

「……フン。まあ、減るもんじゃないですし。データ収集の一環として許可します」


 凛はそっぽを向いたが、耳が少し赤かった。


「……種子島。ドリンクくれ」

 三雲が声をかける。

「セルフサービスです、三雲先輩。そこから取ってください」

「お前、日向にはさっき手渡ししてただろ」

「日向先輩は『重要管理対象』です。三雲先輩は『一般兵』です。区別は当然です」

「……この部のヒエラルキー、どうなってんだよ」


 そして極めつけは、日傘の下の雫。

 漆黒のワンピース水着にパレオを巻き、優雅に波打ち際を歩いている。

 背中が大胆に開いており、雪のような白い肌が眩しい。まるで避暑地に来た女優のようだ。


 剛田先輩が「あ、あの、神宮司さん。荷物持ちましょうか?」と親切心で声をかけたら、


「……結構よ。岩肌に荷物を持たせても絵にならないもの」


 と一刀両断されていた。


「……日向ァ」


 三人の男たちが、恨めしそうな、でもどこか楽しそうな目で僕を囲む。


「お前、この合宿中に一回くらい砂に埋めるからな」

「覚悟しとけよ、リア充リベロ」

「まあまあ、夜の『尋問(恋バナ)』で全部吐かせようぜ」


 殺気と友情(?)が入り混じる砂浜。

 僕は苦笑いしながら、それでもこの騒がしい輪の中にいられることが嬉しかった。

 中学の時は、こんなふうにチームメイトとふざけ合うことなんて出来なかったから。


3


「――はい、遊びは終わり! 午後練始めるぞ!」


 佐多先生の笛で、地獄の砂浜トレーニングが始まった。

 足場の悪い砂浜でのレシーブ練習。足が砂に取られ、体力が削られていく。


「ほらほら、足が止まってますよ!」

 凛が笛を吹き鳴らす。「一ノ瀬先輩、反応が遅い! 腕立て20回追加!」


「鬼かよ、あの一年生!」

 一ノ瀬が砂まみれになりながら叫ぶ。

「おい悠真! お前のマネージャーだろ、なんとかしろよ!」

「無理だよキャプテン! 僕もさっき30回やらされたし!」


 僕もすでに泥だらけだ。

 そんな中、コート脇から楓の声が飛ぶ。


「悠真、頑張れー! きばれー(気張れ)!! カッコいいよー!」


 楓は「マネージャー補佐」という名目で練習には参加せず、タオルとドリンクを持って僕専用の応援団と化している。


「……霧島ちゃん、俺らへの応援は?」

 三雲が息を切らしながら聞く。

「あ、みんなも頑張ってー!(棒読み)」

「ついで感がすごい!」


 笑いが起きる。

 キツい練習だけど、空気が明るい。

 以前の僕なら、この「特別扱い」をプレッシャーに感じていただろう。でも今は、チームメイトがそれをネタにして笑い飛ばしてくれる。それが救いだった。


「ラスト、全員で繋ぐぞ!」

 剛田先輩が声を上げる。


 凛がボールを投げる。

 一ノ瀬が拾う。三雲が上げる。剛田が打つ。

 そして、弾かれたボールを、僕が砂に飛び込んで拾う。


「ナイスレシーブ、日向!」

「っしゃあ! 終わり!」


 全員で砂浜に大の字に倒れ込む。

 空は茜色に染まっていた。

 木陰では、雫がその光景を静かにスケッチしている。


 僕は横に倒れている一ノ瀬と目が合い、自然と拳を突き合わせた。


「……へへ。やっぱお前のレシーブ、安心するわ」

「おだてても何も出ないぞ、キャプテン」

「何も出なくていいから、夜の『肝試し』のペア決め、俺に譲れよ?」

「……それは、僕には決定権がない気がする」


 後ろで、凛と楓が早くも僕の取り合いを始めている気配がする。

 

「今夜の悠真のケアは私がするの! マッサージしてあげる!」

「いいえ、データ整理のために私の部屋に来てもらいます。アイシングが必要です」


 男子部員たちはそれを見て、「あーあ、大変だなお前も」と笑った。


 僕たちは泥だらけのまま、夕日に向かって笑い合った。

 こうして、男たちの絆(と嫉妬)深まる合宿の夜がやってくる。

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