Autumn raindrops - Teatime short stories

@RainyStep

第1話

「お茶を飲みたい女性ひとがいるんだ」


 通りの喧騒を遮る窓から差す、夏の終わりの色が混じる陽の中、飲みかけのコーヒーの残るカップに視線を落としたまま、シュウが言った。


「なに、また突然」


 慣れた様子で秋の言葉を軽い笑みで流しつつ、カオルは首をかしげた。


「ってか、お茶してると思うのだけど?私と。今、まさに」


 そう言いながら薫はカモミールティーの入ったカップを、かしげたままの顔の前に重ねる。


「あ、じゃなくて。ふと、そう思うことがあると。さっきウエイトレスが運んでいたあの香り。アール・グレイ。あの香りが漂うと、必ず学生時代のある女性ひとを思い出す」


「ほほう、秋君がデート中に武勇伝」


 薫は年上の余裕を笑みに乗せた。


 彼の言葉は常に安心に包まれている。デリカシーのない言葉だらけのように見えて、不安や不快といった、相手の負の感情に近づく言葉を発することがない。思考から発する言葉ではなく、彼が持ち合わせている性格からくるものだということは、初めて出会った直後からずっと感じていた。


 だから、彼の口から発せられる他の女性の話、それがたとえ昔の交際相手のことだったとしても、一切不快感を感じさせることがない。まるで本の読み聞かせのような、むしろこちらが続きを聞きたくなるようなストーリーばかりなのだ。


 それはおそらく、男女問わず、無意識に相手の「今」を最も尊重して言葉を発するからなのだろう。私にお姉さんぶった余裕があるわけではない。演じる必要のない空気を彼の言葉が紡ぎだしているだけだ。


「いやいや、そんな。不思議な思い出。甘さのない、むしろ、たぶん、ミステリー」


「あ、それはちょっと聞きたい」

 

 薫はいつもの彼女らしい好奇心旺盛な表情で、少し乗り出すような眼差しを彼に向けた。親の目から解放されて好き勝手に過ごした秋のアメリカ時代の学生談は、薫にとって愛読書のようなものだった。


「まあアール・グレイに限った話なんだけど。あの香りを嗅ぐと、その人がいないことに違和感を感じてね。おかげで自分からアール・グレイを選ぶことはない」


 薫はちょっと怪訝そうな顔で秋の顔を覗き込んだ。秋はカフェに入ると迷わずコーヒーをブラックで注文し、飲み物で迷ったことなど一度もない。


「紅茶も何も、いつもコーヒーじゃない」

「こだわりじゃないよ、ただの惰性。だから薫のハーブティーだっていつも美味しくいただいてる」

「初めて出した時、『漢方?』と漏らした口が?」


 薫は意地悪な笑みをなげかけた。


「いや、そんな洒落た生活してなかったから。ってか、いつまで引きずるの?それ」

「名言は消えることがないの。残念」


 ポットに残っていたカモミールをカップに継ぎ足し、薫は続けた。


「で、その女の人とお茶がしたい、と感じる時が今でもある。と」

「普段は思わないよ、全然。あの温かみのあるベルガモットの香りに包まれた時だけ」


 秋は自分の中に残る光景を確認し、納得した面持ちで、頷いた。


「その女性とアール・グレイを飲みたいんじゃなく、アール・グレイを飲む理由にはその女性が必要になる感覚」


「私とじゃダメなわけ?」


 秋は鼻先で薫のカモミールを指して言った。


「君はずっとハーブティーのイメージだから。そういう意味では僕がハーブティーを飲む理由としては薫が必要」


「ふうん」


 薫は、無意識にフォローする彼の半身に注いでいる光の光源を辿るように、窓の外を見た。街路樹の葉、行き交う人々の装いからも、まだ夏は終わっていない。ただ、少し傾き始めた陽の色だけが夏の終わりをつぶやきはじめている。


 何もないテーブルの中央に軽く視線を戻し、続けた。


「ちょっとだけ、わかる気はする。よほどその子と紅茶が紐づいちゃってるのね」

「紐づくほど不思議だったんだ。その謎は今もわからない。わからないから残っている感じ」


 薫はテーブルから視線を上げ、彼の眼を見た。


「でもさ、女子と紅茶を飲む程度なら普通だと思うけど」

「うん、今、こうしているように、それ自体は特別じゃない。おそらく彼女の存在そのものか、空間かなとも思うのだけど。そこが今でもよくわからない」


 ピンとこない言葉。


「続けて」

「長くなるかもよ?」

「いいよ、お店も混んでないし、今日はもう帰るだけだし、ってか聞きたい」


 秋は天井を見上げ、ほんの少しの沈黙の中で、淡い記憶をそっと引き出すように、あの光景を整理し、視線を薫に戻し、言葉にしてみた。


「寮にいたころの話。彼女はいつも、突然僕の部屋に来て、紅茶をいれて、飲んで、帰っていった。それだけ。会話らしい会話もほとんどなく。純粋に紅茶と無言の時間だった印象しか残っていない」


 薫はほんの少し状況を想像する仕草をして、眉間に皺を寄せた。


「部屋におしかけてきて、無言。ごめん、なんか罰ゲームの光景しか思い浮かばない」

「そうだね、確かに」


 秋はくすりと笑って、続けた。


「そこが不思議なところ。突然来ることも、リビングに家族が入ってくるような感覚だったし、ほぼ無言だったのに、苦痛どころか心地よさのような感覚があった」

「長い付き合いの親友やガールフレンドだったらアリだと思うけど。私と秋が過ごす時間だって、そういう感じも多いし」


「それか、鑑賞だけで満足するくらい、とっっても可愛い子だったとか」


 秋と女子が絡む話題になると、薫は必ずイタズラの釣り針を垂らす。


「美人ではあったよ、うん。失礼かもしれないけど、薄幸美人という印象。長い付き合いどころか、知り合いという言葉すら当たらない薄い関係だったからかもしれないけど」

「関係が薄くても恋心くらいは抱けると思うけど。その線はナシ?」

「ないね、たぶん。なにかしらの感情を抱くにはあまりに知らなすぎることばかりだった。あの無言の時間に心地よさを感じていたのが感情に入るのかはわからないけど」

「その時間は楽しみだったのかしら」

「楽しみということもなかったと思う。その時間を期待したこともなかった。実際、その時間がなくなっても、そのことに気づくまで結構な時間が経っていたし。もし楽しみにしていたら、探すなりしていただろうし、ね」


 光景と心情に想像に想像を重ねる薫の視線は、自然と斜め上の天井に向いていた。


「いつ知り合ったの?」

「知り合った、という瞬間すら覚えていない。夏に併設の語学学校に来ていた日本人の1人、という程度の認識」

「日本人だったんだ」


「さっき『その時間がなくなった』って言ってたよね。知り合った瞬間も曖昧で、でもお茶をした期間はあって、それがなくなった。よくわからないね」

「だからミステリー、って言ったろ?」

「うん、ミステリー感しかない」


 薫は冷めかけのカモミールに口をつけ、ほんの軽く、秋の話を下書きのようにまとめ、続けた。


「どのくらいの期間、お茶をしたの?」


「最初の紅茶は向こうの新学期が始まる頃だったから、ちょうど今くらいの季節かな。週に2、3回お茶をして、そして紅葉が終わる頃には、いなくなっていた」


「――ちょっと待って」


 薫は、消化できない言葉に混乱を感じた。


「いなく、なった?」


「部屋に来なくなったことが、いなくなっていたことだと知ったのは、かなり後のことだよ」


 腑に落ちない表情をして、薫は空になったカモミールのポットを軽くつついた。


「普通わかるでしょう?同じ学内で、寮生活なら、なおさら」

「僕の学部棟と語学学校の棟は離れていたから、語学学校の生徒を見かけること自体少なかった。僕の部屋に来なければ、学内で顔を合わせる機会はほぼなかったんだ。彼女のいた女子寮も僕の行動範囲から離れていたしね」


「探さなかったの?」

「探すも何も。気づかなかったんだから」


 薫のとまどいを気にする様子も見せず、秋は当たり前、といった口調で答えた。


「来るのも突然だったから、来ないことにも違和感は抱かなかったし、彼女については紅茶の時間に知ったこと以外はほぼ知らなかった。顔だけ知ってる程度の学生よりも知ってることは少なかったと思う」


「いなくなっていたことをはっきりと知ったのだって、冬の終わりだった。彼女に好意を持っていたという冬入学の後輩から、冬入学に合わせて他の大学に行ったらしい、という噂は耳にした。よくある話だったから、ああそうか、と」


 秋の言葉からは、目の前にある2つのカップが空になることが特別なことではないような、感情の薄い響きが感じられた。


「あのさ」


 薫は腑に落ちない顔をしながら、秋の目をのぞきこんだ。


「秋ってそんなに薄情なタイプじゃないと思うんだけど。学生時代の話を聞く限り。その話を知って、納得して終わり。というのは君らしくない」

「下の名前しか知らなかったくらいだし、探すほど強い理由は思い当たらなかったからね」


 少しの沈黙の中で薫は空になったままの2つのカップを見つめたあと、ふと思い出したように口を開いた。


「ねえ、おかしくない?」


 ふと湧いた疑問が堰を切ったように薫は続けた。


「別れの挨拶すらせず消えたその子も、秋のそのらしくない納得も、どっちもそこまで薄すぎるのに、なぜ紅茶、それもアール・グレイだけが今も君に残り、その子と紐づいてるの?」


 秋は両手を上げ、なだめるように言った。


「その時は、終わりに実感がなかった。それを自覚するまで時間がかかっただけ」


「次の年の秋、寮の部屋替えがあった。その荷づくり中、未開封のアール・グレイの小箱がひとつ出てきた」

「忘れ物」

「だと思う。僕は休憩も兼ねてその紅茶を開けて、マグにティーバッグを入れ、お湯を注いだ」


「部屋にアール・グレイの香りが立ち込め、窓の外にはあの時と同じ景色があった。同じ部屋、景色、そしてベルガモットの香り。そこで初めて彼女が欠けていることを自覚した」

「あっ」

「薫が言った、罰ゲームのような時間に心地よさを感じていたのは、彼女という存在が、その時間を完成させていたのだと、初めて気づいた」

「それが紐づいた、瞬間」

「そう。ただ、その意味まではわからなかった。1年経っていたし、アール・グレイと彼女が紐づいたとしても、それが何を意味していたのか理解はできなかった。彼女とアール・グレイを飲みたい、と今でも感じるのは、このはっきりしない感覚を理解する手がかりが見つかるかも、と。それしか思いつかないというだけ」


 薫はやっとたどり着いたミステリーの終章を読み終えた感覚に包まれた。


「やはりそれは、淡い恋だったのじゃないのかしら」

「そう感じられたなら腑に落ちたかもしれない。でも、そう思うにはあまりにも彼女のことを知らなすぎた。恋を想うにはあまりにも遠い、感情のかけらですらない感覚しかなかった。この不思議な感覚は、もっと物理的な、うん、靴下をはき忘れて外出した感じかな」


 薫は軽いため息を吐き、脱力した。


「ここまで匂わせて色気も感傷もないのはどうかと思うけど。少しくらい嫉妬させてくれてもいいのに」

「不思議な魅力を持った女性と紅茶の組み合わせ、という結末では不満?」

「いや、エピローグまで行ったらなんとなく嫌だから、そこで完結で」

「嫉妬してるっぽいけど」

「似て非なる感情。なんなら私が彼女とお茶してみたい」


 薫は席を立ち、秋を促した。


「そろそろ帰ろっか。ミステリーは謎を残して終わる方が面白いものね」


 二人はカフェから薫のマンションに足を向けた。ハーブティーが豊富なあのカフェが近所にある、という理由だけで選んだ部屋だった。


 陽は軽い赤みを帯び、残暑に残る蒸した空気は少しだけ和らいでいた。


「その子の名前は覚えてるの?」

「えっと、たしか葉っぱに月で、葉月ハヅキ

「葉月チャンか。季節が合いすぎて、嘘みたいな名前」

「季節由来なのか。思いもしなかった」

「もうそろそろの季節よ」

 

 部屋に戻り、薫は夏の熱がこもっていたリビングのエアコンをつけた。


「なんでアール・グレイだったのかしらね。その子の紅茶」

「わかりやすいから、らしい」

「確かにわかりやすい」


「ベルガモットって、柑橘系よね。食べられるのかな」

「見たことないけど、あの香りがするオレンジがあったらハマりそうだね」

「君は彼女なしで食べられるかな」

「紅茶じゃなければ大丈夫、たぶん」


 夕食後、薫はレモングラスティーをいれた。


「どこにいるのかな、彼女、今」

「どこだろうね。同期の就職先すら世界地図レベルだし」

「連絡先、交換しなかったの?」

「するような会話も空気もなかったね。僕自身、必要性を感じなければむやみに連絡先を増やしたくないタイプだし、彼女も社交的とは真逆なイメージだったから」


「会ってみたいな、アール・グレイのお姫様」

「突然来るんじゃないかな」

「突然、かあ」


 頭の片隅に形にならない光景がよぎった。

 秋の肩に頭を預け、そっと目を閉じ、薫はつぶやいた。


「今、チャイムが鳴ったら死んじゃうかも」

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