トキジクノカクノミ
平中なごん
一
「──これでよしっと……さあて、
私は自社で運営しているSNSに情報募集の記事を書き込むと、ポストできたことを確認して一息吐いた。
募集した情報というのは、ある果実についてのものだ。
それは柑橘類のようでもあり、
これまでの人生で知り得た他のどの果物ともまるで違う、唯一無二にして至高の味を持つ食物である。
その果実を、私は過去に一度だけ口にしたことがある……。
それはまだ三つか四つだった幼い頃の日、シングルマザーの母と旅暮らしをしていた時のことだった。
当時、顔も憶えていない父親という人は事業に失敗した挙句に心労が祟って呆気なく亡くなり、莫大な借金だけを残された母は夜逃げ同然に家を出ると、年端もいかない私を連れて
その理由の一つには、借金取りに追われているため、一つ所に定住できなかったことがある。
また、そんなんじゃまともな仕事にもつけないが、お遍路は通夜堂や善根宿と呼ばれる施設に無償で泊まれるし、廻る霊場の各地で地元住民が食べ物なども接待してくれるため、それらを頼りに食い繋いでいたのである。
とはいえ、それでも極貧の生活を送っていたことに変わりはない。ボロを着て、常にお腹を空かしていたという記憶がある。
そして、ある日のこと。次の霊場へと向う山道で、どういうわけか母と私は道に迷った。
大昔ならばいざ知らず、現代は遍路道も整備され、滅多に迷うことなどないと思うのだが……ただ、あの日は深い霧が出ていたので、うっかり本来の道から逸れて脇道に入ってしまったのかもしれない。
不安げな母に手を引かれ、深い霧の中を彷徨うことどれくらいだったろうか? 歩き疲れ、空腹も頂点に達していたまさにその時、私達の目の前にあの果実のなる樹が現れた。
ヤシとかソテツとかに似た、南洋に生えていそうなその樹には、熟れた果実がたわわに実り、濃厚な甘い香りを惜しまず周囲に放っている……。
飢え渇いていた母と私はその魅力に抗えず、
微塵も躊躇うことなく、その実にむしゃぶりついた。
口の中に溢れ出る果汁のその美味さときたら……まさに極楽へと誘う如きその味に、母も私も無我夢中で食べつづけ、いつしか飢えもすっかり忘れ去っていたのであるが……私の記憶はそこで不意に途切れる。
次に憶えているのは、病室のベッドの上で医者や看護師さん達に囲まれている光景だ。
どうやら私は、一人、山中に倒れているところを偶然発見され、それで最寄りの病院へ救急車で担ぎ込まれたらしい……。
その際、母親の方はどこにも見当たらず、それ以降、いまだに行方不明だ。
一昼夜ぐらいだったのか? それともすでに数日が経っていたのか? まだ幼かった私には、どれくらいの時間、そうして気を失っていたのかすらもわからない。
その間に母はどこへ行ってしまったのだろうか? 私とはぐれ、もっと山の奥深くへ迷い込んでしまったのか……あるいは私を捨て、独り遠くへ逃げてしまったのか……。
記憶がないので推測のしようもないのだが、一つ手がかりとなりそうなものは、それから時々見るようになったあの恐ろしい悪夢だ。
その夢の中で、当時と同じ幼子の私は、深い霧の中を母に手を引かれて必死に走っている……その背後からは何か黒い人影のようなものが大勢追いかけてきており、おそらくはそれから逃げているのであろう。
だが、ふと気づけば傍らに母の姿はなく、私は鬱蒼とした山の中に独り淋しくぽつんと立っている。
いつの間にか霧は晴れ、追ってくる黒い人影もいなくなっているのだが、私はその淋しさにわんわんと大声で泣き出す……というところでいつも夢から醒めるのだ。
ただ単に山道で迷った経験が見せているだけなのかもしれないが、もしかしたらその夢の中に、あの記憶の抜け落ちている期間、私と母の身に何があったのかを知る術が隠されている可能性もある……。
ともかくも、幸いにして肉体的に問題はなく、その後、すぐに退院することとなった私は、母以外、他に身寄りもなかったためにその地のお寺がやっている児童養護施設へ預けられることとなった。
さらに、土地柄的にそのお寺は真言宗の寺であったのだが、そこの密教系呪術や占術に長けた住職が、「今のままでは運勢が悪いから」とかなんとか言って、私にもとの名前を捨てさせると、新たに与えられた別の名前で、私は新しい人生を歩み始めた。
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