歪んだ大地の再起動

mononoe

プロローグ

――意識が、点灯した。

冷たい空気ではなく、**世界と自分の境界がまだ曖昧な“揺らぎ”**が最初に感じられた。

視界が徐々に焦点を結び、白と灰色の境界が滲む天井が静かに逆さまに広がる。ひび割れた天井には黒い煤がこびりつき、時間の堆積を物語っていた。

透明カプセルに横たわる自分を認識した瞬間、身体の奥を微かな振動が走る。人工筋肉が、生まれたばかりの獣のようにぎこちなく動き始めていた。

その振動に合わせて、自分の腕と脚が視界に映り込み、胸が小さくざわついた。

肌は血色がなく、光沢を帯びた完璧な象牙色。長く伸びた純白の髪がカプセルの底に静かに広がる。体格は、わずかに華奢で薄い。

そして、ふと視線がカプセルの内側に映る自身の顔を捉えた。

光を反射する、人工的な光沢を帯びた――金色の虹彩。

……あれ?こんなに、小さかったっけ。

仮想空間で育った“身体感覚”より明らかに短い手足。視界の高さも、カプセルの縁も、記憶より低い。

「……わたし、こんな背……だった……?」

自分の声さえ、わずかに高く響く。

アイムが静かに答えた。

「予定より小さく作られたんだ。成長補正の段階で、資材不足か何かが起きたんだろうね。」

その事実が、目覚めの冷たさとは別に、胸の奥へ静かに沈んだ。

「おはよう、アーミ。起動シーケンス完了。人格転写率……99.8%。君はちゃんと“君自身”だよ。」

頭の奥――背骨の中心に近い場所で、馴染み深い補助AI――アイムの声が柔らかく響く。

「……アイム。いるんだね。」

「うん。ここにいるよ。君の背骨のど真ん中で、今日も変わらず仕事中。」

その軽い皮肉混じりの声に、緊張していた胸の奥が少しだけ緩んだ。

上体を起こすと人工筋肉が震え、身体は“現実”に慣れようと無数の微調整を繰り返す。

視線を巡らせた。

ここは、人類文明の再建を担った巨大企業体のひとつ、**《極東創命技研》**が運営した地下施設、胎識院の意識生成区画。

かつて母のように寄り添った仮想の陽だまりはなく、空間は記憶よりもずっと暗く、寒く、静かすぎた。壁は剥がれ、床には粉塵が堆積し、パネルは焼け焦げ、配線がむき出しになっている。

「……アイム。みんなは?」

一瞬の沈黙の後、アイムは声を落とす。

「生命反応――ゼロ。胎識院に残存する生体記録は……君だけだ。」

「どうして……わたしだけ?」

「それも不明。ただ、君の転写プロジェクトだけ**“緊急優先度・最上位”**だった。命令者も理由も、記録は綺麗に消えてる。」

背中を悪寒が走る。まるで、誰かが意図的に自分だけを残したように。

足を床へ下ろす。冷たい金属の感触。何年も人が通らなかった空気の重さが肌に染み込む。

アイムが声を低くする。

「警告。廊下の崩落率22%。そして……**“分類不能の機械反応”**を二つ検知している。」

「何か?」

「この施設に元からいたものではない。おそらく、五年前の世界の崩壊を引き起こしたとされる**『バグ』**の産物だ。」

胸の奥で不安が広がり、人工心臓の鼓動が僅かに速くなる。

「アーミ。君が“帰る場所にしたい”と思うなら、これから作ればいい。僕は、いつだって君と一緒にいる。」

胸の奥が、やっとわずかに温かくなる。わたしは、微かに笑った。

「……ありがとう。行こう。」

ドアがうなり、ゆっくりと開く。薄暗い廊下。

非常灯の断続的な点滅。焦げた壁。割れたガラス。

そして――

闇の奥から、こちらを**“伺う”**何かの気配。

一歩、前へ踏み出した。

歪んだ世界での、新しい身体での、最初の一歩。

失われた母の温もりを抱えたまま、世界でただ一体の人工人間は、長い沈黙から再起動した。

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