山椒魚が死んでない

衣純糖度

第1話

あれ、もしかして、山椒魚って死んでない?

仕事終わりの帰宅の電車で米津玄師をシャッフルして聞いていたら、海と山椒魚が流れてきた。心の中でみなまで言わないでくれ、と歌っていれば、いつものように高校の授業で山椒魚というタイトルの小説を読んだことを思い出した。

何年生だっけ。忘れた。けど、確かに国語の中村先生が山椒魚の解説を黒板に書いていた。冒頭の一文が印象だった。そう、「山椒魚は死にました」だった。その冒頭がとても好きで、時折頭の中で唱えて物語を反芻した。

山椒魚は川に暮らしていて、ある日に暗い岩の穴に入ったら出られなくなってしまう。嘆き悲しみ一匹孤独に死んでいく、そういう話だった。久しぶりに読み返そうかとネットであらすじを調べてみる。

全然違った。

冒頭は「山椒魚は悲しんだ」だった。あれ?おかしい。そんな話じゃなかった。ぼくの知ってる山椒魚はそんな話じゃない。山椒魚は可哀想な魚?で、岩屋から出られずに悲しみに包まれていたはずだ。あの時の僕は確かに山椒魚と自分を重ねて、自分は暗い岩屋にいると思ったのだ。

最寄駅に辿り着き、駅から一分の小さな本屋を足早に目指す。しかし、そこに山椒魚は取り扱ってなく、答え合わせがしたいのにできない。本屋から出て、明日、隣駅のでけえ本屋に行こうと決めて、帰路でぐるぐると山椒魚について考える。

「山椒魚は死にました」で始まりどうして死んだのか回想する話だった。山椒魚はどう頑張っても岩からは出られない。最後は動き回る夢を見ながら彼は死んだのだ。

ぼくは帰宅した後に、電気をつけるのも惜しい勢いでペンと白紙の紙を探した。ボールペンと電気工事のお知らせの裏側を使い、ぼくは記憶の中にある山椒魚を綴っていく。

山椒魚は死にました。

岩屋の穴に頭を引っかかる。

最後に、山椒魚は水流に押し流される夢を見ました。

ぼくは箇条書きみたいな20行の文章を読み上げて、やっぱりこうだったとひとり何度もその文を読み返した。


と、思ってたのに翌日、手に入れた山椒魚を近くのカフェで読み返して愕然と茫然。蛙なんていたっけ?山椒魚、こんなに性格悪かったっけ?こんな終わり方だっけ?と湧き上がる疑問の答えは掌の文庫に書いてあった。ぼくの記憶が間違っていて、本に書かれていることが正しい。ぼくの山椒魚が間違っている…。

いや、本当にそうなのだろうか。僕の頭で描いた山椒魚は僕の中では真に迫る内容で代え難いものだった。僕を理解してくれない周囲への恨みと辛みで歪めた幻影だけど、僕は時折山椒魚を思い出した。幻影に骨組みと血肉を与えて生きものにした。それを間違えだと誰が言えるのか?

翌日、僕は僕のための山椒魚を書いた。初めて小説を書いた。


以上が、僕が作家になった原点です。



出典

私の原点,雑誌「白日」 2025-12 P180より

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山椒魚が死んでない 衣純糖度 @yurenai77

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