第2話

「ルネ!早く支度をしよう!兄上を止めなければ!」


 ミストは足早に書庫を後にすると、廊下を息を切らせながらも走り抜け、自室へと向かって行く。私も荷物を手早くまとめてから後から追いかけて中に入る。


「行ってどうするんです?」

「粛清を止めるに決まっている!」


 やはりそうなってしまうのか、と私は頭を抱える。

 ミストはクローゼットから動きやすい軽装を取り出すと、脱いだ衣服をベッドに放り出して早々と着替える。そして顔を隠せるフードの付いた長い外套がいとうを取り出すと、バサッと羽織った。


「力づくで反乱を鎮めても民衆が静まるのは一時的に過ぎない。まして王族が力を向ける対象が民衆であってはならないだろう!」


 ミストは時折感情的になりやすい。こうと決まったら、考えるより必ず先に動いてしまうのだ。そこが彼女の問題点なのだが、私には迷うという選択肢はなかった。


「…………ええ、ミストの言う通りです」


 ブルエ家は分家ですが、代々武門の血筋を引く家系だ。そして私のもう一つのとは、王女ミストの護衛役。

 その昔、陛下からお役目を任された者として彼女の身の安全だけは護り抜こうと誓っている。私は腰に剣を差すと、目立ちにくい簡素な外套がいとうを羽織り、フードを目深まぶかに被るのでした。



◇ ◇ ◇



 城下町の広場に押し寄せる反乱勢力の集団と、それを食い止め様とする騎士達。拮抗を破ったのは伝令の通達の一報が入った直後の事であった。騎士達が一斉に割れる様に道を開けると、王族専用の軍服に身を包んだ長身で、プラチナブロンドの髪の男性が姿を現す。


「お、おいアレを見ろ……!」

「グ、グロームだ!」

「そんな、グローム殿下自ら!?」


 広場に集う反乱勢力は戸惑いどよめきだす。


「グローム…………」


 ポツリと集団の先頭に立つ女性が呟き、グロームの目の前に進み出て来る。


「……………まさか、本当にお前がリーダーとはな」


 女性の姿を見遣みやると、グロームは戸惑いの表情を浮かべ視線を逸らす。


「久し振りねグローム」

「……イレーネ」


 グロームは目を逸らしつつもその女性の名を呟く。

 イレーネ・エンツィアン。高魔力保有者の一般庶民にして、希少な光魔法の資質を持つ女性で、かつて王立学院の特待生の中でもその名を馳せた才女。そして、グロームとは同期の学友にして恋人であった。


「貴方ならわかっているはずよ。本当にこの国が今の体制のままで良いと思っているの?」

「お前こそ、学生時代は武力行為とは縁がなかっただろう。反乱勢力など率いてどういうつもりだ!」


 たまらず口を開いたグロームは、普段の自身しくない激情に飲まれ冷徹さは既に失われていた。


「それは私が、貴方から教わった高貴なる者の義務を果たすからよ!力を持つ者に身分は関係ないんでしょう」

「それは!」


 グロームは昔の事を思い出す。イレーネという女性の優しさの中にある、時に頑固ともとれる意思の強さを。そして、自分はそんな彼女だからこそ愛していていたのだという事を。


 故に、が無実だと理解しながらも突き放した事実は、長年グロームを悩ませていたのだが、まさかこの様な形で再会するとは思ってもいなかったのだ。


「俺が、お前にこのような行動を取らせたのか……?」


 動揺するグロームの前で、イレーネのかざす右手に光の剣が形成されていく。


「光輝の剣……光剣リヒトシュヴェルト!」


 投擲デア・シュヴェァトヴルフのかけ声と共に放たれる。


「ごめんなさい……でもこれが、私の覚悟よ……」


 歯を食い縛り、ぐっと目を伏せるイレーネ。


「……本気なんだな……イレーネッ!!」


 グロームは眼前に飛んでくる光剣を咄嗟に引き抜いた剣で捌く。剣には雷の魔力をまとわせていた。

 そのまま感情を押し殺す様に右腕を天高く掲げると、閃光の様な雷の魔力がグロームの全身を包み込む。


いかづちよ……天より来たりて罪人つみびとを断罪せよ!裁きの雷槍らいそう……降り注げ、天雷槍ヒンメルスブリッツランツェン!」


 詠唱と共に右腕を掲げるグロームの上空に無数の白金の雷槍らいそうが形成されていく。


「…………投下ツヴェルフェン


 静かに右腕を振り下ろすと上空に展開された無数の雷槍らいそうが一斉に地上に降り注ぐ。


 イレーネが咄嗟に光の聖盾リヒトシルトを展開するも虚しく、雷槍らいそうが反乱の芽を無慈悲に貫いていく。


 グロームはその光景を見ながら苦渋の顔を浮かべ「出来るものなら、防いでみせろよ、イレーネ……」と、ただ小さく呟くのだった。



◇ ◇ ◇



「くっもう始まっているのか……!」


 私達が広場に着いた頃には既に粛清が始まっていた。私達は見付からない様に、広場の端の建物の裏手に隠れる。見たところ反乱勢力は防戦一方の様で、グローム殿下の雷魔法に圧倒されている様に見える。


 あの盾は光の防御魔法?


 何故、反乱勢力にそんな希少な使い手がいるのかと引っ掛かかりを覚えるも、この時の私にはそれを深く気に止める余裕はなかった。ここで気付いたところで、どうにもならなかったんですけどね。


「ミスト、どうするんです?」

「安全に事態を収めてみせる。まずは時間停止の魔法で、広場一帯の時間を停止させる」


 ───駄目だ。まだ録に試してもいない禁断魔法デファンドゥマギーの実戦使用なんて危険過ぎる。それに、時間魔法に関する術式はミストも完全には把握出来ていないじゃないですか。こんな状況で行使して、もし失敗したら大惨事を招く事くらい理解しているはずでしょうに!

「危険です。私は反対ですよ!」

「今、兄上の雷槍らいそうを止められるのはコレしかない。なに、時を止める魔法くらいは初歩さ」


 私が待って、と静止する間もなく詠唱を始めてしまうミスト。

「時の流れよ、我が意に応じ力を与えたまえ……」

 ミストの全身から闇魔法特有の濃い紫の魔力が沸き上がる。


 ─────ゴーーーーン………………


 広場一帯に上空から時を告げる重い鐘の音が響き渡る。


「集え、永劫を司る時の針達……」


 ミストが左腕をかかげると、遥か上空に青白い巨大な時計型の魔法陣が展開される。


雷槍らいそうを止めるくびきとなれ……時のキャル・ドゥ・タン!」


 カチッという音と共に、時計型の魔法陣から無数の青白い時計の長針状の光が広場一帯の地面に突き刺さる。


 時が、止まる。


 王国軍も反乱勢力もまるで凍った様に、周囲の時間ごと止まってしまった。


「よし、このままあの一帯の時を巻き戻す。これで兄上が魔法を行使する前に時を戻せば、或いは事が起こる前に戻せるなら被害を防げるはずだ」

「え!巻き戻す?それこそまだ……!」


 それは戻したところで、根本的な解決は見込めない。例え成功したとしても状況を繰り返すだけの悪手だ。


 もう一つの問題点は、難度の高い禁断魔法デファンドゥマギー程制御が複雑で、さらに重ね掛けはより危険性が高まってしまう事だ。と、それを危惧する私の制止は、やはり間に合わなかった。


「大いなる時流よ……時間よ逆巻さかまけ、時の廻転ロタシオン・デュ・タン!」


 ミストの詠唱と共に、巨大な時計型の魔法陣が強烈な光を放つと針がカチコチカチコチと逆回転に回り始めると、私達の眼前には雷槍らいそうの雨が上空に戻り、グローム殿下も、反乱勢力の動きも戻っていく不思議な光景が拡がっている。


 私は不安を抱えながらも、このままミストの目論見通りに事が運ぶのでは、と思われた。


 そして私達が安堵しかけた時、それは起こった。


 ──────ガチャン


 何処からか歯車の噛み合う音が聞こえる。


 時が、動き出す。


 地面からバチッと電流の弾ける音がすると、長針に雷の魔力が絡み付き青白く変色していく。私がハッとして上空を見上げると、時計型の魔法陣中心に巨大な青白い大小の歯車が浮かび上がる。これは、無数の歯車が周囲に雲散した魔力の粒子を吸収しながら回りだしているのだ。


 広場一帯の時間は、早回しで時の廻転ロタシオン・デュ・タンを使う前まで戻っていく。カチリ、という音と共に元に戻った状況は、さらに最悪な物と化してしまった。


「なんだこれは……!! 何が起こっている!」


 遠くにグローム殿下の困惑する叫び声が聞こえる。

 雷の魔力をまとう歯車の像が歪んで、雷を辺りに拡散放出させていく。広場を囲む木々や建物が青白い雷に焼かれていく。石造りの建造物や地面は焼き焦げ、木組みの建物は燃え広がる。


 巻き戻すどころか、制御不能の青白い雷と化したソレは加速度的に災厄となり、両陣営を混乱と悲鳴の渦中に巻き込んでいった。魔法災害である。


「そんな、はずは……」


 真っ青な顔で呆然と立ち尽くすミスト。

 私は広場の惨状と、なおもカタカタと回り続ける無数の不気味な歯車の像を見上げたまま恐怖で固まってしまう。



◇ ◇ ◇



 一瞬の出来事だった。


 グロームにも何が起こったか理解出来ず、気が付けば空が暗転し、上空では青白い歯車が回転しながら自身の雷の魔力を吸収しつつ、拡散放出させていた。最早コントロールの利かない魔法の暴走。ソレは敵味方なく被害を与え、反乱勢力はおろか、騎士達にも混乱が広がっている。


「ええい、この様な芸当が出来るのは……ミストか」


 グロームは冷静さを取り戻すと、右手で頭を抑えながら思考する。これだけの事をやってのけられるであろう人物、己が愚妹の名を口にすると、苦虫を噛み潰したような顔になる。

 一体ブルエ嬢は何をやっていたのか。


「いいか、お前達はこの場に介入してきた犯人ばかものを探し出せ!残りの兵はこれ以上の被害を防ぐ為に尽力せよ!」


 混乱の最中、グロームは残った騎士達の内、比較的軽傷の者達を集めると二手に分けて指示を出す。


「はっ!」


 軽傷者の中で水や土の魔法を使える者は、負傷者の回復や被害の拡大を防ぐ為に残し、それ以外を乱入者の確保に回す。こうなっては、反乱勢力の粛清どころではない。


「これ、は……時間、魔法……?」


 混乱する広場の中からポツリと困惑した声がする。声の主はまるで悪夢を見るかの様に、呆然と立ち尽くし空を見上げている。


 その声の主は、イレーネだった。



◇ ◇ ◇



 ハッと我に返った私は、虚空を見上げ放心し続けるミストの両肩をしっかりと掴み揺する。


「ミスト」


 私の声も聞こえないのか、ミストは心ここにあらずという表情のままだ。


「こんな、はずでは……私には出来ると、思っていたんだ。術式を間違えた?兄上の魔法と反応する可能性を考慮しなかったからか?不完全な禁断魔法デファンドゥマギーの危険性は知っていたはずなのに……」

「ミスト!」


 ───パシン!


 私はミストを正気に戻すべく、その頬を強くひっぱたいた。そのまま両手で頬を挟み、呆然と見つめる顔を正面から見詰める。


「私は、貴女がやろうとした行いを責めたりはしません」


 こうなれば私も既に共犯である。

 それに元々、私自身も禁忌タブーに触れていたのも事実。


「ですが、自分なら出来ると思っていた事自体、貴女の嫌いな愚かで傲慢な行いだったとは思いませんか?」

「ル、ルネ…………」

「……グローム様の追っ手が来ます。今は逃げましょう」


 私はミストの手を半ば強引に掴み、走る。ミストの手は冷たく震えていた。


 もし、今捕まってグローム殿下の前に突き出されたとしても、今のミストに冷静な判断は望めないだろう。大体、私もミストが何かやらかすと分かっていたのに……。それを止められなかった私自身も只ですむはずがない。


 とまあ、精一杯冷静を装うものの、要するに私も怖いのでした。


 私達は無我夢中で走った。

 見上げると、巨大に膨れ上がった魔力の渦が私達の頭上を越え、まるで生きているかの様にうねりを帯びて伸びながら、太い線を描くのが見える。


 私は、ミストが息を切らせらるのも構わず、がむしゃらに手を引いて走り続けた。


 魔力の渦は次第に目の前にそびえる巨大な大樹へと引き寄せられ、青白い雷となって落ちる。大樹は赤々と燃え上がり火の粉を舞い上げると共に、眩い光を放った。光が消えた後、根の付近に横たわる黒い人影が現れる。


「ルネ、今突然人が現れた様に見えなかったか」

「ええ、あれは少女……ですかね?」


 横たわる少女の周囲に黒煙と火の粉が舞い散る。

 その少女は、背丈はあるが10代前半くらいにも見える幼い容姿で、この国では珍しい黒髪だった。よく見ると、背負いリュックサックに衣服や靴もこの国では見た事がないモノだ。


 一体、この子は何者なのでしょう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る