第3話

「ルネ、彼女どうやら息をしているみたいだぞ」


 火の粉を防ぐ為、外套がいとうのフードを深く被ったままのミストがかがみ込み謎の少女の脈を確かめる。炎に照らされる表情を覗くと、少女は気を失っている様だった。

 広場の騒動や迫る足音にかき消されそうだが、私にはわずかな呼吸音が聞こえるのが分かった。


「運べるかルネ?」

「ええ、ここにいてもどのみち危険ですし何処か安全な場所まで運びましょう」


 私は火の粉を払いながら倒れている少女を担ぎ上げる。外套がいとう越しに背負い込むと腰の剣がガチャリと音を立て、焦げた木々の臭いが鼻に付きまとった。


 私達は追っ手を撒きつつ路地裏の空き家に避難した。私としては無断でお邪魔するのは気が引けるが、ミストは自分達の身の安全と少女の手当てが優先だと言って入ってしまった。


 貴女仮にも王女でしょうと言ってやりたいが、事態が事態だけにやむなしか。


 私は使い古されたベッドに少女を寝かせると、拝借した布巾を絞り頬からすすを拭っていく。幸い怪我は見受けられない。そのまま顔のすすを拭いていくと、少女のまぶたが開きパチリと目があった。


「……ーーーー?」

「む、目が覚めたか」


 ベッドから離れた位置にある椅子に座って様子を見ていたミストが、私の近くに寄ってくる。

 少女は何事か言葉を発するも、私達の知らない言語の様でさっぱり解らない。少女はウームと考える仕草をすると手を打ち、身振り手振りで何かを伝えだした。なるほど、ジェスチャーか。


 彼女は自身を指差した後、頭上から両腕をジグザグに動かすと手前で勢い良くバーン!と両手を開き、身体をグネグネ動かした後パタンと寝る仕草をするという物だった。


 ……もしかすると少し、いや、大分個性的な子なのかも知れない。


「ええと……雷にでも撃たれた、とでも言うのでしょうか」

「ふむ、大変愉快な体験、ではないと思うのだが」


 私はミストと互いに顔を見合わせ首を傾げる。グネグネした動きだけは見当が付かなかった。


 このままジェスチャーだけで意志疎通というのも酷だろうし、連れ回すにしても私達の状況的には不便過ぎる。私は何かないかと思案する中で、以前ミストが研究していたある魔法の存在を思い出した。


「ミスト、確か未知の言語に対する魔法がありましたよね」

「ああ、アレか。この大陸では他国の言語もあまり変わらないので、使い道はないと思っていたが……試してみるか」


 ミストは少女の額に左手を当てると魔力を集中する。


「我、言語のかせ解き放つ者。未知なる言語を通し、かいせよ、我、汝の言語の門を開かん……通解翻訳門トランスレート・ド・ポル


 薄紫の小型の魔法陣が少女の額に展開され、中心に門を形成すると、門が開き薄紫の大量の文字の羅列がドウッと流れ込む。文字が奔流ほんりゅうの様に流れると静かに門が閉じ、フッと消滅した。


「!?」


 少女はビクリとすると一瞬の出来事に戸惑い、驚いた様子であたふたしている。


「あーあー……君、言葉は解るか?」


 試しにミストが声を掛けてみる。


「コトバ……?あーうんうん、言葉通じないって、異世界物ではハードモードだもんねえ~言葉通じるってマジで助かる!コミュニケーション大事!ふい~初手摘みかと思ったぜい。……んん?あれ、もしかしてあなた日本語喋ってる?」


 少女が一瞬目を点にして静止した後、急に早口で流れる様に捲し立てる。彼女が何を言っているのかはさっぱり理解出来ませんが。この子、やっぱり面白……いやかなり個性的でしたね。


「……ニホンゴ?そうか、君にはそう聞こえるのか」


 ミストも彼女の勢いに呆気に取られていたが、ニホンゴという単語に目を細める。なるほど、彼女の言葉はニホンゴという言語らしい。


「よく聞いてくれ。急な状態で混乱しているかも知れんが、君には私達の言語がニホンゴで聞こえているはずだ。一方、私達には君の言語が私達の言語に聞こえている。これはそういう魔法なんだ」

「魔法!やはり魔法のある世界か。てことは、あたしは選ばれし者?つまり勇者か聖戦士!やだ聖女かも」


 少女はミストの説明に、とても興奮した口調で身を乗り出すと、また訳のわからない事を口走っている。いや、本当に何を言ってるんでしょうこの子。


「あー……いや、盛り上がってるところすまないが、君からは魔力や特殊な力?は感じないぞ」


 魔力を持つ人間なら多少は魔力の感知は出来る。そもそも、この国の人間なら皆魔力を持っているので、普通は魔力を持たない人間になんてまず会う事もないのだが。もちろん、私にも何も感じない。


「え、スゴい力に目覚めたとか、そんな感じのないの?マジかー異世界ハードモードだったか。桃華ちゃんレベル1という訳ですな。そいや女神様にも会ってないしね」

「何を言っているんです?」


 あれ、何故か頭痛がして来ましたよ私。


「あ、ごめんごめん。ちょーっとはしゃぎすぎたよね。えーコホン、では自己紹介。マイネームイズ……じゃないか。あたしの名前は日生桃華ひなせとうか。あ、トウカ・ヒナセのが良い?」


 少女は興奮し過ぎた反動か、照れくさそうに頭を掻きながら自身の名前を名乗った。ええと、トォゥカ?トォオカ・ヒナセ………聞き慣れない響きの名前だ。通じると言っても、発音ばかりは慣れないモノもある。そこはこの魔法の欠点であり、課題かも知れない。


「んん、私達には発音が少し難しいな。トーカと呼んでも?」

「いいよいいよー」


 ミストの提案に、トーカはとても軽い調子でオッケーと右手で丸を作る。トーカ……トーカね。


「ルネ、私達も自己紹介しておくか」

「ええ」


 私達はフードを脱ぐと、改めてトーカへと向き直る。


「私はミスティ・アンネローゼ・フォン・アークライト。一応、この国の王女だ。ミストで構わない」

「私はルネ・マルグリット・フォン・ブルエ。ミストの友人で護衛役も務めています。よろしくお願いします、トーカ」


 ミストは左腕を胸に当てて礼をし、私は眼鏡をクイと掛け直してから貴族の子女としての所作をとる。


「へえー!異世界で初めての知り合いが、まさか王女様と貴族令嬢とはねえ。ツイてるな、あたし!」


 いえ残念ながら、私達の状況的にはツイていないんですよ。申し訳ない……。



 ひとまず会話が可能になった事で、私達はトーカの身に何が起こったのかきくことにした。


「ふむ……その話を推察して照合すると、私の半端な時間魔法と兄上の雷魔法が何らかの作用を起こした事で、異なる世界と繋がったのかも知れん」


 ミストは偶発的な事故だと言うが、異世界転移という現象は初めて聞いた。事実、目の前にいるトーカが証人なのは違いないのですが。


「トーカ…………すまない事をした。私の浅慮せんりょと未熟さ故に君を巻き込んだ事を詫びさせてくれ」

「フッ気にしない気にしない。あたし、異世界転移とか転生って一度は経験したかったのよ。ま、転生なら死んでるケドさ。それに剣と魔法のファンタジーなワールドって憧れてたんすよー!」


 ミストはトーカに向かって深々と頭を下げるも、トーカは一瞬困った顔を覗かせた後、ニカッと笑い能天気な事を言う。彼女の言う事柄は、やっぱりよくわからないのだけど。


 どうやらトーカの話によると、チキューという世界のニホンという国では娯楽用の創作物として『私達の世界』の様な世界が舞台の物語が流行しているらしい。さらに信じられない事に、異世界でニホン人が活躍する物語が人気だとか。


 私に言わせると、トーカやチキューだかニホンとか言う国の方がフィクションに思えるのだけど。それに、トーカにそんな力があるのかも怪しいところだ。しかし、トーカの説明が解りやすく簡潔にまとめられていたのは意外でしたね。


「ルネ、ここまで巻き込んだ以上、トーカに我々の置かれている状況の説明をするべきだろう」

「そうですね」


 私は頷くと、ミストと共にトーカにこの国の情勢、ここまでの経緯を説明した。


「なるほどなるほど。つまり、ミストはお兄さんを止めようとしてヤバい魔法を使ったら余計にヤバい事になって、逃げた先であたしを見つけてここまで運んでくれたと」


 トーカはウンウンと何度も頷きながら、片目を閉じてミストと私を一瞥いちべつする。


「あ、ああ……」

「本当、随分簡単にまとめましたね」


 大体そんな感じとはいえ、事態の把握はしてくれた様だ。


「テテーン!トーカが仲間に加わった!」


 いや仲間に加わったって。まあそうなんですが、なんですかねこのノリ。



「で、これからどーすんの?」


 トーカが急に真面目なトーンで聞いてくる。うーん、温度差激しい子ですね。


「このまま逃げ続ける訳にもいくまい。だが、本気で兄上を怒らせたとなると……」


「ええ、まず逆鱗に触れるのは覚悟しないといけませんね。それだけで済めば良いのですが」


 私達は恐る恐る目を合わせる。うーん、それ確実に私も入ってますよね。怖い、怖すぎます……。


 それに、ミストはまだ弁明する勇気も覚悟もないのだろう。ぶつかったとしても、互いに思うところもあって意地になる光景も目に見える。


「雷の魔法だっけ?マジな雷ね。そりゃ怖いかあー」


 その雷によって転移してきた当人は、あの方の怖さを知らない。来た時点で気を失ってましたもんね。


「でもさ、ミスト。お兄さんとは考え方の違いとかあるかもだけど、もし謝れるなら出来るうちにやるべきだよ。後で後悔したって遅いんだからさ」

「トーカ……?」


 ここに来て真面目な調子のトーカの横顔が、私には何故か少し淋しそうに見えた。気のせいだろうか。



 窓が振動し、外から複数の靴音が聞こえてくる。振動に合わせて周囲の家具が揺れる。ここが見付かるのも時間の問題かも知れない。


「ミスト!」

「ああ、追手が近いんだろう。急いでここを離れよう」


 私は予備の外套がいとうをトーカに渡すと、ジッとしている様に念を押し、息を殺して他の部屋から出られる場所を探す。


 どうやら、裏手から外に抜けられそうだ。しかし、ここの路地裏は貧民街へ通じているのだ。あそこは治安も悪いのでミストには近付いて欲しくはなかったのだが、こうなればやむなしか。


 おまけに、トーカもいるので私の負担が増えるのも困り者。私は腰に差した剣を握る手にも力が籠る。


「良いですか、二人とも絶対に私の側を離れないで下さいよ」

「わかっている」

「りょーかい」


 私達は安全を確認しつつ裏手から路地裏へ出る。脇道に置かれた木箱や樽の周囲は埃が舞い、路地裏特有の悪臭が漂っていた。私は背後の二人の安全を確認しつつ先へと進む。


「ここを抜けると貧民街です。一息もつけるとは限りませんよ?」

「ああ、承知の上だ。……行こう」


 こうして私達は行く当てもなく、貧民街へと足を踏み入れるのでした。

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