第2話:俺が焼き鳥を食っている間に、ダンジョンが沈みかけているらしい

「う、うわぁあああ! 助けてくれぇええ!!」 「嫌だぁ! 装備が、私のブランド装備がぁあ!」


 背後のダンジョン入り口から、悲鳴と共に若者たちが転がり出てきた。  全身泥まみれ、鎧はボロボロ。  さっきまでのキラキラしたアイドル気取りはどこへやら、這いつくばって逃げる姿は哀れとしか言いようがない。


 だが、俺は振り返らない。  彼らは「自分たちだけで勝つ」と言ったのだ。その結果に責任を持つのもまた、プロの仕事だろう。


「……さて」


 俺は空になった発泡酒の缶を、ゴミ箱へと丁寧に放り込んだ。  カラン、と乾いた音がする。


「腹が減ったな」


 クビになった以上、明日の予定は白紙だ。  ならば、今日は少しばかり贅沢をしてもバチは当たるまい。  俺は駅前にある、赤提灯の揺れる安酒場へと足を向けた。


 ◇


「へい、お待ち! レバーの塩と、ホッピーセットね!」 「おう、ありがとよ」


 煙たい店内。パイプ椅子がきしむ音。  俺はジョッキを傾け、冷えた液体を喉に流し込む。  五臓六腑に染み渡るとは、まさにこのことだ。


 隣の席では、サラリーマンたちが上司の愚痴をこぼしている。  テレビからは、どこかのアイドルの不倫ニュースが流れている。  平和だ。  かつて世界を救うために魔神の喉笛を食いちぎっていた頃とは、比べ物にならないほど平和な時間だ。


「……あ」


 串からレバーを外しながら、俺はふと思い出した。


「剣、置いてきちゃったな」


 長年連れ添った相棒だ。  魔王の首を刎ね、竜の鱗を紙のように斬り裂いた伝説の聖剣『グラム・オルタ』。    まあ、いいか。  あんな物騒なもの、平穏な一般社会(こっち)には必要ない。  それに、あの重さだ。盗まれる心配もないだろう。  誰かが見つけても、せいぜい「岩に刺さった伝説の剣」ごっこに使われるのが関の山だ。


「大将、中(なか)(焼酎のおかわり)頼む」 「あいよ!」


 俺は思考を切り替え、焼き鳥に七味を振った。  明日からはハローワーク通いだ。  次はもっと、腰に優しい仕事がいい。


 ◇


 その頃。  坂本が立ち去ったダンジョン『黄昏の石窟』では、未曾有の事態が発生していた。


「おい! おい嘘だろ!? 計測器が壊れてんじゃねぇのか!?」


 怒声を上げているのは、ダンジョン管理協会の現場監督だ。  周囲には、黄色い規制線が張り巡らされ、重装備のレスキュー隊が慌ただしく走り回っている。


 彼らの視線の先。  ダンジョンの床に、その「異物」は鎮座していた。


 汚いボロ布に包まれた、ただの棒状の物体。  だが、その物体を中心にして、ダンジョンの石床が半径10メートルにわたり、クレーターのように陥没していたのだ。


「め、目測ですが、現在も沈降を続けています! このままだと、このフロアごと下の階層へ崩落します!」 「質量推定不能! 計測エラー出っ放しです! なんだよこれ、中性子星の欠片でも入ってんのか!?」


 現場はパニックだった。  逃げ帰ってきた『ブレイブ・スターズ』の証言によれば、これを運んでいたのは「ただの荷物持ちのおっさん」だという。


「ありえん……」


 駆けつけたベテラン捜査官、岩鉄(がんてつ)は、冷や汗を拭いながらその剣を見つめた。  彼は知っている。  このダンジョンの床材が、ダイヤモンド以上の硬度を持つアダマンタイト混合岩であることを。  それを、ただ「置いた」だけで圧壊させる質量。


「重機を持ってこい! いや、クレーンが入らねぇ! おい、Sランク冒険者を呼べ! 筋力特化の奴だ!」 「呼びましたが、『ビクともしない、腰が砕けそうだ』と泣いて帰りました!」 「なんだとぉ!?」


 岩鉄は戦慄した。  これをここまで運んできた人間がいる?  しかも、涼しい顔をして?


 彼は布の隙間から覗く、鈍色の金属の輝きに目を凝らす。  そこには、古代文字で小さくこう刻まれていた。


 ――『我を持つ者、世界を背負う覚悟をせよ』


「世界を……背負っていた、とでも言うのか……」


 ゴゴゴゴゴ……ッ。  地鳴りが響く。  剣がさらに数センチ、床にめり込んだ。


 管理協会は、この夜、緊急災害警報を発令。  だが、その元凶である男は、今ごろ赤ら顔で「煮込みのおかわり」を注文していることなど、知る由もなかった。

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