第4話 「美少女との同室イベント、ただし相手は寝相最悪のブラックホール」

 下水道の激闘(主に精神的な意味で)を終え、俺たちが辿り着いたのは、街の貧民街の入り口にある安宿『ブタの寝息亭』だった。

 名前からして嫌な予感しかしないが、看板の『一泊朝食なし・銅貨五〇枚』という激安価格には抗えない。

 金貨一枚(銅貨百枚相当)の稼ぎから、明日の食費や装備代を考えると、ここが限界だった。


「いらっしゃい。部屋は?」

「二人で一部屋だ。一番安いやつで頼む」

「あいよ。二階の角部屋だ。ベッドは一つしかないから仲良く使いな。……ヒヒッ、若いねぇ」


 宿の無愛想なオヤジが、俺とシルヴィを交互に見て下卑た笑いを浮かべた。

 おいオヤジ、勘違いするなよ。俺たちはそんなロマンチックな関係じゃない。

 むしろ、こいつは俺の財布を食い荒らす寄生虫だ。


「ゴウさん! パン! パンを買いましょう!」

「わかってるよ! うるさいな!」


 部屋に荷物を置くや否や、俺たちは一階の酒場兼食堂で夕食をとることにした。

 メニューは『硬い黒パン』と『具のないスープ』。

 俺はパンを五つ、スープを二つ注文した。


「いただきまーす!」


 シルヴィは野生動物のような速さでパンに食らいついた。

 バクッ、ムシャムシャ、ゴクン。

 早い。早すぎる。

 俺がスープを一口すする間に、彼女の手元からレンガのような大きさの黒パンが一つ消滅している。


「おい、少しは味わって食えよ。喉に詰まるぞ」

「んぐっ……だ、だって、お腹が空きすぎて……背中とお腹がくっつきそうでしたから……」

「物理的にありえねぇよ」


 結局、俺が一つ食べる間に、シルヴィは四つのパンを平らげた。

 そして、まだ物欲しそうな目で俺の食べかけを見ている。


「……食うか?」

「いいんですか!? ゴウ様、一生ついていきます!」

「安いやつだな!」


 俺の分まで奪い取ったシルヴィは、ようやく人心地ついたのか、満足げに腹をさすった。

 見た目は深窓の令嬢なのに、中身はフードファイターだ。

 魔力タンクを満タンにするには、これでも足りないらしい。燃費が悪すぎる。エコカー減税の対極にいる存在だ。


 ***


「さて、寝るか」


 部屋に戻った俺たちは、深刻な問題に直面していた。

 部屋が狭い。四畳半もない。

 そして、部屋の中央にはギシギシと音を立てる古ぼけたシングルベッドが一つだけ。


「……どうする?」

「どうする、とは?」


 シルヴィがキョトンとした顔で首を傾げる。

 無防備だ。あまりにも無防備すぎる。

 目の前にいるのは、一応は健康な成人男性(ゲスだけど)だぞ?

 狭い部屋、一つのベッド、美少女エルフ。

 ラノベなら「きゃっ、床で寝てください!」とか「ドキドキして眠れない……」とかイベントが発生するところだ。


「あのな、ベッドは一つだ。俺は床で寝る趣味はない」

「私もです。公爵家の娘として、床で寝るなんてありえません」

「今さらお嬢様ぶるなよ。さっきまで下水道にいただろ」


 俺はため息をついた。

 普通ならレディファーストで譲るところだが、俺は剛田猛だ。自分ファーストが信条だ。

 しかし、流石にここでおっさんがベッドを独占して美少女を床に寝かせたら、読者の好感度が地の底まで落ちる気がする。

 ここは一つ、妥協案で行こう。


「……わかった。一緒に寝るぞ」

「はい、わかりました」

「即答かよ! 警戒心とかないのか!」

「ゴウさんは私の命の恩人ですし、それに……」


 シルヴィは少し顔を赤らめて、モジモジとした。

 お? なんだ? やっぱり意識してるのか?

 期待に胸を膨らませる俺に、彼女は衝撃の一言を放った。


「ゴウさん、なんだかお父様に似ているので。安心感があります」

「ファザコンかよ! ていうか俺、そんなに老けてるか!?」


 俺の淡い期待は粉砕された。

 結局、俺たちはシングルベッドに背中合わせで寝ることになった。

 ギシッ、とスプリングが悲鳴を上げる。

 背中に感じるシルヴィの体温。甘い香り(ヘドロ臭は井戸水で洗ったので消えている)。

 まあ、悪くない。役得と言えなくもない。

 俺は少しだけドキドキしながら、目を閉じた。


 それが、地獄の始まりとも知らずに。


 ***


 深夜二時。

 俺は死の恐怖で目を覚ました。


「んごぉぉぉぉぉぉぉぉ……!!」


 耳元で轟音が響いている。

 雷か? ドラゴンの咆哮か?

 違う。シルヴィのいびきだ。

 見た目に反して、こいつのいびきは重低音だ。地響きレベルだ。


「う……うーん……お肉……もっと……」


 寝言まで食い気かよ。

 俺が文句を言おうと体を起こしかけた瞬間。


 ドゴォッ!!


「ぐえっ!?」


 脇腹に強烈な衝撃が走った。

 シルヴィの裏拳だ。

 完全に寝ている。無意識の攻撃だ。

 ステータス3の俺にとって、腐っても高レベル(筋力8)のエルフの一撃はクリティカルヒットだ。


「いってぇ……! おい、起きろ!」


 俺が揺り起こそうと手を伸ばすと、シルヴィは夢の中で何者かと戦っているのか、今度は華麗な寝返りとともに回し蹴りを放ってきた。


「ふぎゃっ!」


 顔面直撃。鼻血が出た。

 こいつ、寝相が悪すぎる! ブラックホールか! 周囲のものを無差別に破壊するつもりか!

 ベッドの端に追いやられた俺は、もはや崖っぷち。

 これ以上ここにいたら殺される。

 俺は涙目で、唯一の防御策を展開した。


 ――【金ダライ召喚】。


 俺は自分の頭を守るように、抱き枕のように金ダライを抱え込んだ。

 カンッ! コンッ!

 シルヴィの拳や蹴りがタライに当たる音が、深夜の部屋に虚しく響く。

 俺は金属製の盾(タライ)の裏で、震えながら朝を待った。


 ***


 チュンチュン。

 小鳥のさえずりが、朝の訪れを告げる。


「んんっ……ふあぁ……よく寝ましたぁ!」


 シルヴィが爽やかに伸びをする。

 肌はツヤツヤ。魔力も食欲のおかげか少し回復しているようだ。

 対して、俺は。


「…………おはよう」


 目の下にはどす黒いクマ。

 頬にはタライの跡。

 全身打撲のような痛み。

 完全に死体である。


「あれっ? ゴウさん、顔色が悪いですよ? 変な夢でも見ましたか?」

「ああ……悪夢だったよ。モンスターに一晩中タコ殴りにされる夢をな……」


 俺はよろよろとベッドから這い出した。

 睡眠不足で頭が回らないが、一つだけ確かなことがある。

 こいつとは二度と同じベッドで寝ない。

 金だ。金を稼いで、ツインルーム……いや、別々の部屋を取るんだ。


「シルヴィ、行くぞ」

「はい! 今日は何をしますか? また下水道ですか?」

「いやだ。もう臭いのはごめんだ。もっと割のいい仕事を探す」


 俺たちは宿を出た。

 朝日が目に染みる。

 俺の懐には、昨日の残りの銅貨が数枚。

 これが尽きれば、今夜は野宿だ。あの寝相モンスターと野宿なんてしたら、間違いなく俺は朝までに焚き火にくべられるだろう。


「稼ぐぞ……! 何が何でも稼ぐんだ……!」


 俺の目には、邪神討伐などよりも切実な、生存本能の炎が宿っていた。

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