第7話

 幾度いくどかホイッスルを返そうとして、笑顔でかわされた。結局、巻貝の形をした笛はポケットの底に収まることになった。

 

 栞の行動原理がまるでわからない。中学校で同じクラスだった頃は、明るい人気者だとしか思わなかった。ここまで奇矯ききょうな振る舞いをする子だとは想像もしていなかった。

 

 ポケットの中で同居するiPodとホイッスルをいじりながら、私は町を歩いていた。イヤホンからは宇多田ヒカルの「Eternally」が流れている。どうやって、このホイッスルを返してやろうか。策をっていると、少しだけ楽しくなっている自分に気づいた。

 今日は休日だろうか。通勤や通学で忙しい時間帯でも町が静かだった。昼を回って、親子連れの姿が目立つ。どこかへ遊びに行くのかもしれない。パーカーのフードの奥からその様子を眺めて、昔の思い出がよみがえりそうになって首を振った。

 

 なるべく人が多そうなところは避けたい。日差しを避けられて、悪目立ちがしそうにない場所。先日の栞との会話を思い出し、図書館へとおもむくことにした。

 空調が利いており、休日なら学校に通っていない私でも溶けこめるだろう。久しぶりに活字に目を通すのも悪くはない。

 

 あのバスの停留所を通り過ぎて、図書館へと向かう。市街地から少し外れた高台にあり、緩やかな坂道が続いた。ポプラの緑が多くなり、蝉の声が大きくなる。湾曲した道路の上では、陽炎かげろうが立ち昇っていた。

 軽く息切れしていると、坂の上から二人の女の子が歩いてくるのが目に映った。休日なのに制服姿で、手荷物の多い片割れには見覚えがある。

 

 あれは、栞だ。

 

 向こうもこちらに気づいた様子で、大きく手を振ってくる。私とは見ず知らずだからか、もう片方の少女は反応しない。自分も手を振り返すのが気恥ずかしくて、片手を上げるだけにとどめた。

 

 あちらとの距離が縮まる。内心では気後れをしていた。栞と一緒にいるのは、図書館で待ち合わせをしていたという友達だろう。何年も他人と関わっていなかった自分が、ましてや知り合いの友達相手にどういう顔で接すればいいかわからなかった。

 

 陽炎に揺れていた二人の姿が近づくにつれ、我が目を疑った。足を止め、立ちすくんだ。ポケットの中で手が震え、かろうじてiPodを何とか一時停止した。

 

 栞の隣に並んでいたのは、彼女と違って私服姿だった。ノースリーブのワンピースという夏らしい装いで、赤いサンダルがよくえている。勉強のための参考書が入っているのか、肩から膨らんだ帆布のトートバッグを担いでいた。

 

 あるべき頭がなかった。細い肩の線に沿って、麦藁帽子のつばが広がっている。間近で見れば赤黒く、編まれた藁の一本一本がうごめいて脈打っていた。


「ユーコじゃない。こんなところで何をしてるの」


『友達』の横で、栞がいつもと変わらない調子で話しかけてくる。彼女には普通の人間にしか見えていないのだ。動揺が隠し切れず、歯切れの悪い受け答えしかできない。


「ああ、いや」

「この子はね、前に言っていた私の友達。同じクラスの……」

 

 頭が真っ白になって、話の半分も耳に入ってこなかった。彼女の隣にいる何かが、麦藁帽子を震わせて、藁の裂け目から縦長の眼球を覗かせた。

 

 栞が話しかけているにも関わらず、麦藁帽子の化け物は歩き出した。眼前まで迫ってくる。目が合った。その裂けた瞳の中に、私の姿はない。

 慌てて飛びのいた。足を止めないワンピースの背中を見て、栞が困惑する。


「あれ、どうしたんだろ。ごめんね、あの子ってシャイだから」

 

 違う。こちらが見えていないのだ。あれらは、私を認識できない。


「困ったな。本当にごめん、ユーコ。私、行くね」

 

 そう言って、小走りで異形の背中を追いかける。栞を呼び止めようとして、上げかけた手を力なく下ろした。きっと彼女は信じない。

 

 その場で立ち尽くした。陽炎になった気がした。視界が朦朧もうろうとしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る