第4話

「此木さん、万引きしたでしょ」

 

 固まった。枝葉が風に揺らぐ。ぎこちなく振り返ると、彼女はあの底が読めない笑顔を浮かべたままだった。


「何の、話だよ」

 口の中が乾いていた。舌が張りついている。


「ほら、床屋さんが近くにあるコンビニ。何個かおにぎりをってたでしょ」

 きもが冷えた。見られていたのか。背筋に冷たい汗を掻きながら、抗弁をこころみる。


「あそこのおにぎりがある売り場なら、レジの目の前だろ。店員の目は節穴かよ」

「確かに、あの人はちょっとが抜けてるよねえ。レジのお金を数えるのに集中してて、目の前の万引きにも気づかないなんて」

 

 意表いひょうを突かれた。そういう風に他人の目に映ることもあるのか。

 公園の外の道路を走る自動車の排気音が遠くに聞こえた。狭いはずの公園がやけに広く、ブランコの奇妙な子供を除けば、ここには私と桜井しかいない。

 肩の力が抜けた。


「だったらどうするよ。警察にでも突き出すか」

 

 私は観念した。思ったよりも早く断罪の時が来たらしい。自分の場合、どう処罰されるのか知識が不足していた。未成年だから少年院に送られるのだろうか。ただ、この町にそういった施設はない。もしあれらが支配する外の世界へ出たら、私はどうなるのだろう。

 

 まあ、いっか。どうでも。


「そんなつもりはないよ」

 髪の尾を左右に振って桜井は否定する。眉をひそめた。金銭でも要求するつもりだろうか。


「金ならないぞ」

「そんなんじゃないってば。お願いがあるの」

 

 その言葉に強い警戒心を抱く。どういう無理難題を押しつける気なのだろう。彼女の要求は、こちらの想像をはるかに超えていた。


「私と友達になって」

 ポニーテールを傾けて、彼女は笑顔のまま言った。

 

 沈黙が下りた。答える言葉が見つからないまま、まどわせた視野にブランコが映る。あの子供の姿は消えており、ほうける私の頭上をあの赤い風船が飛んでいった。



 げ、と声が出た。

 

 りずにあのコンビニエンスストアまで出向いた私は、あの紺色のジャージ姿が待ち構えているのを目にするなり、踵を返した。


「ちょっと待ってよ」

 後ろから声が追いすがってくる。私は走り出した。


「人の顔を見るなりひどいよ」

「うるさい、ついてくんな」

 

 所詮しょせん運動不足の不良少女と現役の陸上部では勝負にもならない。結んだ髪の尻尾を弾ませて、桜井は涼しい顔で並走してくる。体の軸がぶれない綺麗な走法だった。その手には、桜柄の小包が提げられていた。

 

 結局、私は音を上げた。小さな神社がある石段の前で立ち止まる。全力で走ったのは何年ぶりだろう。両膝に手を当てて息を荒げる私の顔を、桜井は心配そうに覗きこんでくる。


「……此木さん、もう少し運動した方がいいよ」

「うる、さい」

 

 石段の前の道路には、銀杏いちょうの葉の影が揺らめいていた。この町の老人が運動を兼ねて参拝する神社は野山の中腹ちゅうふくにあり、秋になると色づいた葉で彩られる。今は瑞々みずみずしい緑色をしていて、蝉の声が鳴り出していた。

 

 多少呼吸が落ち着いて、遠くの鳥居を仰ぐ。笠木かさぎの上には大きな鳥が鎮座していた。膨らんだ羽毛はふくろうに似ており、頭部は白髪で覆われた老婆の顔だった。しわうずもれて、たゆんだ肉の隙間から参拝客を凝視している。

 桜井が不思議そうに私の目線を追う。


「神社に何かあるの」

「別に。それより何のつもりだ、お前」

 

 ようやく鼓動が落ち着いて、桜井を睨んだ。背丈に差があるため、どうしても見上げる形になる。陸上部員は目の前に小包を差し出した。


「はい」

「何だ、これ」

「お弁当。いつもより早起きして作ったんだよ」

 目を丸くした。一体、どういう意図があるのだろう。


「何の魂胆こんたんがあるのか知らないけど、ご苦労なこった。悪いが遠慮しとくよ」

「でも、いつまでも万引きは見過ごせないよ?」

 

 あんに脅された。随分ずいぶんと良い性格をしている。言葉に詰まっていると、胸に押しつけらた桜柄の小包を受け取る形となった。手のひらに温もりが伝わってくる。


「じゃあ、私は朝練の続きがあるから。また明日」

 

 彼女は言うだけ言って、颯爽さっそうと走り去った。紺色のジャージ姿が遠ざかるのを、小包を両手に抱えたまま呆然と見送った。


「また、明日?」

 

 途方に暮れている私の頭上で、老婆の顔をした梟が鳥のえずきに似た奇声を上げた。嘲笑されている気分になった。

 

 小包の重みを感じながら、仕方なく歩き出した。何であれ、人からもらった物を捨てるわけにはいかない。目立たない場所で開封することにした。町を縦断する河川に沿って土手が湾曲し、対岸まで橋がかっている。その橋桁はしげたの下を選んだ。

 

 土手の芝の上に腰を下ろし、緊張で喉を鳴らす。膝の上に広げられた桜柄の包みにはアルミ製の弁当箱が二つ入っており、ピンク色の箸が添えられていた。どうやら二食分あるらしい。小食だから、中身が詰まっていれば今日一日は腹が満たされるはずだ。

 

 そう、問題は中身だ。空腹にも関わらず、開けるのに躊躇ちゅうちょしている。仄かに熱が伝わってきても、食べられる物とは限らない。そもそも中学時代の同級生とはいえ、食べ物を恵んでもらう道理がないのだ。

 

 私はからかわれているだけかもしれない。期待して落胆するよりは、そう考える方が気楽だ。ままよ。深呼吸をして、アルミ製の蓋を開けた。

 

 湯気が上がった。顔面に当たる蒸気にまぶたを細めて、弁当箱の中に目をらす。一点の梅干しが目に鮮やかな白飯、仕切りでわけられたおかず。ウインナーと小さなハンバーグ。焼かれた鮭の切り身。卵焼きは少し形が崩れて半熟の部分が露出していた。卵焼きを引っ繰り返すのに苦慮する桜井の姿が目に浮かぶ。

 

 固唾かたずを呑んだまま、両手を合わせて箸を握った。焦げ目がついた卵焼きの表面に先端を食いこませる。柔らかい。ピンク色の卵焼きの一部を、恐る恐る口に運ぶ。

 温かった。少し塩味がきすぎている。それでも、コンビニエンスストアのおにぎりよりは遥かに美味だった。人のぬくもりが入った物を口にするのは、いつぶりだろうか。

 

 ああ、そっか。中学生の頃は、お母さんが毎日お弁当を作ってくれたっけ。

 

 目からこぼれたものが頬を濡らした。無表情のまま箸を動かし、誰にも見られない橋の下で泣きながら、塩の味が足された米粒を口に運んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る