第34話「狡猾なる王」

王都の朝は、柔らかな日差しに包まれ、広場には市場の活気と子供たちの笑い声が溢れていた。

公爵家の令嬢エリザベート・ド・セルヴァは、その喧騒の中で淡々と身支度を整えていた。

王太子妃として迎えられたエリザベートは、思った以上に忙しくなっている。

レオン王子が頼りないため、どうしてもエリザベートが口を出さなくてはいけないのだ。

それでいてレオン王子の自尊心にも気を配らなくてはいけない。


「えっと、リディア……だったかしら。あの子は追放されて楽になったんじゃないかしら」


とエリザベートは一人ごちた。もちろん罪人として追放されることは不名誉であるし、平民の中でうまく暮らしていける貴族は少ない。

リディアのようになれる確率はとても低いのだ。


一方、北方の国境では小さな動きが起きていた。

ヴァルハルゼン王グラウベルトは、自らの策略のために巧みに情報を操作し、王都を監視する側近たちに指示を出していた。


「国境の兵力が過剰に配置されているようだな。兵糧や経費が無駄になるので削減せよ」


グラウベルトは穏やかな笑みを浮かべながら、臣下たちの顔を見渡した。


「しかし陛下、これ以上兵を減らせば守備が手薄になります……」


ヴァルハルゼンとラグリファルは、表向きは友好的な関係にある。

そして、大義名分もなく攻め込むことは諸外国の信を失うことにもなる。


だが、国境兵を減らすことは勇気のいることだ。

謀略に長けた者なら、大義名分をひねり出すこともできる。

そして、大国ラグリファルに比してヴァルハルゼンの国力は小さい。

だからこそ、国境に堅固な砦を築いて守備をしているのだ。

その兵を減らすことは、とても心細い。


だから臣下は渋ったのだが、


「だからこそ好都合だ。愚か者どもにこちらの意図を悟られてはならぬ」


グラウベルトは内心ほくそ笑む。

ガラハルト王であったなら、こんな子供だましの策に乗ることはない。


だが、ガラハルトは病に臥せっている。

王太子レオンは虚栄心だけの男であり、エリザベートは利発ではあるが謀略には通じていない。


さらに情報戦はヴァルハルゼン王グラウベルトの得意とするところだ。

情報の選別と心理的圧力によって、彼女を望む方向に誘導することは容易だった。


その日の午後、エリザベートは王宮で軍務報告書を受け取り、北方国境の状況を確認していた。

エリザベートは、決して愛国心が低くはない。公爵家の者として、当然王家に忠誠を誓っている。

ヴァルハルゼンの言葉に乗ってリディアを追放したが、それは父のためであった。

自分より身分の低いリディアが王太子妃になった時に多少の悔しさはあったが、リディアの仕事ぶりを見て「この子なら選ばれても当然ね」と思っていた。


だが、ヴァルハルゼンの使者は「お父君はあなた様が王太子妃になれなかったことで周囲から嘲笑されております」と告げてきたのだ。


元々エリザベートの父ハロルドは敬意を払われていない。だから、エリザベートにはそれが本当に思えた。そのような目で見れば、以前より軽く見られているようにも思える。


そこで、エリザベートはヴァルハルゼンの口車に乗った。

リディアに無実の罪を着せ、追放させたのだ。

申し訳ない気持ちもあったが、エリザベートは普通の公爵令嬢である。

リディアのように慈愛や平等の精神に満ち溢れているわけではない。

自分のために低位の人間が不利益を被っても仕方ないという価値観を持っている。

リディアに不自由があれば何か支援をしなくちゃと思ってこっそり様子を探らせるエリザベートは、貴族の中では優しい方なのだ。


それからエリザベートは、ラグリファル王国のために働いた。

リディアの方が良かった、ハロルドの娘は爵位ばかり、などと言われないように努力した。


貴族に馬鹿にされぬよう、平民を豊かにするよう、一生懸命働いたのだ。


そんなエリザベートは、無駄をなくすことで国が豊かになると考えている。

国境の守備兵を減らすことは、兵糧や武具、給金などの削減に繋がる。

だから、ヴァルハルゼンが国境守備兵を減らしたという報告を聞くと迷いもなく


「北の国境の守備兵を減らしなさい」


という命令を下したのだ。


エリザベートは、教養豊かな女性である。

王が病床に伏している今、国を切り盛りしている重臣の中に間違いなく彼女も入っている。

だが、箱入りの令嬢として育ったエリザベートは謀略に慣れていない。

いや、他の重臣たちもガラハルト王の指示を実行することにかけては優秀だが、自ら謀略を仕掛けたり、他国からの謀略を見抜いたりということには疎かった。

ヴァルハルゼン王グラウベルトの企みに気づける者は、いなかったであろう。


その夜、臣下たちとの会議を終えたグラウベルトは1人ほくそ笑んでいた。


「与しやすい小娘よ……!これで国境は――」





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