第33話「エリザベート」

「エリザベート、元気だったかい?」

「パパ!おかえりなさい!」


幼い頃のエリザベートは、父親が大好きだった。

公爵という高い地位にいる父は、多くの人から敬われていて誇らしかった。

だが、エリザベートが成長するにつれて少しずつ違和感が芽生えていった。


「みんな父の地位を敬っているだけで父のことは眼中にないのでは……」


ハロルド・エドモン・セルヴァ。

リディアを追い落としたエリザベート、その父親である。

公爵家に生まれたハロルドは、生まれながらにして周りから尊ばれる存在だった。

公爵家というのは王家に次ぐ血筋なのだから、それも当然のことであろう。


だが、ハロルド個人に血筋ほどの敬意が払われることはなかった。

社会的地位の高い者はそれに応じた教育を受けることができる。

だから、平民より貴族の方が教養があるし出世もしやすい。

才能というものは持っているだけでは意味がなく、磨かなくては役に立たないのだ。

だが、ハロルドには才能がなかった。

それでも他に男児のなかったセルヴァ家は、ハロルドを当主にするしかなかった。


そういった事情とは関係なく、ガラハルト王に率いられたラグリファル王国は、王の有能さによって大陸の覇者となりつつあった。

全ての国の王が平和を望めば、戦のない世が実現することも夢ではなかった。


だが、権力者は常にどん欲だ。

さらに言えば、臆病でもある。

強い者が自分を狙ってこないわけがないと考える。

その傾向が特に強いのがヴァルハルゼンであった。


ハロルドは決して有能ではなかったが、愛情深い人間だった。

そんなハロルドが、娘であるエリザベートは大好きだった。

それなのに、周りの人間は父を認めてくれない。


エリザベートは頭の良い女性だった。

だからこそ、周囲の人間の感情が読み取れる。

血筋だけの役立たず、昼行燈。


功績のない父ハロルドは、焦りのあまり私財を投げうって投機を行った。

その儲けを国庫に入れることで自分の存在を高めたかったのだろうが、そんな目論見がうまくいくはずもない。

公爵という地位を持ちながら、その内情は火の車となった。


そこにヴァルハルゼンが声をかけてきた。

それから、ハロルドはラグリファル王国の情報をヴァルハルゼンに流して小銭を得るようになった。


国からすれば、ハロルドは売国奴である。

だが国王からそれほど信頼されていないハロルドの流す情報は、大きな影響を与えるものではなかった。

ヴァルハルゼンも、そこにそれほどの期待はしていなかった。

本命はエリザベートだったのだ。

公爵令嬢のエリザベートが王太子妃となった後、都合よく動かすために。


だが、そこでヴァルハルゼンの思惑は外れる。

公爵家令嬢のエリザベートを差し置いて、伯爵家のリディアが王太子の婚約者となったのだ。


爵位は、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の順に並んでいる。

もちろん王太子妃に選ばれる条件は家格だけではない。

そして、エリザベート自身も王太子のレオンを好ましくは思っていなかった。


リディアのことはよく知らなかったが、筆頭公爵家の自分が率先して祝福することで働きやすくなるだろうと思って心からの言葉を贈った。


そんな時に、ヴァルハルゼンが働きかけてきたのだ。「貴方様こそが王太子妃になるべきだ」と。


王太子妃になれば幸せになれるのか、そもそも自分は王太子妃になりたいのか、エリザベートは考えた。

自分より階級が下のリディアが王太子妃に選ばれたことを聞いた時も、エリザベートは何とも思わなかった。

むしろ、あんな馬鹿王子の相手をさせられるリディアに哀れみの気持ちさえ抱いた。


だが、ヴァルハルゼンの言葉が彼女の心に深く入り込んだ。

「お父上のためにも、貴方様こそが王太子妃になるべきだ」と。


その瞬間、胸の奥に熱が灯った。

──もし私が王太子妃になれば、父はもう誰からも侮られない。

人々は父を無能と呼ばなくなる。笑う者もいなくなる。

誇らしげに娘を見つめる父の姿を……見たい。


エリザベートは幼いころから知っていた。

父は人々から愛される人ではあったが、尊敬はされていない。

温厚で優しいがゆえに、軽んじられている。

けれど彼女にとって父は、ただ一人の「英雄」だった。


「父を救えるのは、私しかいない」


その思いが、彼女を突き動かした。

それは単なる野心ではなかった。

娘としての愛情が、時に残酷な決断をも正当化してしまったのだ。


そこにリディアの悪業を吹き込まれた。

エリザベート自身も、軽微ではあるが被害を受けた。


「自分が王太子妃になるべきだ」

エリザベートは、そう思い込まされた。

こうして、エリザベートはリディアを追い落とした。


しかし、リディアの仕事ぶりを受け継いで違和感を抱いた。

マリアンヌの死によって、自分が踊らされたのではないかと思った。

リディアに何の恨みもないエリザベートは、罪悪感を抱くこともあった。


それでも、父が喜んでくれたことでエリザベートの心は満たされた。


エリザベートは時折リディアが放逐されたミルファーレ村に人をやって様子を窺っていた。

自分のせいで王都を追放されたリディアに不自由があれば、何か支援をしたいと思っていたのだ。


だが、リディアは村でも気に入られ、何も不自由はなさそうだ。



これは、リディアが刺客に襲われる前の話。

この後リディアは刺客に襲われ、聖獣ルナがこん睡状態に陥る。


そして、エリザベートもまた野望の渦の中に巻き込まれていく……。

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