第4話 寄り添う

聡が消失してから10日が過ぎた。警察も聡を行方不明者として捜索はしているが、見つからない。いつも、元気で優しい祖父の光希にも、心労が溜まってきている様子であった。しかし、店は開けて聡の帰りを待っていた。


まもりの部屋は、カーテンが半分閉じられたまま。
昼か夜かわからない薄い光が、静かに差し込んでいる。

まもりは椅子に座り、
膝を抱え、ヘッドホンを深くかぶる。

“にゃんこもろもろ”の切ない声が
無機質な静けさをかき消すように流れ続ける。

表情はずっと無表情。
視線は宙を漂い、
食事はほとんど喉を通っていない。
祖父と話すこともほとんどなくなった。白肌から桃色はぬけ、次第に青白くなっていった。

ただ、
音楽だけが彼女を現実から遠ざけてくれる。


――ドンッ!

突然、
低い何かがぶつかるような大きな音が響いた。

(……え?)

ヘッドホンの音量はかなり大きい。
それでも聞こえるほどの衝撃音。

曲が次の曲へ切り替わり、
3つ目が流れても、
まだ何かが響く。

妙だ。
ようやくまもりは、
ヘッドホンをゆっくりと外した。

その瞬間――

「誰かいるか!!」

怒鳴り声のような、大きな声が家の中に響いた。

ビクッ、と肩が跳ねる。
心臓が強く脈打つ。

怖さに足が震える。
それでも、まもりは
恐る恐る部屋のドアに手を伸ばし、
ほんの少しだけ開けた。

視界の先には、
すぐに階段が続いている。

そして――

階段の一番下に、
祖父が横たわっていた。

「おじい…っ!」

まもりは息を呑んで、
部屋から飛び出し、
階段を駆け降りる。

手すりも掴まずに、
勢いだけで下まで走る。

そこで彼女の目に映ったのは――

あの、
シュバルツとウエルテルだった。

ウエルテルはしゃがみ込み、
祖父に何か処置をしている。
腕時計で脈を確認し、
胸の動きを確かめている。

一方でシュバルツは
落ち着かずうろうろしているが、
明らかに事態を理解していた。

まもりは何も言えない。
頭が、真っ白で。
口が開いても声にならない。

オロオロと、
ただ祖父のそばへ立つことしかできなかった。

その様子に気づいたウエルテルが
顔を上げ、はっきりと告げる。

「この方は、心臓に持病がありますね。
不整脈で倒れてしまったようです。
応急処置は終わりましたが、」

彼は真剣な眼差しでまもりを見つめ、
強い口調で続けた。

「すぐに高度医療のできる病院に入院させて治療を受けなければ、このままでは命に関わります。
何もしなければ、死に至ります。」

その言葉は
まもりの胸に重く沈み、
全身の血の気が引いていく。

「……っ」

視界が揺れた。
音が遠のく。

祖父、まで――
いなくなるかもしれない。

震えが止まらず、
息の仕方もわからない。

ただ、
ただ立ち尽くすしかなかった。


♦︎県立総合医療センター・夜の救急フロア

サイレンの赤い光が、
夏の湿った夜気を切り裂くように揺れていた。

呆然と立ち尽くしたまもりに代わり、
シュバルツが迷いなく119番に通報した。

「倒れた。意識なし。たぶん心臓の問題だ。住所は――」

その声は珍しく真剣で、
いつもより少し低かった。

救急隊がすぐに到着し、
祖父はストレッチャーに乗せられた。

まもりはまだ何も理解できておらず、
涙も叫びもなく、
ただその後ろをふらふらとついていった。

シュバルツとウエルテルも、
当然のようにまもりの横を歩いた。


県立総合医療センターの白い照明が
刺すように眩しかった。

祖父はすぐに救命センターの処置室に運ばれ、
30分後、
主治医が説明のために現れた。

「一命は取り留めました。
ただし、不整脈による心停止寸前でした。
これからしばらく入院して治療を続けます。」

医師の言葉は、
どこか遠くの世界の音のようで。

まもりはただ――
聞くだけ。

頷きも言葉も出ない。

心が動かない。

夏なのに、
体の芯まで冷え切っているようだった。


時間がゆっくりと流れる。

廊下のベンチに座るまもりの横で、
シュバルツとウエルテルは
何も話さず、
ただ彼女のそばにいた。

初対面なのに。
理由もなく。
ただ静かに。

ウエルテルは心配そうに時折まもりを見たが、
彼女の気持ちに踏み込むことはしなかった。

シュバルツは落ち着きなく足を揺らしながらも、
なぜか帰ろうとはしなかった。

ほんの少し揺れたベンチの上で、
まもりの肩に、
シュバルツの肩がそっと触れた。

その瞬間――

あたたかい。

驚くほど、
ひどく、
あたたかかった。

ずっと凍っていた身体が
急に溶けていくような温度。

その温かさに触れた瞬間、
まもりの瞳から
言葉のない涙がこぼれ落ちた。

声は出ない。
嗚咽もしない。
ただ静かに、静かに。

涙だけが頬を流れていった。

その横で、
シュバルツは何も言わず、
ただまもりの肩に寄り添うように
座り続けていた。

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