第1話 遅刻常習団体 レバルナ傭兵団 1
イリア大陸南方の国、ギオッソ王国。
豊かな土壌と穏やかな海、年中ほとんど変化のない暖かな気候と西から吹いてくる緩やかな風に揺られるこの国は、大陸で最も平和な王国である。
そして、王国を構成する6つの主要都市の中でも最も平和ボケ、もとい安心して生活できる場所はどこかと尋ねられれば、皆が口をそろえてこう言う。
ギオッソ王国最南端の街、レバルナであると。
レバルナは雄大な海に沿うように東西に広がる街である。漁業とバカンスで賑わう港町はこの大陸で最も楽園と呼ばれるに相応しい。かの街で羽を伸ばすため、国内の端からはもちろん、国外からの来訪者も珍しくない。
楽園は今日も陽々と日常を繰り広げる。早朝の漁業から戻ってきた船たちが積み荷を降ろし、市場がやんややんやと活気だち始めていた。
そんな陽気で穏やかな吉日に、街の東端にある門の片隅で、震えあがっている集団がいた。
人数にしておよそ20人弱の若い男衆。身長体格もそれぞれな彼らは胸にプレートを装着し、背に弓と矢筒を背負っていた。何も知らない人間が見れば漁村にしては珍しく、集団で山に狩りにでも行くのだろうかと思っただろう。
しかし、彼らは猟師ではない。港町唯一の武装用心棒集団、レバルナ傭兵団だ。人ならざる物を仕留めるという意味では狩人かもしれないが、彼らの獲物は動物ではない。それよりも余程凶悪な魔力を宿した魔物である。
とはいえ、傭兵団らしさを感じられない頼りない後ろ姿には狩猟前の落ち着きは全く無い。目的地である遠方に聳える山に向かう足となる馬も、門を挟んで反対側に駐車してある金色の装飾が施された豪華な馬車を引く二頭だけである。
そして、さらに言うとその馬車でさえも彼らの所有物ではない。今日だけ力を貸してくれることになった助っ人たちのものである。
そんな魔物を今から狩るにしては明らかに貧弱な装備の狩人もどきの集団は、まるで防衛線として機能していないほっそい木組みの門の真下、仁王立ちしている少女を見て怯えていた。
「……おいっ、なんで誰も起こしに行かなかったんだよ!」
「そんなこと言っても仕方ねぇだろ…!俺たちだってギリギリだったんだから。あいつの面倒見てたら一緒に遅刻だったんだよ…!」
集団の後方にいた団員たちが沈黙に耐えられず泣き言を零し始めた。その泣き言はじわじわと伝播していき、会話になる。
「というかお姫様が参加するから遅刻するなって、前日の夜に言われても困るわ…」
「もっと早く教えとけよ、町長の息子ならさぁ」
「俺だって昨日決まっておったまげたんだぞ。街中走り回って大変だったし…」
「ミケのとこには行ったんだろうな?」
「当たり前だ。一番最初に伝えに行ったんだけどなぁ…」
長身で全体的に細長いという印象を受ける少年が仲間から非難されるが、もっともな言い訳を並べて半べそかいていた。少年の名はフィン・ダンコといい、街長の嫡子であり、傭兵団の副団長であった。
他の団員達も苦労が滲んだフィンの愚痴を聞いてこれ以上の追及を止めた。代わりに話題はこの地獄を生み出した原因のクソボケ寝坊ウニ野郎、そして彼らの目の前で今なお腕を組み仁王立ちし続けている銀色の少女に向かう。
「いつも通りなら15分は遅刻するぞあいつ…」
「くそぅ、こんなに胃がキリキリするはめになるなんて…」
何を隠そう、レバルナ傭兵団は遅刻常習犯の集いであった。それもそのはず、団長である少年がそもそも早起きが苦手なのだ。一応夜には酒場の営業を手伝っているという大義名分があるため、そのことを咎める人間は一人もいなかった。また、構成員のほとんどが10代の少年たちであり、組織内のルールなんて彼らのノリを言語化しただけのものしか存在しない。
もちろん、遅刻に対する罰則なんてありはしなかった。
それどころか、傭兵団の集合時間は30分遅刻するのが当たり前という慣習まで出来てしまい、集合時間丁度に誰一人集合していないなんてこともここ1年ではよくある話だった。
しかしそんな身内ノリが招いた惨劇が現在進行形で傭兵団の心を蝕んでしまっていた。
「なぁやべぇ、マジでこえぇよ。激怒じゃんあの人」
「なんだろうな、ちょっと懐かしいわ。もういないお母ちゃんを見てるみてぇで…」
「俺は、酒盛りでぶっ潰れた翌朝のカミさんに見える」
「いや、もうあれは勇者伝説の魔王とかそっちの方面で―」
―ギロッ
「「「ッ…!?」」」
陰口が聞こえたのか、怒髪天の少女の殺気のこもった睨みが男どもに突き刺さる。咄嗟に全身を凍らせた野郎共は、息を殺してバッと視線を外す。
しかし、数秒もすると欲に負けた数人がチラチラと少女の斜め後ろから微かに覗く横顔を覗き見ていた。「にしても、噂通り綺麗だなぁ」誰のものとも分からない呟きに、根っこの部分が能天気なお気楽野郎共は「ふほぉ…美人だぁ…」と感嘆の溜息を洩らす。
対して、綺麗な銀髪をお団子にして高い位置で纏めている少女は視線を集めていることを自覚して「はぁ」と、ため息を吐く。あくまで腕は組み、姿勢は凛と伸びきったまま内心の苛立ちを何とか吐き出そうと心がける。
腰にかかっている懐中時計をパカッと開き、時刻を確認する。
すでに分針は頂点を過ぎ、10分が経過しようとしていた。
10分。その時間に何が出来たのかを考えてしまい、時計を持つ手に力が入っていく。こんな所で悠長に時間を浪費する暇はないと言うのに…。こんなことなら昨日酒の席で簡単に依頼を引き受けさせるべきでは無かったと後悔していた。
「あのっ!」
「「「ひぃぃ!?」」」
少女の呼びかけに対して、男たちは比喩抜きに二、三歩後退する。
そんなに怯えるのもそれはそれで失礼じゃないか…。と内心ムッとするが現状を何とか変えるためにコミュニケーションを図る。
「もう出発しませんか?私たち、魔物狩りに一日全部使えるわけじゃないんです。夜には宴会に出席しなければいけませんし」
「あの、ぜひそうしたいのは山々なんですけど…」
副団長のフィンがおずおずと返答する。
「来てないの、団長なんですよ…」
「だ、団長……」
少女は信じられないとばかりに天を仰ぐ。いったいどこに遅刻して部下を待たせる団長がいるのだろうか。この
言いたいことは10も20も浮かび上がってきたが、少女は全部飲み込んでまた街を見降ろして腕を組む。
よし、もうあと30秒したら置いて行こう。そう決意を固めた瞬間、遠くに水平線が拝める長い坂の下から二つの黒い影が走ってくるのが見えた。
しどろもどろな二つの黒い影に注視する。
二人の人間には親子ほどの身長差がある。そして、どうやら小さい子供が大きい方の手を引いて走っていることが分かった。だが、大きい方のシルエットも細く、自分とほとんど変わらない年齢のように見受けられる。
まさか、あれなのか?あんな少年が団長なのか?と少女の中で浮上してきたまさか、という可能性に対して怪訝に眉を顰める。
「あっ、おーーーいっ!急げえええ!」
後方で固まっていたにいたフィンが手を大きく振りながら声を張り上げた。まさかのまさか、少女の予想はビンゴだった。
呼び声に気づいた小さな男の子は慌ててスピードを上げるが、後ろのデカい方がまるで急ごうとしていない。二人の姿が見えるようになると、真っ黒な髪と褐色の肌、身体の骨格が似ていることからかなり若い兄弟であることが分かった。
兄であるはずの少年は歳は自分と同じくらいに見えるが、弟に手を握られながらふらふらと不規則なリズムでステップを踏んでいる。
その姿に、銀髪の少女は『イラァ』としてしまい、頬をピクリと動かす。影が近づくにつれて、二人の話声も聞こえ始める。
「もう、ミィ君‼ちゃんと走ってよ、もう、もうってば!!」
「ぁぁ、走ってる、走ってるぞ…」
「目を、閉じないでぇッ…!!」
鳥が鳴くような声で、息を切らしながら注意する男の子は本当に今にも泣きだしそうな声を出していた。それなのにミィ君と呼ばれた少年は対照的に首をカックン、カックンとさせながら半分寝ながらこちらに向かっているのがはっきりと分かった。
(こいつだ。こいつが遅刻の元凶だ。そして…)
「おーい、団長ぉ~。全力で走ってくれ、マジでぇ頼むよぉ~」
細い傭兵団員、街長の息子さんであるフィンの情けない声を聞いて、少女が怒りを向ける先がハッキリと定まった。
「お、遅れ、ましたぁ……ひぃっ!?」
「……」
息も絶え絶えに、門の正面に辿り着いた黒髪の小さな男の子は、少女を見上げて一気に顔を真っ青にした。それもそのはず。まだ重たいモノも持てないくらいの男の子を初対面の人間が、害虫を見るような目で見降ろしていたのだから。
「ごっ、ごめんなさあああい!!!」
咄嗟に、少年は両手を身体の前でパンッと合わせ、頭を腰よりも低い位置まで下げる。男の子が出来る最大限の謝罪の形であった。ひっ、ひっと遂に泣き出してしまった男の子はそのまま頭を上げられずにぷるぷると震えている。
流石にその姿を見てこの男の子の謝罪くらいは聞いてあげようか、という気持ちが芽生えた少女の耳に、「ふあぁあ」という気の抜けた、あまりにも不遜極まりない声が届いてしまった。
まるで朝早いなぁ、とでも言いたげな微睡んだ声に『イライラァ…!』と少女の心の奥から熱い塊が溢れ返りそうになる。『こっちは貴方の2時間以上前から準備をしてきたのですけど!?』と大声をあげながら胸倉を掴まなかったことを褒めてほしいくらいには、少女は激昂していた。
落ち着け、落ち着け。私は騎士だ、大衆に見られる人間だ。だから初対面の人間に怒鳴り散らすわけにはいかないんだ。と自分に言い聞かせながら、何とか冷静に少年を観察する。
半袖半ズボンのまるで危機感の感じられない薄い服から伸びる褐色の手足は、ほっそりとしている。しかし、少なからず運動はしているのだろう、細い手足には筋肉の線が見て取れた。
身長は少女より少し高いくらい、165cほど。丁度睨み上げやすい位置に蹴り上げたくなるような緩んだ顔があった。ウンッと手を頭の後ろで伸ばした少年が、ようやく目を開いた。
そこには、レバルナを訪問してから沢山見てきた海の色がそのまま映し出されていた。ブルーグレー、灰青色の澄んだ瞳。焦げ茶色の肌と、真っ黒で短髪の少年の容姿において眼のブルーグレーだけがやけに目立っていた。
瞳の色を見て、少しだけ綺麗だな、と思った自分に反吐が出そうになる。
少女は反吐の代わりに、言葉を吐き出した。
「おはようございます。遅刻ですよ」
「あぁ、おはよぅ―」
理性で何とか何とか抑え込んで挨拶をした少女を、ようやく少年は視界にいれたようだ。そこで、少年は言葉に詰まってピタリと静止する。まさか今更遅刻したことを認識したのではないか…と稀代の阿呆である可能性が脳を過る。
が、違った。
「――うぉ、マジか。へぇ。………あ、じゃあ、よろしくな」
何に驚いて目を見開いて、何に合点がいったのか知らないが、少年は一つ頷いた後、ニッと笑いながら手を差し伸べてきた。
それが完全に最後の火種になった。
(マジか?ヨロシク?……ヘェ?)
少女の胸中は荒れに荒れていた。遅刻して来たくせに、謝罪は無く、何事も無かったかのように笑い、あまつさえ握手を求める。あまりに無礼で厚顔無恥で恥さらしな目の前の少年に、少女の怒りが噴火した。
―パァァッン!
差し伸べられた手を、少女が思いっきり叩き飛ばす。晴れ渡る空に響いた快音はまさしく少女の怒りの爆発音だった。
門の端から団長を迎えに出てきていた傭兵団の面々は一瞬で震えあがって再び門の影に引っ込んだ。
「じゃあ、よろしく。じゃないですよ!?貴方は遅刻したんですよ。ち、こ、く!したんです!」
少女の綺麗な声が蒼炎のごとき怒りを込めた説教となって、とぼけ顔の少年の顔面に向かって放火された。
「分かりますか、知っていますか、チコクって。時間に遅れることです。それも、団長で最も規律を守るべき貴方が!それは唾棄すべき行為であるという自覚が貴方にありますか!?そもそも遅刻したら、まずはするべきことがありますよね。挨拶とか握手とかよりも先に!私たちに対してすべきことが!!」
「ひぇぇぇぇぇ……」
「お、おおう…」
頭を下げていた男の子は、最早地面にひれ伏してしまっている。それなのに、当事者である、というか間違いなく犯人である少年は少女の怒涛の捲し立てに少し仰け反るだけ。全く説教されているという自覚が無い。
その姿勢が更に少女の蒼炎に薪をくべた。
「お、おおう…。じゃないんです!ほら、見てくださいこの時計!分針はどこにありますか、もう10の数字を示してますよね。集合時間からすでに10分も、600秒も過ぎているんですよ!これだけの時間があれば何が出来ますか!?紳士なら紅茶の一杯くらい作っちゃいますよ!?それなのにあなたは、寝ぼけながらふらふらふらふらと………恥を知りなさい!」
喉に突っかかっていた言いたいことを語彙にして放出し、胸の奥にたまっていた感情を声量に変えて少年にぶちまける。
そして、キッ―と睨み上げて少年の顔をズビシィッと指差して見せた。
貴方のことを言っているんです!と。
謝罪するまで逃がさないぞ、と。
それに対して少年は、びっくりしたように目を見開いて、弾かれた手でパッと頭を押さえつけた。
「えっ、ごめん、髪跳ねてる?」
少年は、少女の指が指摘しているものが自分の寝癖だと勘違いしたらしい。
我慢の限界を疾うに超えていた少女は怒りで少し涙を浮かべながら律儀にツッコんだ。
「寝癖の話なんか、してません!!」
生真面目な銀髪の少女、ミリア・ルビネットの絶叫はレバルナの港まで響き渡った。
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