Prologue:星月の栞図書館②
夜は静かに降りていた。
家々の明かりが眠りにつき、街の喧騒が遠のくころ——澪はまた、同じ夢を見ていた。
星が雪のように降りしきる夜、どこからともなく姿を現す、不思議な三階建ての図書館。
“星月の栞図書館”
澪はその名を知らないはずなのに、なぜか胸の奥が懐かしく疼く。
扉を押し開けると、ふわりと星色の光が漂い、紙の香りと静寂のぬくもりが迎えてくれる。
本棚の向こうでは、杖をついたひとりの老人——アステルが、穏やかな微笑みで澪を待っていた。
「今夜も来たのかい、澪」
その声は、聞く者の心を包むようにやさしい。
けれど澪は気づいていた。アステルの姿は、夢を見るたび少しずつ違う。
ある夜は皺の多いおじいちゃん。
ある夜は落ち着いた青年。
けれど澪の前でだけは、いつも変わらず優しい老人の姿だった。
「ここは……どこなんですか?」
「心の色が迷い込む場所さ。星と月が、おまえを導いたのだろう」
アステルはそう言って、小さな星の欠片のような光を掌にともす。
光は本棚を照らし、無数の本の背表紙が淡くきらめいた。
そのとき——澪は気づく。
アステルの背後、階段の上に飾られた一枚の肖像画が、じっとこちらを見つめていることに。
描かれているのは、アステルに似た青年。
けれどその目は深い影を宿し、光を拒むように沈んでいた。
まるで、閉ざされた何かを訴えるように。
胸の奥がざわり、と揺れる。
澪は視線をそらしながら、思わず尋ねた。
「……あの人は、誰ですか?」
アステルは一瞬だけ言葉を失い、次いで静かに目を伏せた。
「——ここには、触れてはならない“色”もあるんだよ。いつか知る日が来る。その時までは、あの扉には近づかないことだ」
彼の視線の先には、三階への階段。
その先には、星と月の紋章が封印のように刻まれた“月影室”への扉。
澪がその先に何を感じたのか、自分でもわからなかった。
ただ、胸の奥に引き寄せられるような痛みが走る。
——あの肖像画の青年は、なぜ泣きそうな目をしていたのだろう。
アステルは澪に気づかれないよう、そっとため息を落とした。
星が降りしきる夢の中、微睡む図書館にて。
やがて訪れる運命を、静かに案じるように。
「澪。夜が明ければ、この場所は消える。だが——おまえはまた来るだろう。
ここに“栞”を落としていったのは、ほかでもないおまえ自身だからね」
言葉の意味はわからない。
けれど、図書館の扉が静かに閉じる瞬間、澪の胸は奇妙な確信に満たされていた。
——私はきっと、またここに来る。
そう思ったところで、世界がゆっくりと光に溶けていった。
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