第12話

「そうだろ? 神崎」


 話を振られた神崎も苦笑するしかない。実際のところそうなのかもしれないが荒川の気持ちを考えたら今言うことではない。


「人間なんてのは自分自身ですらままならないんだ。他人から見た姿なんてほんの一部でしかない。確か『世界そのもの』と『人間に見えているもの』を分けて考えるのがカントの考え方ではなかったかな?」


「磐田先生!」


 譲が磐田をたしなめようとしたのを荒川が「いいの」と制する。涙の筋の後はまだ消えていないが磐田に向かって精一杯の微笑みを見せる。


「変に気を使われるよりこれぐらいストレートに言ってもらった方が、私ももやもやしないわ。それに確かに私の知っている朋子は一部でしかない。それでも私にとって朋子はただの後輩じゃなくて大事な妹のような存在だった。彼女の方も私のことをそんな風に思ってくれていた……そう願いたいわ」


「なるほど、私にはつくってこられなかった素敵な関係だ」


 少しぬるくなったコーヒーを口に含んだ磐田が荒川に微笑み返す。


「神崎、彼女が言うんだ怨恨の線は薄そうだ。一応、他の親しかった人物からも裏が取れたらそれ以上の捜査は無駄かもしれないな」


 磐田が神崎の目を見てそう告げる。荒川もどこかホッとしたような表情を見せた。少し間を置いて神崎が「そうだな」と返事する。この二人のやり取りが譲には引っかかった。


「あらゆる可能性を」と言っていた二人にしてはやけに聞き分けが良すぎる。自分の指導教官に対しての言葉ではないかもしれないが対応が普通すぎる。


「もう少し南さんの周りの人にも聞き込みを行ってみます。荒川さん、何度もご協力ありがとうございました」


「いえ、もし何かまた新たなことがわかったら教えていただけると嬉しいです」


「ええ、必ずお伝えします。ちなみに大学の中で他に南さんが親しくしていた人に心当たりありませんか?」


 神崎の質問に少し考え込んでから返事をする。


「寮生のみんなは仲良かったし、あとは同じ三回生で言うと斎藤さんとか、川本さんとかも仲良かったはずです。何度か三人でご飯にいった話も聞いているし」


「斎藤さんに、川本さん」


 神崎は手帳にメモを取りながら説明を求めるように譲の方をチラッと見た。


「斎藤さんは倉内ゼミの三回生です。川本はうちのゼミ生、今日は休んでますけど……あんまり由香が南さんと仲良かったイメージないな」


 まさかの由香の名前が出てきて驚いた。そう言えばあれから着信も返ってこない。


「そうですね、どちらかというと斎藤さんの方が仲良かったと思います」


「男は?」


 磐田が横から口を挟む。


「男?」


「ああ、友人ではなく恋人なんかはいなかったのか?」


「ちょっと、磐田先生」


 さっきからデリケートな質問もぐいぐいと聞いてくので譲の立場からするとハラハラする。磐田の方は何が悪いという顔をしている。


「ストレートに聞いた方がいいとさっきも言われただろう? それに南さんのまわりの人間関係ということなら避けては通れない質問だ」


 それはそうだが、聞き方というものがある。このあたりの機微は磐田に一番欠けている部分だと思う。


「……今はいなかったと思います」


 捜査の参考になるならと半分あきらめたように荒川が話し出す。できるだけ感情が表に出ないように努めているようにも見える。


「高校時代にお付き合いしていた人がいたという話は聞いたことがありますが、ここ最近はいなかったはずです。恋愛話をすることもあったので彼女が隠していない限りはそうだと思います」

「なるほど、そちらの線も薄いと」


「どちらかと言うと彼女は奥手だったので……すごくいい子だし、好意を持たれることはあったと思います」


 話を聞いていて日高のことを思い出した。南の死を聞いてどう思っているのだろう。


神崎が手帳のメモを繰りながら他に聞いておくべきことを確認する。


「ええっと、ゼミの松本先生やもう一人の久保田くんとの関係はどうかな? プライベートでの交流とかは」


「あっ‼」


 譲は思わず声を上げた。まわりが驚いて譲の方を見たが「いえ、あとで話すので先に荒川さんを」と言って両手に口をあてる。神崎も視線を荒川の方に戻す。


「基本的にプライベートでの交流はほとんどなかったです。朋子は……私もなんですが松本先生をとても尊敬していました。先に私がいたこともありますが、朋子は松本先生の講義やゼミをとても楽しみにしていて、一日の中でゼミ室にいる時間も長かったです。松本先生も勉強熱心な朋子のことを買っていたと思いますが、指導とプライベートを厳格に線引きされる方なので……発表会の後の懇親会なんかでも一次会が終わったら必ず先に帰られます」


 確かに懇親会の日もいつの間にか松本はいなくなっていた。授業でも倉内のように雄弁というよりは一言一言諭すように重みのある話し方をする。哲倫ゼミの主任教授だけあってその指導や学生への評価には一定の厳しさもあったが松本のことを悪くいう学生はあまり聞いたことがない。


「久保田くんの方はどうかな?」


「彼との接触はそれほどなかったと思います。正直、朋子は久保田くんを避けていたところがあって」


「避けていた?」


 メモを取っていた神崎の手が止まる。


「久保田くん、根は悪い人じゃないんだけど軽くて調子のりなところがあるので、そこが朋子には合わなかったみたいです」


「トラブルになったりとかは?」


「それはなかったと思います。朋子もなるべく接触を避けていたし、久保田くんはそんなにゼミに思い入れがないというか、必要最低限しかゼミ室に来ないので一緒になることはそれほど多くはありませんでした。特に内定をもらってからは大学自体にもほとんどよりつかなくなって……」


 神崎がなるほどとうなずいているところに「ちょっといいですか?」と譲が手を挙げる。


「すみません、実はさっき思い出したんですが……」


 譲が何を言い出すのか三人の注目が集まる。本当は荒川の話がすべて終わってからと思っていたが、久保田の話が出たのでちょうどいい。

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