第13話
「懇親会の夜に最後、トイレの近くで南さんが久保田さんと言い争っているのを見ました」
「何だって⁉」
アルコールが入っていたので鮮明にはすべてをはっきりと覚えているわけはないが、できる限りその時の様子を思い出す。確かにあれは言い争いと言ってよかった。
「詳しい内容はわからないですが久保田さんと誰かの関係について南さんが非難している感じでした。『訳を話して!』とか言っていたので」
「それで?」
「確か『あとでもう一度話そう』といったような内容を話していました。そのあと、少しだけ南さんと話して『危ないから一人で行かない方がいい』とは忠告しました。けど結局そのあとどうなったかまでは……俺らは二次会に行ってしまったので」
譲の言葉の語尾が力なく消える。あの後、南は先に帰ってしまったのでどうなったかは知らない。それどころかついさっき久保田の話題が出てくるまで、譲は完全に忘れてしまっていた。
譲の話を聞いて荒川は何やら考え込んでいる様子だ。南の行動で心当たりがないか考えているのかも知れない。どうするのか神崎に尋ねようかと視線を移す時に、磐田はコーヒーを口に含みながら荒川の様子を注意深く見ている視線に気がついた。
「……どちらにしろその久保田くんにも話を聞いてみる必要があるな。荒川さんは今の柳瀬くんの話に心当たりは?」
荒川はゆっくりと首を左右に振る。荒川も知らないとなると久保田と南に何らか別のつながりがあったのかもしれない。
「そうか。今日は大学にまだ来ていないんだね?」
「はい。月曜日は来ないことが多いです。朋子のことの連絡はいってるはずですけど」
「連絡先とかはわかりますか?」
「携帯番号はわかりますが……あの、私から教えた方がいいですか?」
荒川が躊躇ったそぶりを見せる。それを見て横から磐田が助け舟を出す。
「警察とは言え勝手に個人情報を教えるのにためらいがあるのだろう。荒川さんから一度、電話してみてくれないか?」
磐田の提案に神崎は一瞬驚いた顔をしたがすぐにそれに同意した。神崎にもお願いされてしかたなく荒川は自分のスマホを取り出した。スマホの画面をスクロールしながら住所録に入っている久保田の名前を探す。やっと発見したのか、画面をタップしてから耳にあてた。呼び出し音が鳴るが反応がない。荒川の視線は電話口の先をうかがうように宙をさまよう。
「ダメです。電話にでません。留守電にもなる気配がないし」
スマホを耳から離し申し訳なさそうに言う。
「しかたがない。学生課か松本先生に問い合わせをしたら住所もわかるだろう」
磐田は隣の神崎にそう話しかける。
「すみません。お役に立てなくて」
「いやいや大変な中、捜査に協力ありがとう。神崎、学生課にあたってみよう」
磐田は気が済んだのか神崎を促し、部屋から退散しようとする。もう少し粘ってもよさそうなものなのにその切り替えの早さに驚く。結局、これといった収穫はなかった。やはり当初の想像通り南は事故死なのではないだろうかと譲は思う。
入り口まで見送ってくれた荒川に礼を言って部屋を出ていく。譲と神崎に続いて磐田が扉を出ようとするときに思い出したようにスマホを取り出す。
「最近は手帳のようなタイプのスマホケースが流行っているな」
「……えっ?」
予期せぬ言葉に思わず荒川は聞き返す。
「柳瀬くんも南さんもそうだった。俺はすぐに画面を見られる方が好きでね。ひと手間をとてもわずらわしく思うよ」
そう言って磐田は笑った。見送る荒川の口元からは笑みが消えていた。
女子寮出てしばらくしてから磐田の隣を歩いていた神崎が磐田に問いかける。
「さっきのあれ、どういう意味があるんだ?」
「あれというのは?」
岩田は神崎の方に視線も移さない。
「荒川に最後にいったセリフだよ。それに荒川から電話させる必要があったのか?」
神崎と同じ疑問を譲も抱いていた。第一、磐田が個人情報を気にするようなたまではない。神崎もなにがしかの意図を感じたのでそれを促したのだろう。
「一つには荒川さんが久保田くんに電話をかける様子を見たかった」
「なんで?」
「南さんと久保田くんのつながりを本当に荒川さんが知らなかったのか反応を見極めるためだ。電話はつながってもつながらなくてもよかった。もちろんつながった方が都合はよかったがな」
猫背で普段は気づかないが磐田はなかなか長身で歩調も速い。少し早歩きに近い感じで神崎は磐田についていく。
「スマホケースの方は?」
「基本的には一緒だよ。心当たりがあれば何かしら反応が見られるだろうし、なければなかったときだ」
「それで肝心の荒川の反応は?」
「いや、そもそもスマホケースの心当たりって?」
矢継ぎ早に神崎と譲が質問するが、磐田はめんどくさそうにため息をつく。
「さっきも言っただろ? 少しは自分の頭を使って考えることだ」
そのまま磐田はそっぽを向いてしまう。神崎は「ケチくせえなー」と言って、両手を首の後ろのあたりにまわす。そのまま少し後ろを歩く譲のとこまで来て、小声で話す。
「あいつ、いつもそうなんだ。何かわかっても簡単には教えてくれない。おまけに訳の分からない公式とかで説明しようとするだろ? また訳のわからないこと言い出したら柳瀬くん、処理頼むよ」
「ちょっと、押しつけないでくださいよ。神崎さんこそつきあいが長いんでしょ?」
二人でひそひそ話をしているところに前を歩く磐田が振り向かずに「さっきから聞こえてるぞ」と釘を刺す。慌てて譲と神崎は顔を見合わせるがそこで「あれ?」と譲が声をあげる。
「磐田先生、学生課に行くんじゃないんですか?」
右手に学生課の入る三号棟が見えるが磐田はそのまま直進しようとしている。このまま進むとゼミ室のある二号棟と一般教養の一号棟だ。本来なら食堂のある三号棟のあたりは学生であふれている。警察が学内に入っていることもあって大学職員の姿は時々見かけるが、さすがに学生の姿はほとんど見かけない。
「先に松本先生に会いに行く。ゼミ生三人の関係についてもう少し情報を入れたい」
「久保田は先におさえなくていいのか?」
「ああ、少し泳がせておくさ。外堀を埋めてから会いに行こう」
「それなら俺は一度本部の方に戻っていいか? 司法解剖やスマホのデータについてもう少しわかるかもしれない」
「時間はどれくらいかかる?」
神崎は腕時計を見る。時計の針は十三時半を過ぎていた。
「そうだな……一時間半、いや余裕持って二時間ぐらいはみておきたいから四時に徹の研究室に集まろう。それまでに徹たちはもう少し人間関係を探ってもらえるか?」
「わかった。どうせなら三つに分かれよう。柳瀬くんは倉内ゼミのメンバーから話を聞いてもらおう。あそこには南さんと仲が良かった斎藤さんや久保田くん、荒川さんと同期の安岡くんもいる」
急に大切な役割を与えられて譲はとまどう。確かに松本先生との話なら学生とは違い間に譲が入る必要はない。かといって自分に情報収集などできるのかと不安になる。
「あの……俺はどういうことを探ればいいですか?」
自信なさげに発せられた譲の発言に磐田はため息をつきながら「……またか」とつぶやく。
「自分の頭で考えろ。生きてるってのはそういうことだ」
「でも、磐田先生、何かわかっているならヒントぐらいくださいよ」
譲が磐田に何とかすがりつく。それを見て磐田は薄っすらと笑みを浮かべる。神崎はいつものあれだと思った。
「いいだろう。俺がいつもやっていることだ。迷った時には一度数式のような真理に照らし合わせて考えていく」
しまった! 逆効果だったと譲が思った時にはもう磐田はゼミ室でパソコンに前に向かうような狂気を帯びた表情になっている。
「柳瀬くんは図形の中で何が好きかね? 俺は三角形こそ最も美しい図形だと思っている。構造学的にも強固なあのフォルムもそうだが、一つの図形の中に相反する命題を抱えている様子もまるで人間の生き方のようで気に入っている」
神崎はやれやれといった表情をしているが、譲はヒントを要求した手前いい加減に聞き流すことはできない。
「さっきも言ったよな? 直線上にない三つの点からしか三角形は成立しない。それなのにどうだ? 三角形の内角の和は百八十度になる。それにまたその証明も美しい。つまりはそういうことだ」
つまりどういうことなのか? あるいはそれが本当にヒントだったのかすらわからないが譲は一応「ありがとうございます」と礼を言った。数式がヒントになるとは思っていないが「自分の頭で考えろ」と言われれば、それにたいしてはぐうの音も出ない。
日高あたりに連絡をとってつないでもらうしかないとスマホを取り出した。岩田はそんな譲に対して片手を上げて無言でその場から立ち去った。
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