3章:屋上

第7話

 警察の規制線の中は昨夜の様子が生々しく残されていた。さすがに遺体は取り除かれていたが周囲に飛び散った血液が転落の様子を想像させる。思わずえずきそうになる譲の横で磐田は女子寮の屋上を見上げた。


「あそこからか?」


「ああ、遺体は頭部が激しく損傷していた。真っ逆さまに落ちてそのしるしをつけているあたりに落下した。そのまま衝撃で体を回転させて横たわったと見られる」


 磐田も神崎も表情を変えない。譲一人が屋上と血液の付着したタイルを交互に眺めて悲痛な顔をした。すぐ近くの植え込みに咲いている紫の花がやけに鮮やかに感じる。寮の屋上を見上げていた磐田がその植え込みの近くに一度しゃがみ込んで、その後また立ち上がった。


 大学の女子寮は六階建てになっている。屋上からの高さは約二十メートルだ。屋上は普段から開放されていて、そこでバーベキューなどを行うこともあるらしい。当然、転落防止用の柵も設けられており、何らかの方法で南はそれを乗り越えたことになる。


 磐田は腕を組みながら屋上を見上げたままだ。神崎が「何か気になることはあるか?」と聞くが、黙ったままだ。


 休校の影響で学生の数が少ないことと警察の規制が入っていることもあるがこのあたりは静かだ。神崎が用意してくれた見取り図によると現場は女子寮の東側にあたる。


 女子寮の玄関があり、二階からは上の階にはベランダの設置されている南側は学生課や図書館への続く学内のメインストリートになっていて人通りも多い。逆に現場のある西側の通路は女子寮裏にある駐車場へ抜けるための通路となっていて使用頻度は低い。電車を使って通学する大部分の生徒は普通西側の正門を通って歩いてくる。一般教養で主に使う一号棟、専門教科やゼミ室の入る二号棟、そして学生課や食堂、購買のはいる三号棟、図書館等を抜けて一番奥に位置するのが大学寮だ。


 土地の安い大阪と奈良の境目の小高い丘に大学が建てられたので駅を降りてから正門に入るまでかなりの高低差がある。毎日この上り下りだけでもなかなかの運動だ。敷地の広さは十分にあるので駐車場もかなり余裕を持って作られた。車で来た場合にはぐるっと奥の門から入り学生寮裏の駐車場に車を停めることになる。


 磐田に話しかけても何やら考え込んで黙ったままなので、神崎は女子寮の見取り図を見ていた譲の方に歩いてきた。


「大丈夫か? 柳瀬くんも何か気づいたら言ってくれ」


「ありがとうございます」


 遺体はなくなっているとはいえ凄惨な現場に本職の警官でも気分が悪くなる者もいる。素人の譲ならなおさらだ。神崎の気遣いはありがたいが、こうなったからは譲も少しぐらいは役にたちたいと心を奮い立たせる。


「神崎さんも大学のことで何かあれば聞いてください。少しでも役にたてるようにがんばります」


 譲の言葉に神崎がうなずく。


「神崎、ここはもういい」


 さっきまで屋上を眺めていた磐田が二人の所に歩いてきた。


「屋上の様子を見たい」


「もういいのか?」


 神崎は何かわかったのかと期待していたが、磐田の顔を見る限りそれはなさそうだ。


「ああ。屋上に入るのも許可がいるのか?」


「そうだな、屋上も現場保全のために規制をかけている。南の部屋も同じだ」


「それ以外の人はどうなっているんですか? さすがに自分の部屋に入るなって訳にはいかないですよね?」


「寮生については、午前中は自室で待機をしてもらい、そのうち何人かには事情聴取を行った。現在は立ち入り禁止の部分を除いて自由に行動できる。まあ寮内に警察もいるし、ショックで部屋に閉じこもっている子がほとんどみたいだけど」


 譲は荒川のことが心配になった。可愛がっていた後輩が亡くなった。しかも第一発見者が自分だ。あの優しい先輩なら南のことを自分のせいのように悲しんでいるかもしれない。


 譲は女子寮を見上げた。窓から現場が見えたということは西側の角部屋のどれかが荒川の部屋ということだ。せめて部屋が別の位置なら後輩の凄惨な姿を見ずに済んだのかもしれない。


 午後になって気温はずいぶんと上昇してきた。雲一つないあまりにも青すぎる空がかえって譲の心に陰を落とす。


「柳瀬くん、本当に大丈夫か? もし気分がすぐれないようならここで抜けてもらってもかまわないよ」


 ぼんやりとしている譲に神崎が心配そうに声をかけた。磐田はそんな譲に目もくれずに女子寮の入口の方に歩き出している。神崎に「大丈夫、いけます」と伝えて、早歩きで岩田に追いついた。


 前を歩く磐田の様子を斜め後ろからうかがう。相変わらずの丸まった猫背にジャケットのポケットに両手をつっこみながら大股で歩いている。後からは神崎が電話している声が聞こえる。どうやら屋上に入る許可を取っているようだ。神崎は磐田の能力をずいぶんと買っているようだが本当にそれだけの力があるのか疑問だ。


 女子寮の入口で一度止められたが、神崎が後ろから小走りでやってきて事情を話すと中に入れてもらえた。


 女子寮ということでもう少し華やかな世界を想像していたが思っていたより地味な内装だ。廊下もきれいに整理整頓されているがそれがかえって病院の廊下のような無機質な印象を与える。ほとんどの者が息をひそめるように部屋に閉じこもっていているのでなおさらだ。


 エレベーターで一番上の階まであがり、屋上へと続く階段を上がる。途中、立ち入り禁止のテープの前にいる警官に神崎があいさつをする。すでに話が通っているのか右手を額の前にして敬礼で見送られた。


 屋上は思っていたよりかなり広いスペースでテーブルやベンチ、物干し台まで並んでいる。さすがに今日は洗濯物が干されてはいないが、陽を遮るもののないこの場所ならよく洗濯物が乾きそうだ。


 大学自体を小高い丘の上につくっただけあって屋上からの見晴らしもいい。ここからならふもとの道路を走る車がミニカーのように小さく見える。少し離れると高速道路も走っているのが見えた。


 雲一つない青空の日差しは先ほどよりも強く降りかかっているが、風が通り抜けるので先ほどより暑さを感じない。自分がここに住んでいたなら風呂上りなどに涼みに来たいと思った。


「このあたりからだな」


 磐田の言葉は譲をつかの間の現実逃避から舞い戻す。磐田の言う「このあたり」の意味を頭に思い浮かべてしまった。

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