第十五章:王城での対決
その日、王城は、異様なほどの、緊張感に、包まれていた。 国王アルブレヒト三世の、名の下に、緊急の、御前会議が、招集されたのだ。 議題は、ただ、一つ。『辺境伯令嬢にして、リヒトハーフェン男爵、エリザベートより、国家の、安全保障に関わる、緊急の、奏上があり』。 その、あまりにもご大層な議題に、集められた、重臣たちは、皆、訝しげな、表情を、浮かべていた。
『翠玉(すいぎょく)の間』。 エリザベートが、かつて、男爵の、爵位を、賜った、あの、謁見室。 そこに、再び、国の、重鎮たちが、顔を、揃えていた。 だが、その場の、空気は、あの時とは、比べ物にならないほど、張り詰めている。 玉座に座す、国王陛下。その、左右を固める、宰相と、そして、アークライト公爵。 公爵は、常と、変わらぬ、怜悧な、ポーカーフェイスを、保っている。だが、その、瞳の奥には、エリザベートの、意図を、測りかねている、かすかな、警戒の色が、浮かんでいた。
その、居並ぶ、怪物たちの、視線を、一身に、浴びながら。 エリザベートは、静かに、その、中央に、進み出た。 その手には、分厚い、数冊の、帳簿と、一枚の、巨大な、地図だけ。 彼女の、武器は、それだけだった。
「――エリザベート・フォン・リヒトハーフェン。そなたの、緊急の奏上とは、何事か。手短に、述べよ」
国王の、威厳に満ちた、声が、響く。
「はっ」
エリザベートは、深く、一礼した。 顔を上げた、彼女の、碧眼は、まっすぐに、国王陛下だけを、見据えていた。
「陛下。そして、御列席の、皆様。本日、わたくしが、ご報告いたしますのは、我が国の、東方に、潜む、『見えざる、帝国』の、脅威について、にございます」
彼女は、そう言うと、持参した、地図を、広げた。 それは、王国と、東方の、小国。そして、その、さらに、向こうに広がる、『旧帝国領』を、示した、地図だった。
「先日、わたくしの、私設の、情報網が、極めて、憂慮すべき、情報を、掴みました。百数十年前に、滅びたはずの、旧帝国の、残党が、今、かの地で、密かに、勢力を、拡大させている、と。そして、彼らが、その、再興の、資金源として、我が国を、標的にした、ある、『非合法ビジネス』を、行っている、という、確たる、証拠を、入手いたしました」
彼女は、そこで、一度、言葉を切ると、アークライト公爵の、顔を、ちらりと、見た。 公爵の、表情は、変わらない。 だが、その、指先が、ぴくり、と、動いたのを、エリザベートは、見逃さなかった。
彼女は、一冊の、帳簿を、開いた。 「こちらが、その、証拠ですわ。王都の、裏社会に、出回っている、禁制品『アビス・ロータス』の、ここ、数年間の、流通経路と、その、売上金の、流れを、追跡した、調査報告書です」
彼女は、禁制品の、話から、入った。 だが、その、金の流れを、説明する、彼女の言葉は、まるで、一つの、巨大な、企業の、サプライチェーンを、解説しているかのようだった。 どこで、原料が、作られ、どのように、国内に、持ち込まれ、いかなる、ルートで、末端の、消費者にまで、届けられるのか。その、全ての、流れが、冷徹な、数字と共に、暴かれていく。 そして、その、莫大な、裏金の、全てが、最終的に、一つの、場所に、集約されていく、その、金の流れを、彼女は、一本の、赤い線で、地図の上に、示した。 その線が、たどり着いた先。 それは、『旧帝国領』だった。
謁見室が、どよめいた。
「馬鹿な…! 旧帝国の、残党が、そのような、巨大な、犯罪組織を…!?」
「そして、その、資金で、軍備を、整えていると、いうのか…!」
重臣たちが、次々と、驚愕の声を、上げる。
「ですが」
エリザベートは、静かに、続けた。
「問題は、それだけでは、ございません。この、あまりにも、巨大で、緻密な、密売の、ネットワーク。これを、旧帝国の、残党、だけが、作り上げられたとは、到底、考えられない。――彼らには、必ず、この、王国内部に、強力な『協力者』が、いるはずです」
しん、と、謁見室が、静まり返った。 全ての、視線が、エリザベートに、突き刺さる。
「その、協力者とは、誰か。わたくしは、その、金の流れを、さらに、逆から、追跡いたしました。そして、ついに、見つけ出したのです。この、王国を、内側から、蝕む、裏切り者の、正体を」
彼女は、そこで、初めて、その、視線を、国王から、外し、ゆっくりと、アークライト公爵へと、向けた。
「――アークライト公爵閣下」
その、静かな、呼びかけに、公爵の、肩が、微かに、震えた。
「あなた様が、お持ちの、『ヘルメス貿易商会』。その、キャッシュフロー計算書に、奇妙な『矛盾』が、あることを、わたくしは、発見いたしました。毎年、計上されている、莫大な、『設備投資』。その、金の、本当の、使い道を、今、この場で、ご説明、いただけますでしょうか?」
それは、決定的な、一撃だった。 剣でも、魔法でもない。 ただ、一枚の、財務諸表。 それが、この国の、第二の、権力者の、喉元に、突きつけられた、死の刃だった。
アークライト公爵の、顔から、初めて、色が、消えた。 だが、彼は、それでも、王弟だった。
「…面白い、作り話だ、リヒトハーフェン男爵。その、妄想の、ために、いったい、いくら、使ったのかね? だが、残念だったな。その、帳簿とやらが、『偽造された、証拠』であることは、すぐに、証明されるだろう」
彼は、あくまで、白を、切るつもりだった。 偽造だと、言い張れば、いくらでも、時間は、稼げる。その間に、全ての、証拠を、闇に、葬り去る、自信が、彼には、あった。
だが、エリザベートは、静かに、首を、横に振った。
「ええ、そうでしょうね。あなた様ほどの方が、金の流れだけで、尻尾を、掴ませるとは、思っておりませんわ」
彼女は、最後の、一冊の、帳簿を、開いた。
「ですから、わたくし、もう一つの、調査を、いたしましたの。あなた様が、その、裏金を使って、旧帝国の、残党から、『何を買おうとしていたのか』を、ね」
彼女が、示した、最後の、証拠。 それは、旧帝国の、錬金術師と、ヘルメス貿易商会の、間で、交わされた、秘密の、書簡の、写しだった。 そこに、記されていたのは、禁制品の、取引記録では、ない。 『不治の病に、有効な、人体錬成の、臨床データと、その、対価に関する、契約書』だった。
「――っ!」
アークライト公爵が、息を、呑んだ。 そして、それ以上に、衝撃を受けたのは、玉座に座す、国王アルブレヒト三世だった。
「…兄上」
アークライト公爵は、もはや、エリザベートではなく、玉座に座す、兄の顔を、見ていた。 その、常に、冷静だった、瞳が、絶望と、苦悩に、歪んでいた。
「わ、私は…ただ、兄上の、お嘆きを、取り除きたかった…。王妃様を、お救いしたかった…。そのためならば、私は、いかなる、罪をも、背負う、覚悟だったのだ…!」
それは、国家への、裏切り者の、言葉では、なかった。 ただ、兄を、愛し、その、悲しみに、寄り添おうとした、一人の、弟の、魂からの、叫びだった。 謁見室にいる、誰もが、言葉を、失っていた。 この、あまりにも、気高く、そして、あまりにも、悲しい、大罪の、告白に。
エリザベートは、ただ、静かに、その光景を、見つめていた。 彼女の、心は、何も、感じていない。 ただ、彼女の、脳内では、一つの、冷たい、計算が、終わっていただけだ。 (――『ゲーム理論』における、『囚人のジレンマ』。相手を、完全に、追い込み、自白させる、以外に、選択肢を、与えない。…交渉、成立、ね)
彼女は、勝ったのだ。 この、王国で、最も、強大な、敵の一人に。 だが、その、勝利の、味は、ひどく、空っぽで、そして、どこか、物悲しい、味がした。 まるで、自分の、心を、少しずつ、削り取っていくような。 そんな、奇妙な、感覚だけが、彼女の、胸の内に、静かに、広がっていた。
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