第十四章:アークライトの弱点
エリザベートが放った、「反アークライト連合」という、起死回生の一手。 その効果は、覿面(てきめん)だった。 これまで、アークライト公爵という、巨大な鯨(くじら)の前に、ただ、ひれ伏すしか、術のなかった、王都の、小魚たち。ドワーフの、鍛冶ギルド。魔術師ギルド。錬金術ギルド。彼らが、エリザベートという、新たな、旗頭の元に、一斉に、反旗を翻したのだ。 アークライト公爵家と、繋がりの深い、商会は、次々と、重要な、取引先を、失った。特に、武具や、魔術関連の、分野での、打撃は、深刻だった。 王都の、市場は、一時、大混乱に、陥った。誰もが、固唾をのんで、見守っていた。辺境から現れた、恐るべき、少女が、王弟殿下という、絶対的な、権力者を、打ち負かす、その、歴史的瞬間を。
だが、アークライト公爵は、沈まなかった。 巨大な、鯨は、数匹の、ピラニアに、その、分厚い皮膚を、食い破られたとて、その、心臓までは、届かない。 彼は、報復を開始した。
「――男爵閣下。ドワーフギルドより、緊急の、連絡です。アークライト公爵が、圧力をかけ、彼らの、工房で、必要不可欠な、『黒曜鉄』の、供給を、完全に、停止させた、とのこと。このままでは、あと、半月で、我々との、契約も、履行不可能に…!」
「エリザベート様! 王都の、魔術師ギルドが、公爵家からの、執拗な、税務調査を受け、ギルドの、運営そのものが、麻痺状態に、陥っている、と…!」
執務室に、レオンハルトや、セバスチャンが、運び込んでくる、報告は、日増しに、絶望的な、色を、帯びていった。 アークライト公爵の、力は、あまりにも、強大だった。 その、権力は、王国の、隅々にまで、根を張っている。一つの、取引先を、失ったとて、すぐに、代わりを、見つけ出すことができる。だが、エリザベートの、連合に参加した、ギルドたちは、違う。彼らは、アークライト公爵に、睨まれた、その時点で、この国では、もはや、生きては、いけないのだ。
エリザベートは、静かに、地図を、眺めていた。 (――ダメだわ。消耗戦(ウォー・オブ・アトリション)に、持ち込まれたら、こちらが、先に、干上がる) 体力も、資金も、権力も、全てにおいて、相手が、上。 このまま、正面から、経済戦争を、続けても、待っているのは、緩やかな、死だけだ。 彼女は、戦いの、ステージそのものを、変える、必要があった。
「セバスチャン」
「はっ」
「王都に、潜ませている、我々の『目』…その、全てを、動かしなさい」
「…と、申しますと?」
エリザベートの、碧眼が、怜悧な、光を、宿した。 それは、事業家では、ない。諜報員(スパイ)の、目だった。
「これより、我々は、アークライト公爵家との、直接的な、経済戦争を、停止します。代わりに、『情報戦』へと、移行する」
「…情報戦、に、ございますか」
「ええ。あの、完璧に見える、アークライト公爵家の、巨大な、帝国。その、どこかに、必ず、隠された『歪み』が、あるはず。違法な、取引。政治的な、スキャンダル。あるいは、財務諸表の、裏に、隠された、不自然な、金の流れ。…どんな、些細な、情報でも、いい。全て、集めなさい。彼の、喉元に、突き立てる、一本の、毒針を、見つけ出すのです」
その日から、エリザベートの、もう一つの、戦いが、始まった。 昼は、男爵として、領地の、運営と、ギルドとの、調整に、奔走する。 そして、夜。 彼女は、再び、転移魔法を使って王都へ飛び、『リーザ』の、仮面を、被った。 安宿を、拠点に、王都の、裏社会へと、その身を、沈めていく。 その、ありとあらゆる、情報の、断片を、彼女は、金と、交渉術を、武器に、一つ、また、一つと、集めていった。
執務室には、夜ごと、膨大な、量の、羊皮紙が、運び込まれた。 エリザベートは、その、無秩序な、データの、奔流の中から、意味のある、パターンと、異常値(アノマリー)を、驚異的な、精度で、見つけ出していく。
(――公爵家の、主な、収入源は、領地からの、税収と、複数の、商会からの、配当金。支出は、王家への、献金と、騎士団の、維持費が、大半。…綺麗すぎる。あまりにも、クリーンな、財務状況だわ)
数日が、経過した。 焦りだけが、募っていく。 アークライト公爵の、帝国は、まさに、鉄壁だった。いかなる、不正の、痕跡も、見つけ出すことが、できない。
その夜も、エリザベートは、一人、執務室で、膨大な、帳簿の、山と、格闘していた。 諦めかけた、彼女の目が、ふと、ある、一点に、釘付けになった。 『ヘルメス貿易商会』。 東方の、小国との、香辛料の、貿易を、専門とする、中規模の、商会。 その、キャッシュフロー計算書に、エリザベートは、致命的な『矛盾』を、見つけてしまった。
売上も、利益も、毎年、ほぼ、横ばい。 なのに、なぜ。 なぜ、この商会だけ、『設備投資』の、名目で、毎年、莫大な、額の、現金(キャッシュ)が、流出している…? 香辛料の、貿易に、これほどの、設備投資が、必要になるなど、あり得ない。 まるで、どこか、別の場所に、意図的に、資金を、流しているかのようだ。
彼女は、震える手で、港湾労働者から、買い取った、ヘルメス貿易商会の、積み荷の、記録と、収支報告書の、数字を、照らし合わせる。 そして、彼女は、見つけてしまったのだ。 その、裏で、彼らが、密輸していた、『アビス・ロータス』という、植物の名を。 それは、嗜好品として、一部の国では、合法とされているが、この王国では、その、精神への、強い、作用から、法律で、厳しく、禁じられている、植物。いわゆる、『ソフト・ドラッグ』だった。
「――そんな…馬鹿な…」 彼女の口から、乾いた、声が、漏れた。 王弟殿下が、禁制品密売の、元締め? あり得ない。リスクが、高すぎる。彼ほどの、合理主義者が、ただ、私腹を肥やすためだけに、こんな、愚かな、博打に、手を染めるはずがない。もし、これが、露見すれば、アークライト公爵家は、終わる。それほどの、大罪だ。
(――違う。何かが、違う。これは、ただの、密売なんかじゃ、ない。この、莫大な、裏金の、流れの、その先に…何か、別の、目的が、あるはずだわ)
エリザベートは、再び、地図を、広げた。 ヘルメス貿易商会が、取引をしている、東方の、小国。 その、さらに、向こう。 地図の、端に、描かれた、広大な、未開の、土地。 そして、そこに、記された、一つの、不吉な、名前。
『旧帝国領(アルト・インペリウム)』
百数十年前に、滅びたはずの、古代帝国。 だが、その、残党が、今も、かの地で、密かに、再興の、機会を、窺っている、という、噂。 そして、その、旧帝国が、最も、得意とした、禁断の、魔術。 ――『人体錬成』。
エリザベートの、背筋を、氷のような、悪寒が、走り抜けた。 まさか。 まさか、アークライト公爵は。 この、禁制品の、密売によって、得た、莫大な、裏金を、全て、その、旧帝国の、残党に、流している…? 何のために? 彼らを、支援し、その、禁断の、魔術を、手に入れる、ため…?
だが、なぜ? 王弟である、彼が、なぜ、そんな、国を、揺るがすような、大博打を…?
その時、彼女の、脳裏に、一つの、記憶が、蘇った。 王都の、社交界で、囁かれていた、一つの、悲しい、噂。 国王、アルブレヒト三世の、最愛の、王妃。 彼女が、数年前から、原因不明の、不治の病に、倒れ、今も、城の、奥深くで、眠り続けている、という、噂。
「――そう…いう、こと…」
全ての、パズルの、ピースが、恐ろしい、形で、組み合わさった。 アークライト公爵の、目的は、金では、ない。 私欲でも、ない。 ただ、一つ。 敬愛する、兄である、国王の、嘆きを、取り除くため。 病に倒れた、義理の、姉である、王妃を、救うため。 その、たった一つの、目的のために。 彼は、国を、民を、そして、自らの、魂さえも、悪魔に、売り渡そうと、しているのだ。
エリザベートは、椅子に、深く、身を、沈めた。 全身から、力が、抜けていくようだった。 見つけた。 ついに、見つけてしまった。 あの、完璧な、王弟殿下の、決して、誰にも、知られてはならない、あまりにも、悲しく、そして、あまりにも、気高い、弱点を。
彼女は、静かに、立ち上がると、窓の外を、見た。 昇り始めた、太陽の光が、彼女の、金の髪を、照らし出す。 その、碧眼には、もはや、憎悪の色は、なかった。 あるのは、自分と、同じ、巨大な、何かを、背負ってしまった、一人の、男に対する、哀れみと、そして、これから、自分が、下さね-ばならない、非情な、決断への、覚悟だけだった。
夜明けは、近い。 反撃の、狼煙は、今、静かに、上がった。
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