第21話:嵐の夜の教室と、停電が招いた密室リハーサル

文化祭まであと3日。

俺たち2年B組の教室は、劇的なビフォーアフターを遂げようとしていた。


黒板は撤去され、代わりにステンドグラス風の装飾が窓を覆う。


机や椅子は廊下に出され、床には深紅のバージンロードが敷き詰められている。


そう、綾小路シズクによる「模擬結婚式」計画は、着々と、そして強制的に進行していた。


「カイト君。祭壇の花飾りがズレています。右に3ミリ修正してください」


「細かすぎるよ! これただの造花だぞ?」


放課後の教室。


クラスメイトたちは「今日はここまで!」と帰宅し、残っているのは俺と、現場監督である綾小路さんの二人だけだった。

外はあいにくの土砂降りだ。

窓ガラスを叩く激しい雨音が、教室内には響いている。


「神は細部に宿るのです。……それに、本番で貴方の隣に立つ私が、少しでも美しく見えるよう、背景には完璧を求めます」


彼女は脚立の上で、天井から吊るしたシャンデリア(もちろん自費購入)を調整しながら言った。


「はいはい。……っと、これでいい?」


俺が祭壇の花を直した、その時だった。

ピカッ!!

ドォォォォォン!!


窓の外で、世界が割れるような閃光と轟音が炸裂した。

直後、ブツンッという音と共に、教室の照明が落ちる。


停電だ。


「うわっ!?」


「きゃっ!?」


暗闇の中、脚立の上から短い悲鳴が聞こえた。

バランスを崩した気配。

俺はとっさに音のした方へ体を投げ出した。


「綾小路さん! 危ない!」


ドサッ!!

柔らかい衝撃と、床に叩きつけられる痛み。

俺の腕の中には、温かい感触があった。


「……い、痛ったぁ……」


「……カイト、君……?」


目が慣れてくると、薄暗い闇の中で状況が把握できた。

俺はバージンロードの上に仰向けに倒れ、その上に綾小路さんが覆いかぶさるような形になっていた。


いわゆる、押し倒され体勢だ。


「だ、大丈夫? 怪我ない?」


俺が声をかけると、彼女は俺の胸に手をついて、ゆっくりと顔を上げた。


近い。


眼鏡がズレて、素顔の瞳がすぐ目の前にある。

彼女の吐息が、俺の頬にかかる距離だ。


「……助けてくれたんですか?」


「まあ、新婦が本番前に怪我したらマズいからな」


俺が軽口で誤魔化そうとすると、彼女は動こうとしなかった。


それどころか、俺の胸元のシャツをギュッと掴み、さらに顔を近づけてくる。


「……暗いですね」


「そ、そうだね」


「誰もいませんね」


「……うん」


外の雨音だけが、やけに大きく聞こえる。

心臓の音がうるさい。俺のか、彼女のか分からないくらい、二人の鼓動がシンクロしている。

シャンプーの甘い香りが鼻をくすぐる。


普段はあんなに強気で、金に物を言わせる最強のアンチなのに、今の彼女はただの華奢な女の子だ。


「……カイト君」


彼女の濡れたような瞳が、俺の唇を捉えた。


「予行演習(リハーサル)……してみますか?」


「え……」


「誓いのキスの、練習です」


彼女がゆっくりと目を閉じる。

長いまつ毛が震えている。

逃げ場なんてない。


俺の腕の中にいる彼女を、拒む理由なんて見つからなかった。

俺は覚悟を決めて、少しだけ頭を持ち上げ――。


パッ!!

突然、視界が白く染まった。

照明が復旧したのだ。


「「ッ!!??」」


俺たちは弾かれたように飛び退いた。

教室の蛍光灯が、無慈悲なほど明るく二人を照らし出す。


「あ、あー……! 電気、ついたな!」


「そ、そうですね! 日本の電力インフラの復旧速度は優秀ですね!」


綾小路さんは顔を真っ赤にして、脚立の後ろに隠れた。

俺も耳まで熱くなっているのが分かる。

なんだ今の空気。あと数秒電気がつくのが遅かったら、完全に一線を超えていた。

気まずい沈黙が流れる中、俺のポケットでスマホが震えた。

いつもの通知音だが、今日ばかりは救いの鐘に聞こえる。


【 ¥50,000 】

死ね死ね団:

……チッ。空気読めよ電力会社。タイミング最悪だぞ。あとカイト、今ので心拍数180超えてたぞ。初々しくてキモい。……でも、受け止めてくれてありがとう。



「……見てたの!? ていうか心拍数まで把握されてるの怖すぎ!」


俺がツッコミを入れると、脚立の陰から綾小路さんがボソッと呟いた。


「……続きは、本番までお預けです」


その声は、雨音にかき消されそうなほど小さく、震えていた。

文化祭当日まで、俺の心臓が持つ自信がまったくない。

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