第22話パリ製ドレスの試着会と、教室内で発生した砂糖爆発事故

あー、気まずい。

死ぬほど気まずい。


昨晩の「停電密室事件」から一夜明け、俺、佐藤カイトは教室の自席で小さくなっていた。

視線の先、隣の席に座る綾小路シズクは、朝から分厚い洋書を広げているが……さっきから1ページもめくられていない。

しかも、耳がずっと赤い。


(昨日の今日で、平常心なんて保てるわけないだろ……)


クラスメイトたちは文化祭準備で盛り上がっているが、俺たちの周りだけ妙なエアポケットができている。


「おい、衣装届いたぞー!」


その声で、教室の空気が一変した。

廊下から男子たちが運び込んできたのは、巨大な白い箱。

側面には『Vera Wang(ヴェラ・ウォン)』のロゴ。

綾小路さんが発注した、オーダーメイドのウェディングドレスだ。


「綾小路さん、試着頼むよ! サイズ確認しないと!」

女子たちが彼女を囲んで、即席の更衣室(黒板裏のスペース)へと連行していく。


綾小路さんは俺の方をチラリと見た。

その瞳は、いつもの「プロデューサー」の鋭い光ではなく、どこか不安げに揺れていた。

俺は無言でコクりと頷くことしかできなかった。


数分後。


「じゃーん! 新婦、お出ましだぞー!」


女子生徒の声と共に、カーテンが開かれた。

一瞬、教室中の喧騒が消えた。


「……うわ、すっげぇ……。」

「マジかよ、芸能人じゃん……。」


そこに立っていたのは、純白のドレスに身を包んだ綾小路シズクだった。

繊細なレース、ふわりと広がるチュールスカート。

普段の三つ編みを解き、緩く巻かれた黒髪が白い肩にかかっている。

眼鏡を外した彼女の美しさは、暴力的なほどだった。


彼女はおずおずと、バージンロード(赤絨毯)の上を歩いて俺の前に立った。

俯き加減で、ドレスの裾をギュッと握りしめている。


「……どう、ですか?」

「カイト君。変じゃ……ないですか?」


消え入りそうな声。

いつもの「私が世界で一番美しい」という強気な態度はどこにもない。

俺の評価を怖がっているような、そんな弱気な姿。


俺は息を呑んだ。

茶化す言葉なんて出てこなかった。

昨日の夜、暗闇の中で感じた彼女の体温と香りがフラッシュバックする。

俺は無意識のうちに、彼女の手を取っていた。


「似合ってる。

……すごい、綺麗だ。今まで見た誰よりも。」


俺の口から、キザな台詞が勝手に滑り落ちた。

でも、本心だった。


「へ……?」


綾小路さんが顔を上げる。


「本番で隣に立つのが、俺なんかでいいのか不安になるくらいだ。

……シズク、本当に綺麗だよ。」


俺が彼女の名前を呼んで微笑むと、彼女の顔が一気に沸騰した。

りんごなんて目じゃない。完熟トマトだ。

彼女は「あ、う……」と言葉を失い、俺の手を両手で握り返し、その場にへたり込みそうになった。


「うぅ……カイト君のばか……。

そんな顔で褒められたら……式まで保たないじゃないですか……。」


彼女は俺の腕に額を押し付け、幸せそうに、そして恥ずかしそうに震えている。

その姿を見て、周囲のクラスメイトたちが一斉に頭を抱えた。


「もう結婚しろよお前ら!!」

「リハーサル通り越して新婚旅行行ってこい!」

「砂糖吐くわ! 誰か塩持ってこい!」

「俺たち、必要か? これ二人だけの世界じゃね?」


教室中が阿鼻叫喚の嵐となる中、俺たちは二人だけの世界に閉じ込められていた。

幸せな空間。

だが、現実は甘いだけでは終わらない。

俺のタキシードのポケットで、スマホがけたたましく鳴った。


【 ¥100,000 】

死ね死ね団:

デレデレすんなバカイト。顔が緩んでるぞ。……でも、その言葉は合格だ。録音したから一生の宝物にする。ご祝儀として10万やるから、今すぐそのドレス姿の私を100枚連写しろ。角度を変えて舐めるように撮れ。


いや注文が多いな!

俺がツッコミを入れると、腕の中の綾小路さんが、潤んだ瞳で見上げてきた。


「……撮ってくれますか? 私の、一番綺麗な姿。」


断れるわけがなかった。

俺のスマホのストレージは、この日、純白の天使によって完全に埋め尽くされたのだった。

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